瑠璃

夢を見ていた

第1話

その夜は、泣いた。

たくさんの思いが激しくぶつかりあった。不安や怒り、悲しみ、そしてわずかな願いが込められた涙は、いったい何の力をもつだろう。

 彼は自身を励ました。

「いい加減にしろ。少し、寂しくなるだけだろ」

 そして彼は無茶苦茶に止まらない水を拭き、準備を始めた。

 彼がいるのは、村の中で3番目に高いという、建物の屋上。背負ってきたシートのようなものを広げ、じっと夜空を見上げる。月や星は見えなかった。雲が分厚いからだと、彼は思った。

「これだから雲も、空も、死も、人も嫌なんだ」

 呟く言葉は、誰に知られることもなく消える。ただそれが半分以上嘘でできていることは理解できた。彼の空を見る眼はどことなく優しく、苦しそうだった。


 ――


準備の整った彼は、敷いたシートの中に入って膝を抱えた。

 しばらくして、空に流れる無数の青白い線の姿を、彼は涙の残る眼で見つめていた。

「始まった」

 彼は言った。線は闇の色に負けじと細くても強く輝き、降ってきた。

 それは星々が流れるように、雨が降るように美しかった。彼はしばらく見惚れていた。そして、その光の一粒がシートの上に落ちて、初めて彼は動きだした。

「綺麗だな、命は」

 シートの上に落ちた星は、ガラスが割れるような音をたて、砂となった。その砂はまるで生きているかのように――いや実際生きているのだが――光を強く弱く輝かせ、命を表現していた。

 彼はおずおずといった風にその砂に触れる。さらさら、と快い音がした。

「今日の生命は『女』」

 

彼は今、生活に関わる仕事をやっている。彼の生まれ、生きる村はとある所で命が降る村、とも呼ばれており、またその村でしか得られないものが存在した。

 それは何か。『砂糖』と『塩』だ。それもとびきり旨く、一級品のもの。それはどうしたら手に入るのか、ぜひとも欲しい。そう望む者に真実を知る者は、まずこう話を進めるのだ。

「村人は子を作らず、子の誕生を待つのだ」

 子を作らずして、どうして子が誕生しようか!口々に問いただす者に、答える。

「その村では、次々と落ちてくる水の粒のごとく、子が降ってくるのだ」

 そして続ける。初めはさすがに子の姿をしているわけではなく、白線のように流れ続ける。それは建物や地面にぶつかれば、形をなさず消失してしまうが、ぬくもりに触れられたなら――不思議な話だ。粒はゆっくり成長していき、子と姿を変えるのだ。その現象は7年に一度起こるという。興味深いのが男、女と交互に降るところだ。

「ではその旨い塩と砂糖は、いつ手に入る?」

 答える。村にはその命の雨を、砕け散る前に砂に変える術をもっている。ちなみに、村人を襲ってそれを奪っても意味がない。その隠された術は人を選ぶのだ。残念なことにな。



「たくさん、たくさん糖になれ。それから素敵に変身して、素晴らしい料理になれよ」

 これは必要とされなかった命の再生だと、村人は言う。ただ彼はそのたびに何故かひどくもどかしくなる。

 助けてやりたかった。生きる権利があるのに、死んだ数々の命を救ってみたかった。救世主になりたいわけではないけれど、この両手に抱えられないほど、重い命を抱えてみたかった。そんな気持ちがどこかで疼いていたからだろうか。

「生と死はむなしいもの」

 季節は秋。夜はよく冷える。何度か眠気が襲ってくるが、眠ってしまうとこのシートの効力が切れ、砂糖として形成されなくなる。彼は膝を抱え、唇を噛み締め、空を眺めた。

 


 積み上がっていく砂糖の山を、飽きずに観察していると、ひどく大きい音がした。地震が起きたことによる、地響きかとも思ったが音は、地面からは聞こえなかった。はっとして夜空に顔を向ける。そこには暗闇にも負けず、強く強く光を放出する輝きがあった。彼は目を疑った。あんなにも強く、そしてなにより藍の色を宿した命を、初めて見たからだ。

(ラピスラズリの色……どうしてあんなにも)

 

