フラットアーサーのマゼラン旅行記

第1話 執筆依頼

「ストライク、150キロ」

「ボール、148キロ」

「ボール、153キロ」

「ボール、145キロ」

「ボール、155キロ」


「ピッチングすらままならんか。」

「いえ、バットが振れてボールを前に投げれるようになっただけでも大きな成長ですよ。ピッチングに関しては球速も出ている。」

「例の“セラピスト”にコンタクトは?」

「既に手配済みです。」



年の暮れ、編集からめずらしく締め切り催促ではない電話がかかってきた。会って欲しい相手がいると。

聞けばそれが精神科医だった。

ついに編集部は新作をプロットすら投げずに放置している俺の脳の中身を掻っ捌いて、構想だけ盗んで他の作家に書かせる気か、あるいはマインドコントロールして原稿書かせる気か、そんなところだろうと思った。

そして実際のところ、後者が半分当たっていた。


「どうも、精神科医のダグラス=ケインです」

「こんにちはダグラスさん、私あのNBC出版のゼニアと申します。しがない作家でして」

「聞き及んでおります。」

精神科医の男は食い入るように言った。くだらない謙遜を述べさせる暇があったら本題に入りたいということなのだろう。

「今回はどんな御用件で?」

「患者のために小説を書いてもらいたいのです。」

「断る」

「そうおっしゃると思いました。あなたは実際今、小説が書けない。」

「そんなことはない。書こうと思えばいつでもここから」

「いや、無理です。なぜならあなたは姉の司法取引に成功しなければならないから」

「なぜそれを?」

「無罪を勝ち取るための100万ドルを自分が稼がなければ麻薬取引の容疑で捕まっている姉はアメリカには戻れない、そうですよね?」

「ああ、その通りだ....... クソっ、どこまで知っていやがる」

「依頼を受けていただく上での最低ラインを知ってるのみです。」

「患者の回復に著しく寄与すれば、姉の帰国は保証しましょう。」

「答えは、......もう言わなくてもわかると思うが、俺はそう言われると断れない」

「そう言ってもらえると思っていました。」

「で、俺はどういう小説を書いたらいいんだ?というか物書きなら他にいくらでもいるし」

「あなたでなければ駄目なのです。理由も含めて順に説明します」

「今年の9月、セイラーズのマイケル=タイソン投手が頭部にデットボールで緊急搬送されたという話はご存知で。」

「ああ。投げるのも打つのも上手かったのに残念なニュースだった。」

「彼の意識はすぐに戻ったのだが、しかし彼はあるものを失っていた。」

「何を?」

「三次元」

「いったいどういうことだ?」

「視力を含めた五感は正常だった。しかし彼の脳は奥行きやボールの丸さといった三次元的な実態を認識できなくなっていた。」

「もう少し詳しく」

「普通、人間は視覚情報から脳が奥行きや動きを認識する。でも彼の場合その機能に障害が出て、視覚情報をそのまま二次元としてしか認識できなくなってしまった。視覚情報がまるで写真を連続して見ているような感覚、と言えばわかるかな」

「な、なるほど?」

「そんな状態だったので本人はロクにボールどころかスプーンも掴めず、球界への復帰は絶望視された。」

「そりゃ可哀想に」

「とはいうものの彼はチームの稼ぎ株。会社としてもなんとか回復させたかった。色々な科を転々として最終的に私の精神科に来た。」

「彼の症状には見覚えがあった。彼は、そう2年前に地球平面主義者フラットアーサーを治療した時似ていた」

「フラットアーサーが病気?聞く人が聞いたら炎上案件だぜ」

「少なくとも科学にとっては病気だった」

「冗談はよしてくれ」

「フラットアーサーは俗称。2年前の患者は地球平面主義であると同時に、タイソンと同じく三次元失調だった。」

「フラットアーサーと三次元失調に相関が?」

「フラットアーサーなら誰しもってわけじゃない。陰謀論だけの人ももちろん。でも調べてみると、『地球が丸い』、以前に『丸い』が認識できない人たちがかなりの割合で含まれることがわかってきた。」

「『円い』は理解できても『丸い』は理解できないってことか。でも彼ら全員がタイソンみたいにスプーンすら持てないなんてわけじゃないだろ」

「先天的三次元失調の場合は生活経験で身体感覚を補完できるの。問題はタイソンのような後天的な例。慣れるまでには少なくとも5年はかかるし、復帰は絶望的だった。」

「まあボールも掴めないんじゃしょうがない」

「でも彼の症状には覚えがあった。さっき言ったフラットアーサー患者は、もともとは三次元の感覚を持った普通の陰謀論者だった。でも主義の書籍にのめり込むうちに、二次元感覚が三次元感覚を書き換えてしまって、後天的三次元失調を発病した。ちなみに症状はさっきも言った通りタイソンとそっくり。スプーンを掴めない」

「待てよ、タイソンのような外的ショックなしに脳が三次元を認識しなくなったのか?」

「そういえばそうなんだけど、正確には書籍の二次元概念が脳内で構築していた三次元の現実を書き換えた、というのが正しい」

「やばい本もあったもんだな」

「当然発禁になった」

「だろうな」

「ただ一つ分かったのは、既存の概念は書籍、もとい文章ですら書き換えが可能だということ。つまり、三次元的概念を書籍から再導入すればいいのではないか、という結論に至った。」

「なるほど」

「そして2年前フラットアーサーに片っ端から読ませた本の中で、ある一冊がクリーンヒットして彼は完治した。タイソンも球を投げれるまでには回復した。」

「なんて本なんだ?」

「それこそがマーティン=ゼニア、『マゼラン旅行記』そう、あなたの歴史小説だったというわけだ。そしてこれこそがゼニアさん、あなたを呼んだ理由だ。」

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SF短編集 積雲 @sekiun_creation

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