第15話 第2章第3節3項:筆者ら遺族の対象喪失の様相

 先述した対象喪失の概念をもう一度使用すると、今回の場合も対象喪失の定義は「近親者の死や失恋をはじめとする、愛情・依存の対象の死や別離」をさすこととなる。

 具体的には筆者が愛情の対象としていた祖父の死を経験したことである。続けて、対象喪失を体験した際の心理状態についての分類を、自己の省察や近親者の状態に当てはめて考察していく。各項の内容については第2章第2節で解説済みのため省略する。


(ア) 衝撃と不安

「父方の祖父が倒れた」と母から連絡があったのは午後4時ごろ、母方の祖母に、通っていた整体院へ送ってもらうときであった。整体の予約をキャンセルし、そのまま搬送された病院へ行くと、程なくして祖父の死亡が判明した。亡くなるつい2日前に祖父の家に遊びに行ったのが最後となり、当日はずっと泣き通していた。通夜と葬儀は亡くなって2日後に行われ、日を追って冷たく硬くなっていく祖父の体に恐怖感を覚えていた。「おじいちゃんの分まで頑張って」という参列した親戚の言葉に、何を頑張ればいいのかわからないまま頷いていた。


(イ) 対象への思慕と執着

 祖父が亡くなったのがクリスマスの翌日ということに着目した叔母が、「みんなにとってクリスマスを悲しい日にしないために一日ずらしてくれたんだね」といい、親戚が集まる大晦日や正月は祖父の話に終始した。その年の紅白歌合戦で「トイレの神様」が歌われ、号泣する叔母の姿は今でもはっきりと覚えている。執着の心理は、筆者よりも親戚の伯母たちに強くあり、ともに過ごした年数や関係性と思慕の情が比例するのだと実感した。筆者が祖父に思慕の情を感じていないということではない。


(ウ) 再生と理想化の心理

 筆者の心理に強くあったのは、この段階にあるものだと考える。新聞でニュースを読むたびに、小学校卒業や中学校入学などライフステージの変化があるたびに、「いーちゃんが生きていたらなんて言うだろう。」「制服が変わったのを見てなんて言ってくれるだろう。」と考える時間が自然と増えていた。年数が経つたびに声を忘れつつあるが、形見分けしてもらった半纏やペン類などを使い続けることで、祖父の存在を再生し続けることができた。


(エ) 失った対象への同一化

 命日反応については祖父と長年連れ添った祖母に強くあった。月命日のたびに祖父の話をし、「私を置いていかないで」と毎日のように話していた。枕元に祖父の遺影を置き、話しかけている姿も見受けられた。


 さらに、先述した叔母たちの様々な反応についてはボウルビィによる愛情対象の喪失過程の3段階の概念を当てはめて説明することができる。1つ目については抗議の段階がそのまま当てはまる。2つ目については、「別れた対象との再び結びつこうとする試み」の一部であると考えることができるだろう。3つ目については離脱の段階ではなく、感情を整理していくグリーフワークの途上にあった反応と考えることができる。叔母たちはしっかりと自分の心の中で祖父に対するグリーフワークを試みていたということがここから言えるだろう。加えて、筆者の感じていた「いーちゃんは死んじゃったのだから戻ってこないのは当たり前だし、しょうがない。」という考え方は、アンナ・フロイトの『自我と防衛』から森が取り出した防衛機制の合理化の項に当たるのではないかと考える。




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