生命はか弱い。それなのに大きい光は小さくなることもしない。息をするのも忘れて考えていると勝手に体が動き出し、その光へと近づきだした。

「な、なんで!」

 奇妙な気分だった。足はすでに回転を速め、腕を勢いよく振り、駆け寄っていた。屋上には柵があったが体はすでに彼の命令を無視し、柵をよじ登り藍の光へ手を伸ばした。


いいかい、この仕事の大変なとこは、自分の体の一部でも雨に触れさせないことさ。人のぬくもりを知った命は、自分が愛されるためにいると勝手に思い込む。それも無意識に。だから決して命を生んではならない。私は、リオだけで充分だからね

 母の言葉を思い出し、必死の思いで自分の手を下ろし元の場所へ戻ろうとした。しかし体は鉛のように動かない。光は恐ろしい速さで近づいてくる。

そして光が中指の先にすれた瞬間、膨張し成長し始めた。そして、それはあっという間に収まった。どしん、と一体全ての重みが彼にのしかかったのだ。


「うわっ!」

 足が滑った気がした時にはもう、彼の体は宙に投げ出されていた。だんだんに近づいていく地面。彼は死を直感した。そして目の前の重みと眼があった。

 彼女はにこり、と笑ってみせたのだ。



――

 気がつけば、すぐに体中に痛みが走った。呻きながらも息を整えながら、起き上がる。その時左手が誰かに捕まっていることを知る。瞬間、顔色を変えて手を抜き出した。その色に赤みがかっていたのは何故だろう。

「なんで……」

 手を握っていた彼女は目を覚まし、眠たそうにこちらを見つめた。そして彼の姿を確認して微笑んだ。オウム返しに訊く。

「なんで?」

「君、生きてたのか……いや、その前に僕は生きているのか」

 辺りを見渡す。ここは病院だ。この消毒液の臭い、白いシーツ、ただっ広い部屋。間違いないだろう。しかし、よく考えてもみろ。自分がいた場所は母がうまく手配してくれた3番目に高い場所。そこから落ちて生きているはずがない。

「おかしい……」

「おかしい?おかしい、おかしい」

「うるさいな、少し静かにしてよ!」

 すると、小さな彼女はふる、と震えだし口を開いた。

「こわい」

 何が、と問いかけた時、扉が勢いよく開いた。

「この馬鹿息子!」

 母は腕に一杯の果物を抱えており、こちらへと歩み寄ってきた。彼女は母の手助けをするために椅子から立ち上がった。

「全く!この子はね、あんたをずっと看てたんだよ?それなのに可哀想に……怒鳴り散らすとはどういうことだ」

 頭を思い切りしばかれて、彼は涙を浮かべた。それを見て、彼女は悲しげに眉をひそめた。

「それに約束も破って。誰がどうして命を拾えと言った?下の子が欲しいならちゃんと話し合うと決めたはずだったけど?」

「違うんだ、それは……」

 といいかけて、止めた。というよりも喋ろうにもそこからの言葉が出てこないのだ。昨日から、体は言うことをきかない。何よりそれが気持ち悪かった。

 母は息を吐いて、彼女の頭を撫でる。

「しかし無事でよかった。普通なら絶対にありえないことだよ。何があったかは知らないが、本当によかった」

 きゃ、と喜ぶ彼女を横目で見つめながら、問うた。

「僕が地面に落ちてから、どうなった?」

「この子がね、大声で泣いたんだそうだ。それが遠くまで響く声だったらしくて、村人が飛び起きあんたを助けた。私はその頃、家で縫い物をしていたが、本当によく聞える声だったよ」

 彼の視線に気づいた彼女は、飛び切りの笑顔で応えた。その時初めて彼女の瞳に驚く。

「目の色が、ラピスラズリの……」

「そうなんだよ。珍しい色だ。私だって緑や赤があっても青はね――、見たことないよ」

 ともかくリオが誤りで拾ってしまった命。捨てるわけにはいかない。死にたくはないからね。という言葉に気をよくしたのか、母の優しい表情に応えたのかは分からないが、彼女は嬉しそうだった。

