第3話

 祖母の四九日の打ち合わせをしたい。


 ――そう母から連絡をもらったのは三日前のことだった。


 その連絡を受けた俺は有給申請を行い、計四日間の休みを頂いた。


 都営新宿線から総武線に乗り継ぎ、祖父の住む実家に着いた俺は。


 久々に安堵の息をした。


「不思議な客がいる?」


 実家での夕食の席で、俺は最近出会った例の女性のことを話した。


 リビングに設置されたテーブルを祖父と母。


 そして俺の三人で囲むのは久々のことだった。


「ああ。ばあちゃんの若い頃にそっくりな人でね。絶対に金町に向かうんだよ。なんか人を探しているらしい。大介さん、大介さんってずっと呼び続けててさ」


 例の着物女の特徴を、俺はそう語った。すると、穏やかな食卓に変化が起きた。


「大輔。その話は止めてもらえる? お父さんに聞かせるわけにはいかない」


 隣に座る母が低い声を発したのだ。


 母の豹変とも言える態度に俺は狼狽し、母の顔をじっと見てしまった。


「じいちゃんに聞かせるわけにはいかないって、どういう」

「いいから。この話はなし」


 母はその一点張りで、それ以上口を開くことはなかった。


 母のその態度に俺は祖父の方を見てしまう。耳が悪い祖父には今の話が聞こえていないらしい。穏やかな顔で肉じゃがの味を楽しんでいる。のんきなものだ。


 そんな夕食も終わりを迎え、自室で一息ついていた頃だった。


 ノックの音に俺は顔を上げた。


 数秒後には母がドアを開け、俺の部屋に入ってくる。


 母の手には大きな箱があった。


「大輔。あんたは奇跡を信じる人?」


 神妙な顔を浮かべ、母が俺にそう尋ねてきた。


 夕食の時と同じ様子に、俺は目を丸くさせた。


「な、なんだよ急に」


「いいから答えて。あんたは魔法みたいな奇跡を信じる人?」


「……昔は信じたよ。でも、今は何とも言えない」


「じゃあ。その人に協力をしたいとは思ってる?」


 母が俺にそう揺さぶりをかけてきた。


 返答に困っていると、母があることを口にした。


「ねえ、どうしておじいちゃんとおばあちゃんが別居してたと思う?」


 その言葉に、俺は顔を上げざるを得なかった。


 確かに、祖父と祖母がなぜ別居していたのか。その理由までは知らなかった。


「答えはこの箱にあるわ。自分の部屋で見ておいで。見終えたら、私の部屋に置いておいて」


 母はそう言うと箱をその場に置き、部屋から去っていった。そんな母の態度に俺は目を大きくさせつつ、母が置いていった箱を手に取った。


 ベッドまで持っていき、その中身を改める。


 そして、俺はその箱の中にあった代物に驚きの声を上げた。


「――は?」


 そこには、俺の守り神となってくれていた人の――悲しい物語があったのだ。



 大宮真知子。俺の祖母であり、大宮家の大黒柱。


 俺にとって、この人こそ人生の特異点だった。


 この人がいなければ俺は父から虐待を受け続けていただろう。それによって自殺。


 もしくは父を殺していたかもしれない。それを止め、今のような未来を作り出してくれたのは紛れもない――大宮真知子なのだ。


 だから、俺は一つの可能性を知った途端。行動に出ていた。


「こんにちは、運転手さん」

「こんにちは。また逢えましたね」


 江戸川区にあるとあるお寺にて、俺は例の女性と再会を果たした。


 寺の入口でお互いに頭を下げた後、女性があの穏やかな笑みを浮かべる。


「ご連絡、ありがとうございます。まさか運転手さんが大介さんを探してくれたなんて。でも、どうして私の連絡先を知っていたんですか?」


「どうも、あなたとは縁があるようでして。通じたようで何よりですよ」


 俺は笑みを浮かべ、携帯を取り出して見せた。すると例の着物女は優しく笑い。


「不思議な時代ですね。こんなもので誰とでも連絡が取れるなんて。これなら、好きな人といつでもお話できますね。それで、大介さんはどちらにいるのですか?」


「こちらですよ。ついてきてください」


 俺はそう言い、ついてくるよう促した。


 女性が頷いたのを見て、俺は寺の奥へと歩みを進める。


 墓が立ち並ぶ墓地の奥へ、奥へと進み続け――一つの墓石の前で足を止める。


「ここが、篠川大介さんのお墓です」


 俺はそう言い、目の前にある墓石に手を差し出した。すると俺の側についてきた女性は一瞬驚いた顔をした後、動揺の色でその表情をいっぱいにする。


「……どういう、ことですか?」


「――おばあちゃん。あなたが愛した男性は、既にこの世にいないんだ」


 動揺に溢れるお人へ。俺はそう告げた。


 だけど女性は俺の発した言葉にさらに動揺する。


「お、おばあちゃん?」


「――そうだよ。混乱してるかもしれないけど、俺はあんたの孫だ。大輔って名前は。あんたが愛した男から取ったんだろ。篠川大介。それはあんたが初めて恋をした男の名前だ」


