第28話

 午前8時41分

 休日とあって制服姿の子供を見かけない。

 生徒たちは普段着をそれぞれ着こなしている。

 つまりはラフな、もしくはカジュアルな格好である。

 2人で、あるいは4人で。

 護衛を連れて、どこへともなく歩いていく。

 人の流れに逆らうように、レインは一人校舎の北側へと向かう。


 ドーム型の大きな建物。

 コンクリートの灰色の壁が円形に並んでいる。

 正面のガラス戸を押し開き、暗い廊下を進んでいく。

 両開きのドアをくぐっていくと、広々とした空間に出た。


 丸みのある天井。いくつもの照明がぶら下がる。

 床には土が敷き詰めらている。


 円形の観客席。

 空の座席がレインを見下ろす。


 なるほど闘技場。その名前に似つかわしい戦いの場だ。


「ようやくか」 


 闘技場の中央、国友は腕組みをして立っていた。


 彼の横には、背の小さな男が一人。

 黒いローブを着て、頭からすっぽりとフードをかぶっている。


「送ってあげてたのよ。それくらい許してよ」


 レインは言う。

 しかし国友は取り合わない。


 国友は片手に持った剣を抜き、レインに投げる。

 上空に打ち上がる鋼。切っ先がレインに向いて降ってくる。


 ぐさり。

 剣は土を貫き、レインの足元に突き立った。


「取れ」


 背後のドアが閉まり、鍵がかかる。


「ねぇ。考え直さない? 正直こんな面倒なことしなくても、殿下には指一本ださないわよ」


「剣を取れ、早く」


 どうやら、国友は何を言おうと聞く耳は持たないらしい。

 レインはため息を付いて、剣を引き抜く。


 ずしりと感じる鋼の重み。

 真剣ならではの重さだ。

 片手で持ち上げるだけで、腕の筋肉がピンと張り詰める。


「ああ、無理ねこれは」


 レインはポツリと呟く。

 剣を投げ捨てる。

 国友は不審な目つきをするが、レインの知ったことではない。


 ポケットから取り出したのは、一振りのナイフ。

 黒い刀身。刃渡り250mm。

 柄には握りやすいように凹凸が付いている。


「これでも、いいわよね」


 レインは国友の確認する。

 国友にも異論はない。

 レインの得物が決まった。


 片手をポケットに入れたまま。

 ナイフを逆手に持って構える。

 体からゆらりと力を抜き、国友の体をぼんやりと眺める。


 それがレインの構えなのだろう。

 国友は察しながら片手に持った刀。それを腰に当てて、体を低くする。


「始めよ」


 ローブの男は高々と腕を振り上げた。


 放たれた開催の言葉。

 その声を合図に、国友の体が動く。

 片足を抜き、倒れようにして前へ前へと進んでいく。


 鍔を弾き柄を握る。

 抜刀を持って逆袈裟にレインに斬りかかる。


 レインは半歩足を引く。

 鼻先をかすめる刀身。

 それを見送ると、レインは踏み込み国友の懐に入る。


 ポケットに入れていた片手で握り拳を作り国友に放つ。

 国友は腕を盾にして受け止める。

 だが、これが悪手であったとすぐに気づいた。


 骨の折れる音が腕から響く。

 国友は歯を食いしばりながら、後方へと退去する。


 見れば、レインの指に何かが付いている。

 メリケンサック。鉄の突起が、レインの指の甲に並んでいた。


「残念。一撃で仕留められなかったわね」


 レインは肩をすくめながら、メリケンサックを外す。


「不意打ちか」


「昨日の仕返しよ。これでチャラにしてあげる」


 メリケンサックを地面に落とす。

 小さな砂煙が、レインの足元にたった。


「アンタは片手。こっちは刃渡りの短いナイフ。お互いにいいハンデになったわね。どう? この際一旦お茶にするってのは」


「ふざけているのか」


「ふざけてるも何も、最初っからやる気なんてないわよ。アンタが無理やり巻き込んでくれたから、仕方なくやってあげてるだけ。それもわかんないの」


 ため息が一つ。

 ナイフをもてあそびながら、油断なく国友を見つめる。


「わざわざ殿下がいなくなってから仕掛けるなんて。なんか怪しいのよね。ねぇ、本当に殿下に許しをもらってるの?」


「すでに承諾は得ている」


「そう。にしては……」


 ウィリアムの顔からは、それらしいものは感じなかった。


 他人にやらせるにしろ。人を殺すということは、感情に相当な影響を及ぼす。

 これから殺す人間が目の前にいれば、大なり小なり反応をするものだ。


 だが、ウィリアムはそれがなかった。

 演技だとすれば大したものだが、あれでいて感情が表に出やすい。

 とても演技だったとは思えない。

 

 となれば、国友が何らかの小細工をろうしたのだろう。

 レインはこう考えていた。


「で、どうする。医者を呼んであげましょうか。それとも、殿下が戻ってくるまで、ここで待ってましょうか」


 いずれにせよウィリアムが戻ってこないことには、確かめようがない。

 レインは早速ナイフを納めようとしたのだが、ウィリアムはそれを許さなかった。


 すかさず、国友。距離を詰める。

 片手に握る刀を構え、上段より振り下ろす。

 しまいかけたナイフを抜いて、刀を受け止める。


「貴様さえいなくなれば、不安はなくなる。大人しく死ね」


 レインは国友の腹を蹴り、距離を開く。


「凄まじい忠誠心ね。本当、反吐が出る」


 レインは再びナイフを構え、国友へと挑みかかった。

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