「名前はどうする?」

 すると彼女が急に高く、手を挙げて言った。

「ラズリ……がいい!」

 いいと思うよ、そう彼が言うと彼女は頬を火照らせ、彼に飛びついた。

 瞬間彼は心底驚き、拒絶の表情を浮かべながら彼女を突き飛ばした。しかし床に転ぶ彼女は嬉しそうに笑っていた。

「この馬鹿!」

 そして彼の頬にはくっきりと、指の跡が残った。


――


「ラズリ、はね、もっとたくさん知りたいよ」

「そう、それなら……リオと一緒に店を手伝ってくれるかい?きっとお望み通り、知ることができると思うよ」

「うん!ねえリオ、ラズリもいっしょ!」

 曖昧に返事をしながら彼は支度し始めた。彼女が我が家に来て、もう一ヶ月も過ぎた。しかし長いこと一緒に生活してきたかのように、彼女はすっかりとけ込んでいた。

 生まれた子はしばらく言葉を覚えるために、他人の真似をしていく。言葉を完全に使えるまでには、もう少しかかるが、他と比べると彼女は育ちの早い子だった。

 彼は両親がいるが、父親は各国を飛び回り、鉱石を探している。ので、あまり家にいることがない。それでも、彼の母はしっかりと夫を支え、生活も支えていた。彼の家は店を開いていて、主に鉱石、そして塩と砂糖を売っていた。ここらでは塩や砂糖は身近なもので、買う前に自分で手に入れることができるが、そのための設備を整えたりすることで、多くの金を使う。よって店で購入する方が賢い。

 しかし塩も砂糖も7年の月日が空く。その間の金を鉱石で稼ぐのだ。

「確かに、あんたのおかげでいい砂糖が手に入った。けど、それで安心すると身を滅ぼすよ!いつも通りに手伝っておくれ」

 ということで彼は休まず手伝いに出た。彼女は最初、女の子だからという理由で家で母を助けていたが、今日の言い分により彼と同じ手伝いをすることとなった。


「家にいた方が楽だと思うけど?」

 家を出た彼はそう言った。しかし彼女は首を振り、これ以上なく楽しそうに笑った。

「外、好きなの」

 そして彼の手を握った。彼は必死に振り払おうとしたが、彼女は負けるものかと力を込めた。

「抱きつくの、だめ。でも手くらい、おねがい」

「嫌だ!放せ、本当にこういうのは、だめなんだ!」

「どうして!」

「お、お前は知らなくていいことなんだよ!分からないふりでもしとけ!僕のことを察してくれよ」

「……どけち」

 先ほどの笑顔を一変させ、怒りをあらわにする。そして勢いよく手を突き放し、歩みを速めた。

「一人でどこ行くんだ」

「どけち」

「母さんだろ、それ言ってたの。真似するなって」

「どけち」

「……ごめん、でもおれ苦手っていうか、なんか体が拒否するんだよ」

 こんな答えで頷いてくれるとは思っていなかった。けれどこれ以上に表現することは彼にできなかった。そっと様子を窺うと彼女はすっかりご機嫌だった。

「リオ、まっすぐ?」

「あ、ああ」

「わかった」

 そう言って勇ましく進み続ける。途中、村人に声をかけられた彼女は可愛らしく微笑む。正直、よく分からない。彼は頭を悩ませた。機嫌の波が激しすぎる。

 ただそんな彼女を彼は嫌いと思ったことはない。あの能天気さを見ていると、優しく接してあげたくなる。助けてやりたくなる。どうやらそれは彼女と出会った人に共通して言えることのようで、改めて彼は感心する。

