第18話 第3章第1節2項:死の受容4~5段階

 ・第四段階:抑鬱


 自分の病状の進行による治療の変化やそれに伴う家庭の変化、果てには家屋や金銭といった社会的な事物の喪失によって抑鬱状態が生じる。


 末期患者がもはや自分の病気を否認できなくなり、二度三度の手術あるいは入院加療を受けなければならなくなり、さらに症候がいくつか現れはじめ、あるいは衰弱が加わってくると、かれはもはや病気を微笑で片付けているわけにはいかなくなる。

 かれの感情喪失、泰然自若、あるいは憤怒などは、ほどなく、大きなものを失くしたという喪失感に取って代えられる。 (48)


 また、この抑鬱状態には性質によって2種類に分けられるとキューブラー・ロスは続けている。

 一つ目は反応抑鬱である。これは、上記のような、自分が過去に持っていたものの喪失に対する抑鬱状態である。治療や入院等にかかる金銭の喪失、病気による失職、病気の親と子の別々の暮らしなどが例示されている。

 二つ目は準備抑鬱である。これは、死に向かう準備のための抑鬱状態とも言い換えることができる。以下本文を引用する。


 第二の型の抑鬱は、過去の喪失からでなく、さしせまった喪失を思い悩むことから生じる。 (49)


 ・第五段階:受容

 これまでのような病への長い闘争の段階から、それを受容する段階へと至るのが第五段階である。詳しくは本文を引用する。

  

 もし患者に十分の時間があり(突然の、予期しない死ではなくて)、そして前に述べたいくつかの段階を通るのに若干の助けが得られれば、かれは自分の“運命”について抑鬱もなく怒りも覚えないある段階に達する。(中略)その嘆きも悲しみも仕終え、かれはいまある程度静かな期待をもって、近づく自分の終焉を見詰めることができる。 (50)


 ここでは、死の受容についてその告知からの過程を通ってきた患者が臨終期に見せる心理状態についての説明がされている。ただし、この受容の状態について見方を誤ってはいけないとキューブラー・ロスは続けて警告している。


 受容を幸福の段階と誤認してはならない。受容にはほとんどの感情がなくなっている。それはあたかも、痛みは去り、闘争は終わり、ある患者がいったように“長い旅行の前の最後の休息”のための時が来たかのようである。(51)


 受容を幸福の段階と誤認してはならないとはいかなることか。病気への怒りも残す者たちへの悲しみも伝え終え、衰弱しきり、眠っている時間が増える臨終期に、自分は幸福であるか否かを考えないということであると推測する。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(48) 同上p.122より

(49)同上p.123より

(50)同上p.146より

(51) 同上p.147より

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