第15話

 トイレの個室から出ると、すぐに三人の女子がアリアを囲った。

 話があるから、付き合って欲しい。

 言葉は穏便だったが、頼んでいるようには聞こえなかった。


 レインのおどかしは一定の効果はあった。

 だが気に食わない思い全てを払拭することはできない。


 きっとレインの目を盗んで、自分にちょっかいをかけてくるに違いない。

 アリアはそう思っていた。

 ただ、まさかトイレの中で囲まれるとは、思ってもみたなかった。


「わかった」


 彼女は返事を返す。

 無視をして立ち去ることもできた。

 そうした場合、その後もしつこく絡んでくるのは目に見えている。

 だから相手の意思に従ってから、早々に立ち去ろうと思った。

 

 意外に従順な様子に、女子たちは目を見開いた。

 だがすぐに狡猾な笑みを浮かべる。


 ついてきて。


 アリアの左右と前方を三人の女子が囲う。

 向かった先は、あの納屋。

 立て付けの悪いドアには、南京錠がかけられている。

 しかしそれ見せかけ。錠は抜けていて、簡単に外すことができる。


 盗みに入る人間はまれ。

 金めのものは何一つないと慣れば、警備もざらになるのは、無理もない。

 錠前を取り外し中に入る。


 女たちは護衛に外を見張るように言う。

 レインが怖いのだ。

 アリアがいなくなれば、レインは探しに来る。

 せめて自分たちが逃げるまでの間を、この使用人たちに稼がせよう。

 そういう魂胆に違いない。


 ドアを閉める。

 それから奥へと行き、引き戸を開ける。

 古い実習室だ。

 いくつもの机。その上に椅子が重なって、置いてある。


 入って。


 金髪の女子が言う。

 おそらくこの女が、三人のリーダー格なのだろう。アリアは思った。


 中に入ると引き戸を閉める。

 だが、立て付けが悪い。

 何かが詰まったのか。半分ほどしまったところで動かなくなった。

 押しても引いても、どうにも閉まらない。

 諦めた女子は戸を離れて、アリアの方を向いた。


 さてこれから何が始まるか。アリアが固唾を飲んで見守る。

 女子たちはアリアを囲うと、口々に侮蔑の言葉を吐き出した。

 鬱憤がよほど溜まっていたのか。

 あれよあれよと、悪口が出てくる出てくる。


 生意気だから始まり。

 いるだけで吐き気がするだ。

 生まれがなんだ。

 殿下と仲良くするなだ。

 嫉妬と無知と偏見と。

 よくも言葉が尽きないものだと、アリアは関心さえ憶えていた。


 だが、それだけではアリアは負けない。

 と言うより、勝負とすら思っていなかった。

 言葉は右から左へと通り過ぎる。

 記憶にも残らなければ、心に傷も残さない。

 およそ10分くらいだろうか。

 そろそろ言葉も出尽くしたらしい。

 めっきりと口数が減ってきた。


「もう、いいかしら」


 アリアは言う。

 うっ、女子たちが息を飲む。

 彼女をとめたい。

 もっと苦しめてやりたい。

 その思いとは裏腹に、彼女を止める言葉が何も思いつかない。


 言葉尻に育ちの良さが溢れて、鋭さがかけている。

 語彙は豊富だが、それを生かし切れていない。

 少ない言葉ながら怒声と迫力でもって押し通す。

 そんなレオンの部下たちのほうが、何倍も恐ろしいと思えた。

 女子たちの間を抜ける。だが女子の一人が彼女の肩を握った。


 アンタ、妾の子なんでしょ。


 アリアの心がざわめいた。

 金髪がアリアの前に回り込んでくる。

 彼女の表情を見た途端、勝ち誇るように笑みを浮かべた。

 弱みだ。この娘の弱みを見つけた。


 そこをきっかけに、アリアへの罵倒が再開された。

 しかし、標的はアリアではない。罵倒の相手は、彼女の母親だった。


 汚らわしい女。

 きっと娼婦のように誰にでも股を開くのだ。

 父親というのも籠絡されたに違いない。

 金目当てに、父親に取り入った魔性の女。

 そんな女の股から生まれた、お前も汚れた娘に違いない。

 性根腐った、醜い女に違いない。


 自分のことはいい。

 しかし母親のことを侮辱されるのは、何に変えても我慢がならない。

 だが、耐えた。

 奥歯を噛み締め、必死に怒りを堪えた。


 この女子たちを殴るのは簡単だ。

 しかし、それこそ女子たちの思う壺。

 それをダシにしつこく付きまとってくるに違いない。


 だから耐えた。

 彼女たちの言葉を聞き流し、心に留めぬようにした。

 やがて女子たちの口から言葉が消えた。

 ようやく、罵倒が聞こえなくなった。


「もう、いいわね」


 終わった。アリアは思った。

 悔しそうにする女子たち。

 ネタ切れ、弾切れ。彼女たちの手はもうなくなった。

 早くこの場所から立ち去ろう。

 もう、これ以上こいつらに付き合ってはいられない。


 アリアは再び戸を目指す。

 アリアが引き戸に手を伸ばした瞬間。


 背後から髪を引っ張られた。

 たたらを踏んで、アリアは仰向けに倒れる。

 そこに馬乗りになる女子。

 目を向ければ、顔を真っ赤にした金髪女の顔が見えた。


 息を飲む声が聞こえる。

 どうやら他の二人も、金髪の行動には驚いているらしい。


 彼女がポケットから取り出したのは、銀色のハサミ。

 刃を開き、刃先をアリアの方に向けた。


 押さえつけなさい。

 金髪が言う。


 驚いた黒髪のそばかすと、茶髪のボブの女子。

 しかし金髪が睨んでやると、たまらずアリアを押さえつける。

 髪を切るつもりか。と思ったが、どうも様子が違う。

 ハサミは刃先はアリアの横。耳を狙っていた。

 

 耳元でハサミが閉じる音が聞こえる。

 アリアは無理やり首を横に動かす。

 パサリ。アリアの髪が切れた。


 顔、押さえつけて。


 黒髪のそばかすは、もう涙目になっている。

 もうやめよう。

 茶髪の女子は彼女を説得する。

 しかし怒りで頭が真っ白になっているのか。

 怒声とともに制止を消し去った。


 アリアは顔を無理やり横向きにされる。

 ハサミが耳を挟む。

 冷たい刃の感触。アリアはギュッと目を瞑った。


 パシャリ


 遠くからシャッター音が聞こえた。

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