第9話
授業が終わり、下校時間。
教科書の詰まったカバンを背負って、部屋に戻る。
アリアはベッドに倒れ、ふっと息を吐いた。
今日はほとほと疲れた。
レインのしでかしたこと。
ウィリアムとの再会。
今日の出来事が、いつまでもアリアの頭に残り続けた。
おかげで集中力は散漫。
いつも以上に教師から注意をもらった。
窓を見れば、レインが優雅にタバコをふかしている。
呑気なものだ。アリアは思う。
そして苛立つ。
どうして自分ばかりが、こんなに気疲れをしなくてはならないのか。
もっと自分をなぐさめてくれても良いのではないか。
だがそれをレインに期待しても無駄だ。
彼女は殺し屋。
自分を殺すことが仕事で、自分を守るのはおまけみたいなもの。
アリアが何に悩もうと、疲れていようと気にすることはない。
それは彼女の仕事ではないのだから。
窓が開く。タバコの匂いがやってきた。
ひどい匂いだ。
どうしてこんなものを楽しめるのか。理解ができない。
「何、その顔」
それが表情に出たのか。レインがけげんな顔つきに変わる。
「何でもない」
アリアはそう言うと、レインに背中を向ける。
霧吹きの音がした。
消臭剤の香りが、紫煙の匂いをかき消す。
「寝ちゃう前にシャワーでも浴びなさいな。くっさいままじゃ殿下に嫌われるわよ」
アリアはレインを睨む。
「睨んだところで臭いのは変わらないわよ」
文句の一つも言ってやりたかった。
それができない自分が不甲斐なかった。
ストレスを心に溜めて、力任せに毛布を蹴り落とす。
ぱさり、毛布が床で山になる。
足取り重く、アリアは脱衣所へと向かった。
「何をムキになってんだか」
床に落ちた毛布をベッドに投げる。
それから本棚の横に行き、何と話に眺め始める。
ベッドの脇に置かれた本棚。そこにいくつもの本が並んでいる。
本はすべてアリアの私物だ。
小説、雑学、心理学、エッセイ……。
革製、布製の装丁。
大型書籍から、文庫本まで。その種類は多様だ。
しかし読書という習慣がなければ、それはただの文字の羅列でしかない。
レインには、その習慣がなかった。
背表紙のタイトルを読みながら、適当に見ていく。
と、一冊の背中に目が止まった。
題名のない白い本。革製のカバーをかけられたものだ。
手に取ってみると、ページは茶色く変色している。
かなり年季が入っていた。
開いてみると、それは日記だった。
日々に起きた出来事。感じたこと。見た景色。
その日その日の記録が、つらつらとそこに書かれていた。
どうもこれはアリアのものではないらしい。
署名は書かれていないため、詳しいことはわからない。
だが筆致というか、文字の癖というのが、アリアのものとは違う。
文章を読んで、ようやくわかった。
それは、アリアの母の日記だった。
最初の日付は16年前の5月24日。
澄み渡る空の下で、アリアを抱いている心境を語っている。
まだ母親になって間もない頃。
戸惑いと、それに負けないくらいの幸せな気持ち。
傍にはレオンがいて、彼女と赤ん坊を暖かく見守っている。
この上ない幸せを、母親は噛み締めていたらしい。
幸せが、文字として書き連ねられていく。
ページをめくっていると、一枚の紙がポトリと落ちてきた。
色あせた写真だ。
小さな赤ん坊を抱えた母親と、傍に立つレオンの姿がある。
3人は平家を背にして、微笑みを浮かべていた。
「きれいな
スッと通った鼻筋。細面の顔。
アリアとそっくりな、色素の薄い金髪。
にこやかに笑った彼女は、何とも眩しい。
レオンが惚れた理由がよくわかる。
こんないい女なら、あの堅物もころっといくはずだ。
「何をしてるの?」
背後に感じた気配。
肩越しに後ろを見れば、風呂上りのアリアが立っていた。
「きれいなお母さんね。あんたによく似てる」
「勝手に見ないで」
濡れた手が後ろから伸びてくる。
日記帳と写真をレインの手から奪い取る。
元にあった場所、ではなく。
机の引き出しの中にしまい、鍵をしめる。
「その
「死んだわ。病気だったの」
アリアはため息とともに言う。
気丈に振る舞ってはいるが、言葉に端端には悲しみが滲んでいた。
「あら、そうだったの。ごめんなさいね、変なこと聞いて」
対してレインは、特に感慨もなく言った。
「もったいないわね。生きてたら男がほっとかなかったでしょうに」
「あんたに関係ないでしょ」
「それもそうね」
アリアの脇を通り、レインはシャワーの方へ向かう。
「私もシャワーもらうけど、何かあったら大声で叫びなさい。すぐに駆けつけるからさ」
そう言い残し、レインは脱衣所のドアを閉めた。
「……嫌な女」
アリアがポツリと呟いた。
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