 俺はそう突きつける。俺の中で多くのことが走り回っていた。事実と怒り。遭遇している不思議な出来事を受け入れられないという思いに目の前に立つ人が抱えている思い。それらが混ざり合い続け、大宮大輔という男を突き動かす。


「――全ては、あんたが初めて恋をした瞬間から始まった」


 どこかの探偵のように、俺はその言葉を持って語り部を演じた。


 語るのは目の前にいる女性の人生。大宮真知子の、悲しくも儚い恋の物語。


「一八歳の時、あんたは金町である男性と恋に落ちた。それが篠川大介だ。あんたと篠川大介の間は日を増す事に深まっていって、ついには結婚の約束までした。だけど、そんなあんたの下に縁組が来た。両親が用意したお見合いの席だ」


 俺は母から渡された箱の中身を思い出しながら、祖母の恋物語を語った。


 あの箱の中に入っていたのは祖母が受け取った篠川大介からの手紙と、祖母の日記だった。最初は順風満々に見えた二人の恋に陰りが差したのは、祖母に見合いの話がやってきたからだ。


「太平洋戦争が終結しても、お見合い結婚の文化はまだあった。あんたは親が用意した相手と結婚しなきゃならなかった。なぜなら、あんたの両親は酷く貧困していて、結婚すれば結婚相手から援助を得られたからだ。あんたには幼い兄弟がたくさんいた。あんたは選ぶしかなかった。望まない結婚相手との日々を。そうすることで、明日にも食事に困っていた兄弟を救えるから。――だからあんたは諦めたんだ、自分の人生を。愛する人との結婚を」


 声を荒げ、俺は祖母が追い詰められた要因を唱えた。


 今の時代ではありえないけれど、当時の時代では『当たり前』だったモノがそこにはあった。


「でも、それでも篠川大介は諦めなかった。結婚は無理でも、逢うことはできるって」


 首を振り、静かに眠り続ける篠川大介の選択を唱える。そして俺は叫ぶ。


 篠川大介がその道を選んだ理由を。祖母が、それを受け入れた理由を。


「結婚の後、あんたと篠川大介は秘密裏に逢い続けた。それが不倫だとわかっていても、あんたは止めることができなかった。だってあんたの結婚生活は酷いモノだったからだ。夫は仕事ばかりで家のことはせず。浮気ばかりだった。子供だって――五人も流産した。何度も何度も子供を亡くしたあんたの心のよりどころは――篠川大介と過ごす一瞬だった。そうだろう!」


 手紙と日記を通じて知った真実を、俺は祖母に突きつける。涙が溢れそうになったのを堪えながら、俺はその先にあった悲劇を――唱える。


「だけど。事件は起きた。篠川大介があんたの夫――俺のじいちゃんに直談判したんだ。大宮真知子と別れてくれ。彼女は俺が幸せにするって。当然、じいちゃんは拒否をした。お前がやっているのは人の妻を奪う行為だ。許せるものではないって。篠川大介とじいちゃんの関係性は悪化し続けた。そしてある日、事件が起きた。篠川大介が――飛び降り自殺をしたことだ」


 結末へと繋がる最悪の展開を、俺は語る。息が苦しいと思ったのは衝撃の事実を語っているせいだろう。それでも俺は語らずにはいられない。


 それが語り部の役目だからだ。


「愛する人がこの世を去った。その事実に耐えられなかったあんたはその事実を拒否し続けた。遠くを見続け、篠川大介を探しに金町を放浪するようになった。それを見たじいちゃんは別居を決意した。こうなったのは、自分のせいだって言ってな」