「ラズリはすごいよ」

「すごい?」

「褒めてるんだよ。いいな、って」

 そう?ラズリすごい?目を輝かせて何度も訊く彼女に微笑んでみせる。すると

「おお、ものすごく珍しいものを見たぞおれは」

 小太りの少年が目の前に現われた。彼は心の中で舌打ちをする。間が悪い。


「リオ、あの優しさに満ちた顔は何だ。おい、数少ない理解者にもあんな表情はできないものか。なあ」

「うるさいティノ。少し黙れ」

「ほほう、聞いたかそこのお嬢ちゃん」

 この調子でいくと、どうやらしばらくこの話でいじられそうだ。そう思った。

「ラズリだよ」

 何を言われようとも、名乗りを上げようとする彼女に少年は応えた。

「そっか、そっか!おれはティノというんだ。よろしくラズリちゃん。綺麗な眼の色だ、眼以外も素晴らしく可愛いけど」

 ティノは彼と同じ歳くらいで、彼とはまた違った雰囲気をまとう子だった。

「どういう意味?」

 ティノの流れ出る言葉についていけない彼女は、助け舟を求めた。仕方なく代弁する。

「褒めてるんだよこいつは。可愛いって」

「すごくだよ!恐ろしく可愛い」

「この女たらしめ」

 褒められてることに気づき、顔を赤らめ飛び切りの笑顔を送る。それに思わず苛立ちを覚えた彼は、だらしない顔をする友人のわき腹を思い切り突いた。

 呻き声をあげるティンを放っておいて、彼は目的地へと急ぐ。彼女は心配なのかティノの方へと駆け寄った。そんなことでさえ、完全に機嫌を損ねるのには充分だった。

 大丈夫だから、あれについてってあげて。そんな声が耳に届いた。



――

 たどり着いたのは草原でもなく、河原でもなく、あえて一言で作るなら石原。ただ石が一面に存在する。そんな所だった。村の外れというわけではなく、よく抜け道として使われる場所でもあったりする。

「さて、やりますか」

 彼は荷物から袋を取り出し、彼女にも持たせた。

「どうすればいいの?」

「探すんだ、鉱石を」

 説明するよりも早いだろうと、彼は見本を探した。そして一欠けら、緑の鉱石を掴み、彼女の目前で動かし、よく見せつけた。

「わあ、きれい」

「これを出来るだけ、探してほしい。ちっぽけだと思うだろ?これがなかなかいい値がつくんだ。色や大きさ、指定なしだ。ただ、鉱石でなければならない。期待はしてないから」

「きれいだったらいいんでしょ?」

 微妙なところだが、そういうことにしておいた。ティノが気持ちの悪い笑みを浮かべている。そして口を開く。

「ラズリちゃんも大変だよねえ、こんな面倒な男が家族なんて!今ならおれと交換できるよ、いかが?」

「ティノちゃんと一緒に家に住むの、いいよ」

 酷く拒否してくれると考えていた彼は、心底落ち込む。それを察したのか

「でも、リオは物知りなんだよ!」

 と嬉しそうに語った。それを耳にした瞬間、ティノは大いにふき出して、彼に殴られる結果となった。

よく言った!と、レオは単純なほどに、心中大きく笑ったのだった。



――


 しばらくは三人とも無言で、鉱石探しに精を出した。慣れた作業なので、余裕の色を見せているが、彼女は額に汗までかいて、必死に石をかき分けていた。

「大丈夫?」

「もちろん、だよ」

 手を止め二人の動きを観察する。かがみ込んだ彼らは、そっと石を払って重なって現われなかった姿を確認し、袋へ放り込んだり、場所を変えたりする。ただ、その行動の速さが普通ではない。


