SF短編集
積雲
再生可能な死
「我々は脳の制御コマンドを見つけたのです。」
強制脳睡眠治療の発見者、仁川博士はインタビューでこう語った。
強制脳睡眠治療とは、簡単に言えば脳に特定の電気信号を与え患者を強制的に眠りにつかせる治療である。これはもともと不眠症に悩まされるうつ病患者や、生活リズムの確立できない統合失調症患者の治療のために開発された技術であった。
似た効能を持つ治療法として睡眠薬が挙げられるが、睡眠薬と比較した際の利点は、一切の薬物投与がなく、かつ睡眠状態の継続時間を事前に指定でき、睡眠の質が極めて均一かつ良質である点であった。また薬物投与ではないので、副作用が起こらない点も画期的であった。
さらに通常の睡眠と比べても明らかに睡眠の質は優れており、具体的に強制脳睡眠の2時間は通常の睡眠の8時間に相当した(睡眠深度最大の場合)。また起床後の疲労回復、精神状態など多くの点で、強制脳睡眠による睡眠は通常の睡眠に比べはるかに良好な数値を示した。
極めつけは、その治療が極めて簡易な装置で行えることであった。その装置は「睡眠帽子」と呼ばれ、脳に侵襲的な手術を施すことなしに、ただ帽子状の装置を頭にかぶせ、睡眠時間、睡眠の深さなどを指定し、ボタンを押すだけで治療が行えるというものだった。しかも睡眠帽子は極めて安価に製造が可能で、必要な患者に十分量供給することができた。
これらの利点から、強制脳睡眠治療は主に精神病治療の分野で爆発的に浸透し、また絶大な効果を上げた。軽度の精神疾患はほぼそれだけで回復できるようになり、重度の場合でも薬物治療と組み合わせることで遺憾なく効果を発揮した。あまりの効果に、「精神病は簡単に治る病気」というイメージが一般的になるほどだった。
単に精神病治療に効果があっただけではなく、病院の負担を減らした点でも画期的であった。夜寝られずにナースコールを連発する患者はいなくなり、また暴力的衝動を抑えられない患者に対してはとっさに睡眠帽子をかぶせ軽度の睡眠状態に陥らせることでひとまず抑えることができるようになった。末期治療における身体拘束問題に関しても効果を発揮した。それだけではなく、インフォームドコンセント、つまり治療への理解と同意をしっかり行うという観点でも、利点があった。治療を説明する際に、副作用がない点や、これまでの治療の実績が功を奏し、患者やその家族に同意を取り付けやすくなったからだ。
さらに、安価で使いまわせる治療器具と、薬物投与の必要がなくなったことで精神病治療の医療費が格段に安くなり、政府の社会保障政策にも大きな影響を与えることになった。政府は、「精神疾患に関して、他に特別な治療法を必要としない限り、強制脳睡眠治療を原則とすること」を義務付け、ますますこの治療法は多用されるようになった。
強制脳睡眠治療の影響は、医療界だけにはとどまらなかった。
ある時期から、強制脳睡眠治療の治療器具である睡眠帽子がどこからか市場に横流しされるようになった。それだけではなく、その簡単な構造はすぐにリバースエンジニアリングされ、より安価な模造品が大量に市場に流通し始めることになる。
当然医療界や政府はこれらの購入、使用を控えるように声明を出したが、模造睡眠帽子の流通はむしろ加速していくことになった。その理由は、まず、睡眠帽子が非侵襲的な医療器具であったこと、そしてこれらの模造品のほとんどは医療用の正規品と全く変わらない効能を示したこと、そしてそれを使用した人々の評判がSNSを通じて瞬く間に広がり、さらに多くの人の購買意欲を刺激していったことがあげられる。
睡眠帽子はまるでノイズキャンセリング機能の付いたイヤホンのように、あっという間に生活の一部になった。精神疾患でも不眠症でもない人が、寝つきの悪い夜や騒音に悩まされている場合に使ったり、あるいは職場での仮眠に使われた。また介護や育児の現場でも、とりあえず睡眠帽子をかぶせておけばその間対象と相手をしなくて済むので、盛んに使用された。
もともとストレスフルな日本社会の中で、欠如していた睡眠という休息が、自分の意志でコントロールできるようになったことは、まるでスマートフォンが現れた時のように、社会を大きく変革していく。
まず最初に訪れた変革は、夜と昼の概念の喪失だった。強制脳睡眠による質の高い睡眠により、平均睡眠時間は2時間となり、またこの2時間を30分×4回に分割し6時間おきに行うという睡眠法が医療界と経団連の共同で決められ、一般的になった。4分割された時間はそれぞれ、時刻0時から数えて「夜午前」「昼午前」「昼午後」「夜午後」と呼ばれた。人間は22時間の起床時間を手に入れ、ほぼ昼夜問わず活動できるようになった。