 悲しき恋物語の結末を、俺はそう語った。それを聞き続けていた着物姿の祖母は、穏やかな顔をしていた。その顔を見た俺は、尋ねてしまう。


「――なあばあちゃん。俺に言ってくれたよな。自分の人生をしっかり生きろって。あれは、自分に言い聞かせてた言葉じゃないのか?」


 幼き頃に聞かされた言葉の出所を、俺はそう尋ねた。すると祖母は優しく笑い。


「違うよダイちゃん。あれはね、大介さんの言葉なの」


 と。優しく否定した。祖母は両手を重ねあわせ。


「……大介さんとはね、一度だけ会えたの。夢の中で。大介さん、勝手に死んだ癖して、私に言ったんだ。自分の人生をどうかしっかり生きてくれって。勝手よね、本当」


 困った顔を浮かべながらも、祖母はその言葉をどこか嬉しそうに述べる。


「――ごめんね、ダイちゃん。迷惑かけちゃったね。でも、全てにさよならを言う前に。確かめたかったの。死は――そういうことだから。でも、いい人生だったなぁ」


 ふふふ。と祖母は優しく笑った。


 良き生を過ごしたと言葉にする祖母の姿は穏やかそのもの。


 そんな祖母の体から青い光の玉が生まれ、それが空へと上り始めた。


 その光の玉が生まれる度、祖母の体が透けていく。


 その事実に驚いていると、祖母が困った顔をした。


「ごめんね。今日が最終日なの。今日が四九日目。この世界とは、最後だから」


 今日が最終日。――その言葉が俺の中で強く反響した。そうだ、四九日は死者がこの世界に留まれる最後の日数だ。今日が最終日――もう祖母とは会えないのだ。


「優しく育ってくれたね。大介さんそっくりになった」


 祖母はそう言うと、俺に背を向けた。


 これ以上語ることはない――そう言いたげに。


「お盆には帰ってくるだろう!」


 祖母のその姿を見た俺は、思わず叫んでいた。


「お盆には帰ってこいよ。母さんも、じいちゃんも待ってる。お盆くらいには、俺の元気な姿を見てくれよ。俺の守り神なんだろ? だったら、年に一回くらいは俺の顔を見てくれよ」


 そう強く訴え、俺は必至に祖母へと言の葉をぶつけた。


「この先も俺はしっかりと生きていくよ! この世界に――俺のばあちゃんはあんただけだ!」


 あの病室で伝えたかった言葉を、俺はようやく言葉にした。最後の最後に伝えたかった、感謝の言葉。二三年の月日を共に過ごしてくれた、優しい祖母への言葉を。


 そして、その言葉を耳にした祖母は。光に包まれながら、最後にこう述べた。


「……ありがとう。――ダイちゃん。おばあちゃんは、あなたを見守っているわ」


 その言葉を最後に、祖母はこの世を去った。


 そうしてそれが、俺と祖母の最後の別れだった。



 祖母がこの世界から旅立ってから、一週間が経過した。


 あの一件から、大宮家で何か時間があったわけもなく。


 ただ平穏な日々が続いていた。俺は仕事に勤しみ、友人と遊び。


 そして一日一日を確かに過ごしていた。


「おや。珍しいね。君がタバコなんて」


 会社の休憩所で休んでいると、同期の岡山がニヤケ面を見せてきた。


「――まあ。たまにはな」


「でも、辞めた方がいいよ。寿命縮むし」

「いいだろ別に。それに、タバコは男の価値を上げるんだよ」


 俺はそう言い。新しいタバコに手を付けた。すると岡山は首を振り。


「あらあら。どうやら大宮様はストレスが溜まっている様子ですねぇ」

「んなわけあるか。ちょっとした気晴らしだよ」


 手をひらひらさせ、お調子者の同期を振り払う。すると岡山はくるりと踵を返し、休憩所から去っていった。あいつ、俺をからかいたかっただけだな。


「…………まあ、似合わねえか」


 しかし、岡山の指摘も最もだと思った俺はタバコの吸い殻を消した。買ったばかりのタバコをゴミ箱に放り投げ、車庫から空を見上げる。澄み渡る白い雲の世界が、そこにはある。


 きっとこの空の向こうには、天国があるのだろう。


 死した者が魂となり、迎えられる国。


 その国では愛する人を残して違う世界で生きる人が、前の世界の住民を見守っているそうだ。


 そしていつも想っているそうだ。あなたが良い人生を過ごしていることを。


「……ばあちゃん。俺はしっかり前を向いていくよ。ばあちゃんとの約束だからな」


 空に向け、俺は静かに守り神へ言の葉を送った。


 さあ、仕事だ。この世界を、しっかりと生きていこう。

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全てにさよならを言う前に 神崎裕一 @kanzaki85

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