第29話

 その頃。

 アリアとウィリアムは、楽しい時を過ごしていた。

 ファッションを見たり、雑貨を見たり、映画を見たり。

 サーカスの開演は午後。それまでの間、二人は色々と店を見て回って時間を潰す。


 時間を潰すと言っても、二人で見て回るわけですから。そりゃあもう楽しい。

 学園で過ごす以上に胸が騒いで仕方がない。

 周囲からは時折視線を感じるが、一つも気になることはなかった。

 噂が立つのならたたせておけばいい。開き直るように、二人は隣り合って街を歩いていった。


 昼時。ウィリアムの案内でとある店へとやってきた。

 そこは昔ウィリアムが家族と一緒に来た店だという。


 マナーにうるさいのかと、アリアは少し身構えたが、そんなことはない。

 ステーキ、ハンバーグ、分厚いハンバーガー。

 これでもかと肉を押してくる、立食形式の立ち食い処だ。


 店主はでっぷりと太った巨漢。白いエプロンは肉で膨らんでいる。 

 店主はウィリアムを見ると、丸い頬を歪めた。


「いらっしゃい、殿下。お元気にしておりましたか」


「ああ。元気にしてたよ。いいかな」


「ええ、もちろんもちろん。どうぞ空いてる席に」


 昼時とあって、店内はそこそこに賑わっている。

 客層のほとんどは若者。

 それも食い気自慢の男が多い。

 が、中には少数ながら女性の姿もある。

 空いたテーブルにとおされると、早速店員がやってきた。


「ご注文は」


 アルバイトらしき女性が、メモ帳を持ってやってくる。


「ハンバーガーを二つ。一つはビックサイズで。飲みものは……何にしようか」


「じゃあ、ソーダを」


「ソーダを二つで」


「はいよ」


 さらさらとペンを走らせて、女性は店主の元へと向かう。 

 店主は女性からメモをもらうと、こちらにニカっと笑みを向けてくる。


「少々お待ちを」


 店主はそう言い残して、奥の厨房へと入っていった。


「すごい店ね」


 アリアは周りを見て言う。

 客の前に置かれているのは、うず高いバンズと肉の塔。


「特製のバーガーだよ。ランチ限定でやってるんだ」


 客たちはバーガーを、威勢よくかっくらっていく。

 それは食事というより、一種の格闘技を見ているようだ。

 ただ黙々とペースを乱すことなく、腹の中に治める作業。

 額に汗をかき、バーガーを握る腕に筋肉の筋が浮き出ている。


「すごいわね」


「ああ。僕も一度あれを食べたことがあるが、あそこまでは食べられないよ」


 ウィリアムもアリアも、その凄まじい光景に目を奪われる。


 何人かの客がギブアップをする中。

 一人の男性客があと一口で食いきるところまで来た。

 ブッくりと膨らんだ腹。額からは脂汗が流れ、チェックのシャツに落ちていく。


 見た目ではそれほど食べる方に見えない。

 細身の体に色白の肌。

 チリチリの黒い短髪、眼鏡姿の男性。


 目は疲労困憊だが、完食という目的に向かって、ひたむきに口を動かす。

 顔だけを見ればけしてかっこいいとは言えない。

 しかし、その食べる姿勢は勇ましいの一言に尽きた。


 男性はいよいよ最後の一口を、口の中に放り込む。 


 咀嚼、咀嚼、咀嚼。


 水をぐっと飲み込み、最後の一口を喉に流し込む。


 息が止まる。

 ゆっくりと、口と腹にパンパンになった旨みを、吐息と共に吐き出した。


「うまい……」


 恍惚の吐息。


 その一言の後、思わず客たちは拍手を送っていた。

 ウィリアムとアリアも、その敢闘ぶりを見て、拍手を送った。


「はい、お待ちどう」


 そこへやってきたのは女性店員。

 トレーの上にはハンバーガーが乗っている。

 大ぶりのものをウィリアムの前に。

 普通サイズのものをアリアの前に置く。


「これ、店長のサービス」


 ジュースと共に持ってきたのは、カップに入ったスティック状のポテト。

 店主を見ると、脂っこい笑みを浮かべた。


「ありがとう」


 ウィリアムが言うと、店主は手を振って応えた。


「食べよっか」


「ええ」


 アリアとウィリアムはそれぞれのハンバーガーを手に取る。


 肉厚のパテ。

 焼き目のついたバンズ。

 歯を立てればカリッとバンズの皮が破れ、その奥から肉汁が溢れてくる。

 

 スパイスの効いたソース。トマトの甘さ。

 噛めば噛むほど、口の中で旨味が踊る。


「美味し」


 心からの想いが口から漏れる。

 口角から落ちそうになる肉汁を、慌ててペーパーナプキンで拭き取る。


「口にあったようで、よかったよ」


 ウィリアムは笑った。

 確かにこれはおいしい。

 塔のように積み上げられたとしても、これは食べ続けてしまう味だ。


 二人は黙々と食べ進めていく。

 言葉は不要。ただ味を噛みしめ、ひたるだけでいい。

 それだけで多幸感が口から脳へと直接届く。


 極上の一時。この時間はまさに至福だった。


 ジュースで旨味と脂を腹の奥へと沈ませる。

 食休み。腹にたまった幸せと怠惰を全身に巡らせる。


 ポケットの振動に気づいたのは、そんな時だった。


 アリアはポケットに手を入れる。

 マナーモードのスマホが、気づいてくれと震えている。

 画面にはシェリーの名前。以前に電話番号を交換していた。


「シェリーから電話です。ちょっと席を外しますね」


「ああ。わかった」


 ウィリアムを見せに残し、アリアは外に出る。


「もしもし」


『やっと出た。今どこにいるの』


「街の方に出てるけど、どうかしたの?」


『アンタのとこの女、今皇太子の使用人と決闘しているわよ』


「えっ……?」


 アリアは言葉を失った。

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