第7話 第2章第1節:賢治の死生観

第2章 賢治の死生観から考えるグリーフワーク


第1節 賢治の死生観


 ここではいくつかの先行研究をもとに賢治の死生観について論じていく。 (15)中野(2003)は、賢治の死生観の概要を以下のように説明している。


 賢治の生涯を、自己の確立した死生観に自らを実験台として投げ込んだものと見ることもできる。それは近代的な現世の身を生の場とするものではなく、いわば生死一如の世界であり、法華経信仰に基づく神秘主義と自然科学の合理主義を統一させようとする未踏の試みであった。 (16)


 ここで言う自己の確立した死生観についての言及はなかったが、論中では豊富な先行研究を整理しつつ、伊藤真一郎の論を挙げ 、


 賢治にとって「自己とは実は他者(風景やみんな)の映像がそのうちに結ばれる『現象』のことにほかならないのであって、他者をぬきにしてそれ自体で存在しうるようなものではな」く、「他者を常に相伴わざるをえないのが宮澤にとっての自己である」と指摘している。(17)


 と、賢治の自己について言及している。賢治の感じていた死の観念については、こちらも先行研究を整理しつつ、斎藤文一の論を自然科学の立場から紹介し、


 斎藤によれば、熱力学を学んだ賢治は、物質は固体、液体、気体などの質的に異なる相を持つとしてもそれは偶然であって本質的には一つの物質であると考えるに至り、それは生死一如の死生観を支えた。(18)


 と、先述の概要を補強する論を紹介している。


 また、宮澤(2003)は「疾中」にある「疾いま革まり来て」を精読し、1928年‐1930年にかけて病臥する賢治の心境に迫っている。詩の精読内容については、第1章第2節で先述しているため省略する。宮澤は、作品分析から死に臨んだ賢治の胸中について以下のように整理している。


 死を予感した賢治は、すでに死を死として肯定し、次の世の自分の姿さえも大きな業のままに委ねきり、残る人びとに向かってこの世での生を十分に楽しんでほしいと願う境地にまで到達している。これは、死への恐れも生への執着も超えた境地に最終的に辿り着いた作者賢治が、最後に書き残そうとした覚悟の程と、現世、後世の人びとにあてた「贈ることば」なのである。(19)


 この詩群が書かれた当時の賢治の状況等については、第1章第2節の晩年の年譜にて考察しているが、死の2年前に出張の中途、仙台で発熱し遺書を書いていることを考えると、宮澤の見解も肯ける。死を死として肯定すること、生への執着を超えることなどは、これは後述するE.キューブラ―・ロスの『死ぬ瞬間』にも通じるものがあると考える。

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(15)参考文献は以下の2つである。

・中野新治 「賢治の死生観(特集=宮澤賢治 光と影)」

『国文学解釈と鑑賞』68(9) pp.32‐33 2003 至文堂

・宮澤哲夫 「疾いま革まり来て--賢治の思国歌(くにしのひうた)」 

『国文学解釈と鑑賞』68(9)  pp.99-104 至文堂 2003

(16) 中野 「賢治の死生観」 p.32より

(17)伊藤真一郎 「宮澤賢治における表現行為の意味―〔手紙四〕から『心象スケッチ』集へ―」(『近代文学試論』17昭53)中野2003 p.32所収

(18)斎藤文一 『宮澤賢治とその展開』国文社 1976 中野2003 p.33所収

(19)宮澤 2003 p.102より

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