第6話 第1章第2節2項:「疾いま革まり来て」
続いて「疾中」からの考察は、「
「疾いま革まり来て」 (11)
疾いま革まり来て
わが
いざさらばわが
いづくにも
すこやけき身をこそ受けて
もろもろの恩をも報じ
もろびとの苦をも負ひ得ん
さてはまたなやみのなかと
数しらぬなげきのなかに
すなほなる
よろこばんその性を得ん
さらばいざ
この世にてわが経ざりける
数々の快楽の列は
われよりも美しけきひとの
すこやかにうちも得ななん
そのことぞ
宮澤は、死に臨んだ賢治の胸中について以下のように整理している。
①業のままにどのような世界であれ再び生まれ変わるという信念を抱いていたこと、②報恩も、他の人を救う菩薩行もできる健康な身体が欲しかったこと、③苦しみの中で悦びさえ感じられる素直な心を持ちたかったこと、④健やかな人びとには人生の楽しみを存分に味わってほしいこと、⑤そう思うことが自分の喜びであること、などである。(12)
②、③においては、特に「雨ニモマケズ」(13)との共通性が特徴として挙げられる 。繰り返される健康と「すなほなるこゝろ」への願いは後述する最後の手紙へも引き継がれていくことになる。病に伏せる自分のことだけでなく、「健やかな人びと」へのメッセージにはどのような意味があるのか。これについて、宮澤は以下の様に述べている。
それは賢治が現世で体験することができなかった楽しいことのすべてを享受してほしいと、いまを明るく楽しく生きている人びとへの「生の賛歌」であった。 (14)
ここには、死にゆく自分の代わりにこれからの人生を楽しく生きていってほしいと願う賢治の姿が現れていると宮澤は考察している。
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(10) 宮澤哲夫「疾いま革まり来て--賢治の思国歌(くにしのひうた)」
『国文学解釈と鑑賞』68(9) pp.99-104 至文堂 2003
(11)作品は宮澤 『全集6巻』 pp.307‐308より
(12)数字は宮澤による段落番号である。宮澤 2003 p.101より
(13) 谷川徹三 『宮澤賢治詩集』 岩波文庫 (1950)は以下のように述べている。
「十六、手帳より。昭和六年九月東京で發熱臥床の身を無理に花巻に歸り、そのまま父母の家で病臥を續けた間、手帳に記したものである。(中略)「雨ニモマケズ」もその中の一つである。」(p.348より)
制作年数は、「雨ニモマケズ」のほうが後であることがここからわかる。
(14)宮澤 2003 p.101より
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