第20話 第3章第3節2項:最後の手紙の考察

 この手紙について段落ごとに考察していく。

 第2段落「私もお蔭で~」は、キューブラー・ロスの第四段階、反応抑鬱の一種であると考えられる。自分の健康はもう戻らないことと、咳と発作で日常生活に支障が出ている自覚が表れている。「仲々もう全い健康は得られさうもありません」に見えるあきらめの感情も抑鬱の兆候と見ることができる。


 第3段落「あなたがいろいろ~」では、できることとできないことがはっきり分かっており、自分に残された時間が短いことを理解している。「あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは」について米田(1995)は、「これは前の手紙の〈昔の立場を一段落つけようと毎日やっきとなってゐる〉と同じだから、〈代わること〉とは芸術の自立を指すと思われる。」(53)と指摘している。


 第4段落「僅かばかりの~」では、病気を得たことの理由付け、第二段階の怒りの兆候があったことが記されている。自分が病を得たのは、「たゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。」と断言し、慢心によって生活をしてしまったがために自分は病に伏しているのだという理由付けを行っている。


 また、続きの「自分の築いてゐた蜃気楼の消える」とは、1928年冬に風邪が重篤化して急性肺炎になったことをきっかけに、羅須地人協会の活動が中断されたことを指す (54)と考える。何か特定の対象に怒るのではなく、「たゞもう人を怒り世間を怒り」と目につくものに手当たり次第に怒りをぶつけている賢治の姿が見て取れる。


 第5段落「あなたは賢いし~」では、先述したできること、できないことについての考察が深められている。自分が簡単にできると思っていることは、他人にとっては当たり前ではない。それを当たり前と思ってしまっては、「本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。」と、教え子柳原昌悅に「慢心する勿れ」というメッセージを送っていると考えられる。


 第6段落「どうか今の生活を~」では、賢治なりの正しい人生の歩き方、人生観が示され、賢治自身が得た病、また妹トシの死は自分が「苦しまなければならないこと」であるとすることができる。

 米田はここについて以下のように述べている。


 賢治も、空想をのみ生活するな、現実の生活を味わえ。と言う、(中略)自我の幻想を≪慢≫として反省し、ぬけ出る道がこれだった。(55)



 ここでは承前として、賢治の手紙より前に同様のことを述べた石川啄木の論を紹介している。また、「苦しまなければならないことは苦しんで生きて生きませう」には、米田は以下のように解説する。


 ここから現在の生活を、人間の当然の権利だなどと思わずに、大切に味わおう、楽しめるものは楽しみ、苦しむべきは苦しんで生きていこう、となると、これは限りなく戦争を受け入れることにもなろう。〈作もよくて〉と結びついて平和な農本主義へ行くことも可能だが、しかしこちらも伝統的な農村の社会構造の改革、つまり小作農への土地解放がない限り、土地を求めて対外膨張=戦争の待望となるだろう。 (56)



 米田は賢治個人の苦しみ、悲しみだけでなく、当時の社会情勢からも「苦しみ」を考察している。

 全集14巻の年譜から、「この年は米収百三十二万石を越したが、これは岩手県初めての大豊作であった。」(57)

とあるように、手紙の最後には作物の実入りの心配が杞憂になったことを喜んでいる。賢治の一番の懸念事項が晴らされ、1933年の東北地方は豊作となった。

 賢治はこの手紙を書いた10日後、死ぬこととなる。


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(53)米田利昭『宮沢賢治の手紙』大修館書店 1995 p.280 伊藤与蔵宛ての手紙より

(54)宮澤賢治『全集14巻』p.635より筆者要約

(55)米田1995 p.287より

(56)米田1995 p.287‐288より

(57) 宮澤賢治『全集14巻』1977 p.714より


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