第19話 第3章第2節1項:宮沢賢治の最後の手紙

 以上のように整理した上で、賢治の最期を死の受容という観点で改めて読み解いていく。ここで使う資料は、絶詠、1933年9月に教え子の柳原昌悅に宛てた手紙である。(最後の手紙と通称される)


 最後の手紙

 488 九月十一日 柳原昌悅あて 封書 

(表)稗貫郡亀ケ森小学校内 柳原昌悅様 平安

(裏)九月十一日 花巻町 宮澤賢治(封印)〆


 八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。


私もお蔭で大分なおっては居りますが、どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、或は夜中胸がびうびう鳴って眠られなかったり、仲々もうまたい健康は得られさうもありません。けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら七八時間は何かしてゐられるやうなりました。


あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早もはや二度と出来さうもありませんがそれに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなってります。しかも心持こころもちばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。


僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年か空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病うれいもだえやまいを得るといったやうな順序です。


あなたは賢いしかういふあやまりはなさらないでせうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にもひとしいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうなかんがえでは、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。


どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実におたがい心強いではありませんか。また書きます。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(52)宮澤賢治 『全集13巻』p.450より


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