第10話

 薄暗い闇の中から光が昇ってくる。もうすぐ夜明け。

 肌を刺す寒さとも、もうすぐお別れだ。

 レインはタバコをふかしながら、校舎への道を歩いている。


 向かうのは中庭。

 校舎の中に入り。廊下を進む。

 玄関から入って少し歩くと、中庭に出るドアが見えてくる。

 ドアを開いて外に出る。

 男が中庭にぽつんと立っていた。国友だ。


「早いわね」


 ドアを閉めながらレインが言う。


「手紙は読んだのか」


 レインはポケットに突っ込んだ封筒を取り出した。

 宛名はない。

 署名もない。

 部屋のドアの隙間に挟まってそれを、レインは見つけた。


「こんな面倒な手段なんてやらなくてもよかったのに」


 手紙の内容を見て、ぴんときた。

 この手紙はレインに向けて書かれているのだと。


「話があるから中庭にこい。アリア嬢は連れてくるな。これ、あんたが書いたの」


「そうだ」


「意外にきれいな字を書くのね」


「そんなことはどうでも良い」


 国友がレインに歩み寄る。


「お前の狙いは何だ、死神」


 レインの頬がぴくりと震える。

 ごく小さな変化。それを国友は見逃さなかった。


「サイプレスの死神。数々のマフィア 、政治家、資産家を手にかけてきた殺し屋。悪名高いお前が、どうしてこんなところにいる」


「死神? 殺し屋? 何を言っているんだか」


 スマホの画面に出された写真。

 大勢の大人たちに紛れた、1人の赤髪の少女。

 

「これは、お前だな」


「私にしては、若すぎると思うけど」


「当然だ。20年前に撮られたものだからな」


 スクロールすると違う写真が出てきた。

 それは先日、国友がとったレインの写真だ。 


「企業の資金パーティの1枚だ。この写真に映ったこの少女と、お前の顔を照合した結果。ぴたりと一致した」


「あら。それはびっくりね」


 レインはあくまでとぼけ続ける。


「写真に写っていた政治家は、この日ホテル内で死んだ。眉間を弾丸で打ち抜かれてな。やったのは、お前だな」


「まさか。そんな大それたマネが、私にできるわけないじゃない」


「この写真以外にも、目撃情報は山ほどある。そして目撃された場所で誰かが死んでいる。中には毛髪と指紋が残されたものだってある。今からしょっ引いて、留置所で絞り上げてやってもいいんだぞ」


「怖いこと言うわね。たかだか同じ赤い髪なだけで」


 レインは肩をすくめる。


「じゃあ、百歩譲って私がその死神だとしましょう。で、だからどうだって言うの。危ない連中なんて、私以外にもごまんといるでしょ」


「他の連中などどうでもいい。お前に比べれば、奴らはただの雑魚だ」


 国友がレインの目の前に立つ。


「お前はサイプレスの鬼札だ。そんな奴がどうしてここにいる」


「アリアの警護のためよ。決まっているじゃない」


「小娘の警護のために、わざわざお前を引っ張り出してくるものか」


 国友の腕がレインのシャツに伸びる。

 胸ぐらを鷲掴み、彼女の顔をぐいと近付ける。


「お前に依頼されているものは何だ。誰を殺すつもりだ」


「誰も殺す気はないわよ」


「その言葉を信じると思うか」


「信じるも何も、本当に殺す気はないもの」


 臆することもなく、レインは薄笑いを浮かべる。


「まさか殿下の命を狙っているのか」


「殿下じゃなかったら、殺しても良いの?」


「殺人者をみすみす逃すつもりはない」


「仕事熱心ね。さすが殿下の護衛は違うわ」


「無理やりにでも、吐かせたっていいんだぞ」


「おぉ、怖い怖い」


 薄笑いは次第に嘲笑に変わっていく。

 国友は青筋を浮かべ、握り拳を硬く作る。


「少なくとも、今のうちは何もしやしないわ」


「いずれはやるつもりか」


「それが仕事だもの。おまんま食べるためには、仕事をしなくちゃならないでしょ」


 眉間に浮かんだ深い谷。

 国友の視線は鋭くなる。

 国友はウィリアムの護衛である以前に。正義感に燃える男である。

 重大犯罪者をこのまま放っておくことを、彼の信念が許さない。


 握り拳を振り上げて、レインを殴りつけようとした。

 正義の鉄槌。この一撃を持って拷問が幕を開ける。


 彼女がもたらす災厄からウィリアムを守るために。

 国友は必要なことをしようとした。

 その時。彼の額に硬い何かが押しつけられる。

 それは銃口。拳銃だ。


「動かないことね。でないと、脳味噌の風通しがよくなるから」


 国友はレインを睨む。

 だが視線程度でレインが折れるわけもない。

 銃口を額に突きつけ、嫌味ったらしく頬を歪める。


「こんな脅しに、屈すると思うか」


「屈するとは思えないけど、時間は稼げる」


 一歩、二歩。

 レインはゆっくりと背後へ後退する。

 国友は鋭い視線を投げながら、彼女の後を目で追う。


「呼んでくれてありがとう。ほんと、楽しかったわ。でも、これ以上私に構わないで。それがお互いのためだし、何より殿下のためにもなるわ」


「どう言うことだ」


「あなたがいない間、一体殿下は何をしているのかしらね」


 国友はハッとする。


「冗談よ、冗談。だけど、私にかまけている間にそういう事態にもなりかねない。あなたの仕事は殿下の身を守ること。仕事には専念しなくちゃ」


 ドアの前までくる。段差を上がり、校舎の中に入る。


「俺はまだ諦めたわけじゃないぞ」


 国友の言葉にレインは笑った。


「諦めが悪い男は嫌われるわよ」


 指に力が込められる。国友は身を硬らせる。

 途端、顔に冷たい何かがかかった。

 水? 手でなぞってみれば、確かにそれは水だ。


「水鉄砲よ。驚かせてごめんなさいね」


 けらけらと笑うレイン。

 拳銃、の形をした水鉄砲。

 レインはおもちゃの鉄砲を見せびらかしながら、国友の前から姿を消した。

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