第12話

「ニヤニヤしちゃって、やけに嬉しそうじゃない」


 食堂を出てすぐのところでレインが待っていた。


「別に、何でもないわよ」


「何でもないようには見えないわね。何を話してたの」


「何でもないったら」


 アリアは必死に表情を取り繕い、先を急ぐ。


「殿下に何を言われたのよ」


「あんたには関係ないでしょ」


「関係ないこたないわよ。まさか、デートの約束とかしちゃってたり」


「あんたにだけは絶対教えない」


 アリアはさらに足を早めた。

 食堂を離れ、本校舎から離れた別棟へと向かう。

 三階建のコンクリートで作られた建物。 

 本校舎から伸びる渡廊下と、一階の玄関から入ることができる。


 アリアたちは、一階の玄関から中にはいった。

 古臭い本の匂いと、芳香剤。

 朝の澄んだ匂いが入り混じった香りが鼻に入ってくる。


 図書館だ。

 一階から三階まで、本棚がびっしりと並んでいる。

 天井に空いた大きな穴。

 格子状のガラスが嵌め込まれ、そこから日光が降り注いでいる。


「おはよう」


 男の声が聞こえてきた。

 図書教諭、ローレック・ボトムズ。

 40を過ぎた中年男。割腹のいい体の上に、スキンヘッドの温和な顔が載っている。


「おはようございます。先生」


「返却?」


「はい。お願いできますか」


 ローレックはちょいちょいとアリアを手招きする。

 アリアは手提げ鞄から4冊の本を取り出すと、カウンターの上に並べた。


「あの、この間お願いした本。届いてますか」


「ああ。そこの新着本の中にあったはずだよ」


 端末を操作しながら、ローレックはカウンター脇の棚を指さした。


 表紙を表にして並べられた本。

 棚の上には新着と書かれた表示が刻印されている。

 アリアは本を一つずつ吟味していく。

 どうやら目当ての品が見つかったらしい。

 目を輝かせ、一冊の本を手にとった。


 タイトルは『傍観者』。

 ミステリー作家。ニコラス・B・モルデガイの最新作だ。


「借りていくかい?」


「お願いします」


 ローレックは頷いた。

 慣れた手つきて端末を操作し、1分もかからずに手続きは完了する。


「またおいで。面白いものを揃えておこう」


「はい、ありがとうございます」


 図書室を後にして、教室へと向かう。


「付き合いは長いの。あのおデブちゃんと」


「おデブちゃんなんて言わないで。ローレック先生はいい人なんだから」


「いい人、ねぇ」


 確かに一見すれば、いわゆるいい人なのだろう。

 柔和な笑みを浮かべる、温厚な中年男。

 縦縞の白いシャツに茶色のネクタイ。

 灰色のジャケットとスラックス。


「ザ・中年教師って感じね」


「ちょっと失礼じゃない」


 どことなく気の抜けてそうな雰囲気。

 初めてあったとして好感を持ってしまうかも知れない。

 レインは別だったが。


「長いってほどじゃないけど。入学してから図書館をよく利用してたの。そのうちに話すようになって、ちょっとだけ仲良くなった感じ」


「昔からいたの、あのおデブちゃん」


「ううん、あたしと同じ時期に新しく入ってきたの」


「ふーん、そう」


 レインは顎を撫でる。


「あれ、アンタに興味があるクチよ」


「は? どうして、そんなこと言うのよ」


「あいつの目を見なかったの? あれは年下好きするやつよ。そのうちバケの皮が剥げるに違いないわ」


「人が全員犯罪者ってわけじゃないの。偏見で人を判断するの、よくないと思うけど」


「あたし、人をみる目だけはあるのよ」


「信用ならないわ」


 渡り廊下を進んで本校舎に入る。

 教室に入ると、ウィリアムと目があった。

 手を上げて、アリアに軽くふってくる。

 アリアは恥ずかしげに視線を逸らし、そそくさと自分の席に座った。


「振り返してあげてもいいのに」


「うるさい」


 ほんのりと赤くなった頬。

 恥ずかしさを隠すように、アリアはレインを睨みつける。


「早く控え室に行ってよ。気が散ってしょうがないから」


「私が殿下を呼んであげましょうか」


「本当にやめてよ。そういうの、殿下も迷惑でしょうから」


「喋りたくってあんたを引っ張った男よ。こっちから誘えば、ノッてくるに違いないわ」


「いいから、やめてって」


 アリアはレインの背中を押す。


「もう、冗談の通じない子ね」


 レインは肩をすくめ、控え室へと向かった。

 国友と顔があった。

 彼はぎろりとレインを見つめている。


 今朝のことを、まだ引きずっているのかしら。


 レインはそう思うが、おそらくそれとは別だろう。

 いかにして自分を捕らえるか。

 いかにして自分を始末するか。

 それを必死になって考えているに違いない。


「はぁ」


 思わずため息が溢れた。

 こんな息のつけない空間は、何年ぶりだろう。

 敵対組織に捕まった時でさえ、こうまで息苦しくはなかったのに。


「先行きが不安だわ」


 レインはポツリとつぶやいた。

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