次に訪れた変革は労働形態に関するものであった。労働は4分割された時間枠の内の2つか3つを自由に選び行われるのが当初の主流であったが、すぐに4つすべてを労働に費やし、早期引退を目指して蓄財する層が現れた。すると彼らとそれ以外の間に明確な所得差が現れるようになり、それ以外の層も4つすべてを労働に費やすようになった。すると所得競争が発生し、4つの時間枠すべてを労働に費やしても早期引退が可能な人々は限られるようになり、そのあおりで依然2~3つの時間枠で労働をする大多数の労働者層は所得が著しく悪化し、貧困層へと落ちていった。
つまり、一連の社会変革の結果は、長い目で見ればこれまでよりもはっきりと「少数の勝ち組」「大多数の負け組」を形成した、というものだった。
そうした中、大多数の「負け組」の中である大きなムーブメントが起こった。それは通称「再生可能な死」と呼ばれ、次のようなものであった。
”「再生可能な死」というネーミングは、政府による救済を乞い、それが結実すれば再生し、政府が無視すれば死ぬまで、という参加者のスタンスを表している。”―第3回北関東「再生可能な死」ストライキ参加者要綱概文より
”再生可能な死;これは政府による貧困層救済政策を引き出すため、労働者が日程を定めて一斉に行うストライキである。方法は次の通り。まず睡眠帽子を睡眠効率を最大にし、睡眠時間を限りなく長く設定し、被って睡眠に入る。そのまま眠り続けることで労働へのストライキができるほか、眠り続け食事を摂らないことでハンガーストライキとしても有用である。くれぐれも、信頼できる家族や公共機関への届け出の上、自殺にならないように注意して行うべし。”—昼のみ労働組合主催「再生可能な死」ストパンフレットより
初回がいつだったかは諸説あるが、この「再生可能な死」ストライキはSNSを通じて大規模化し続けた。当初は死者の全くでない温厚なストライキであったが、運動が過激化するにつれて「つらい現実からの逃避」、つまり安楽死が目指されるようになり、次第に死者が発生するようになる。しかし当初その数は少なく、「再生可能な死」運動との関連性も見いだせなかったため、それほど注目されなかった。しかし、ある「再生可能な死」ストライキで、同時に数万人規模で死者が出る事態となった。これは社会、そして世論に大きな影響を与え、睡眠帽子が「安楽死」に極めて適したツールであることが浮き彫りになった。恐ろしいことに、この規模の大量安楽死は、その後数か月にわたり何回も起こされることになる。人々はこれを「テクノロジーによるテロ」ととらえ始め、政府に強制脳睡眠と睡眠帽子の規制を求めるようになる。
強制脳睡眠対策法が可決されたのは、それからほどなくのことであった。それはあまりにも強引な政策であったが、身の回りの人々がある種カルトじみたストライキで死んでいくのを見た人々により熱狂的な世論が形成され、施行に漕ぎつけた。法律の内容は「医療用途以外での睡眠帽子の所持及び使用の違法化」であった。
ここにおいて、睡眠帽子は麻薬と同じ扱いを受けた、と言える。人の心を狂わせ、安易に自殺に向かわせる魔の道具。「再生可能な死」による集団安楽死事件によって、強制脳睡眠と睡眠帽子はすでにそういうレッテルを張られていた。だからこそそれまでの利益を投げ打ってでも世論はこの法案を熱烈に支持したのだった。彼らは、睡眠帽子による睡眠を、「違法睡眠だ!」と国会前でひどくののしっていた。
この法案が社会に与えた影響は果てしないものだった。主に悪い面で。合法であった医療用途においても、患者や家族は薬物投与のほうを望むようになり、医療費は増大した。しかしそれを支える税収は人々の労働時間の減少に伴い著しく減少した。結果財政は崩壊し、社会保障制度は破綻した。
そして今、日本は混乱の時代にある。ほとんどの成人は、全額負担の病院と高額な民間医療保険のために、その給料のほとんどが消えていくし、あるいは借金をしなければならない場合もある。もし人間的な生活をしたければ、脱法な睡眠帽子を入手し、労働時間を増やすことが唯一の手である。しかしひとたびそれが警察に知られれば、前科持ちの犯罪者である。人々は疑心暗鬼になり、裕福そうな生活をする他人を「あいつ、違法睡眠してますよ、」と警察にチクる。ああ、なんというあきれた時代だろう。
私は現代史の研究者である。違法睡眠に慣れた体は自然睡眠に戻らなかった。寝れずに、夜午前に、こんな駄文を書いている。
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