 石原には他にも何人かの子供や大人がいたが、やはり誰もが素早く分別し、たくさんの鉱石を得ていた。


 しばらくして、結構な量の収穫を得た彼らは、自分の獲物を自慢し合う。

「見ろ、これはきっと銀だ。今日は良い日だな」

「ところがどっこい。おれのはジェイドだな。これは西の方で良い値で売られる。ついてるなあ」

「ちょっと待て。それなら……」

 様々な色の宝は彼女を釘づけにするのに、充分すぎるものだった。つま先立ちになってまで手元を覗く姿は、危なっかしいが彼女はそんなこと、考えもしなかった。


「そうだ、おれはこれが終ったらすぐ帰るよう言われていたんだ。どうやら今日はごちそうの予感!」

「どうして?」

「今日はおれの誕生日だからだ」

「本当?おめでとう!」 

彼女は自分のことのように祝った。ティノは照れ隠しに彼女の頭をかき回した。ありがとう、と一言呟いて去っていった。


「たんじょう日、すてきね」

「そうだな。おめでとうティノ」

「ね、これからどうするの?」

 どうしようか、と言いながらも考える仕草は一切なく、石の上に座りこんだ。彼女も一緒になって座る。

「いいか、石っていうのは生きてるんだ」

 そう言って始まる彼の話を興味津々で聞き入った。彼女は物知りな彼を誇りに思っていたし、自分も彼にたくさんのことを教えてみたいとも思っていた。   

しかし彼女はあまりにも無知すぎる。だからたくさん考えて生きてみたい。難しいことはまだ分からないが、半熟の心でも、それが大きな柱となって生きていた。


「これ、触ってみな」

 差し出される小石をぎゅ、と握ってみた。とても冷たくて、存在感があった。しかしその状態を続けていると、石の体温は温かくなってきて、一体化しているように感じられた。続きを催促するように彼を見上げると、今度は袋の中の鉱石を手のひらに載せられた。

「どう?」

「さっきと同じ……」

 これが答えでいいのか、不安に思っていると彼は声を大きくした。

「そうなんだ。これが石の生きてる証拠なんだ。

例えば、鉱石を混ぜたガラスや磨かれた鉱石は、冷たくない。生きていないんだ。でも、こういう風に外で呼吸をすることでここの石たちは、生きている。  

作られた石は、これは僕の予想だけど、息がつまって死んだんだっておれは思う。人に美しいと思われるために死んだんだ。鉱石だけならまだしも、人間だってそういう美で身を滅ぼすやつがいる――」

彼の表情がだんだんと硬く、酷く怯えたようになっていく。視線が忙しなくぶれる。

「リオ」  

「どうして、そんなことで死ねるんだろう」

 たまらず、その場にうずくまる。大丈夫、いつものやつだ。そう口を動かしてみたが、隣に伝わったか定かではない。一緒になってしゃがんでくれる彼女にそっと呟いてみた。

「金とかそういうものがおれにあったら、たくさんの命を救えたのにな。もっと金が欲しいよ」


「……ほしいの?」

 しゃがんだ彼女と目が合う。そしていつもと違う雰囲気に戸惑う。おかしい、何かが。そこに考えがいたって、はっとした。

「目の色が――」

 ラピスラズリの美しい藍が、金の色に埋め尽くされようとしていた。しかしその目もまた強い輝きを持っており、思わず見惚れる。

完全に両目が金に飲み込まれた時、彼女の意識はもはやどこにもなかった。そのことに気づけたのは、体の奥から発せられる危険信号によるものだった。  

危ない。ここから離れろ。それを理解しながらも動かなかったのは、足がすくんでいたからか。それとも――。


『始まることへの注意』

 どこかで言葉が聞こえた。しかし彼は目前の状況で精一杯だった。

 辺りの石という石が全て、金しかも見るからに質の高そうなものばかりに変身し、塊となりその場に溢れんばかりとなった。その塊はゆっくりと背を伸ばし、彼や彼女を抜かすと、目標を失ったかのように止まった。

全ての金が同じ高さにまで成長すると、彼女は目を閉じて荒々しく呼吸した。そしてそのまま倒れそうになるが、ぎりぎりの所で体をひねり、彼の横へ倒れこんだ。

「ラズリ、どうしたんだよ!返事をしろ!」

 彼女は薄く目を開けて、青い瞳で辺りを見渡し言った。辺りには金と彼らしかいなかった。しかし彼女は満足そうに、

「きん。たくさんあるねえ、リオうれしいでしょ?」

 そう言って意識を遠のかせた。



――

「母さん!どうしよう、ラズリが!」

 背負られている彼女を見て、驚きつつも母は事の起こりを問うた。



「両目が金で、石ころも金、と。――ともかく本人に訊いてみるのが良いかもね」

 冷静そうに見える母の姿に、彼はひどく狼狽した。

「どうして、平気そう?僕、どうして何でか分かんなくて……」

「らしくないね。分からないことが存在するのは当然だって。私いつも言ってるよね」

 それでも何かを伝えようとする彼を母は苦笑した。

「もう状況は把握できたから、大丈夫だって。世の中、そういうことが起こってもいいんじゃない?ほら、あなたが好きな不思議でしょ。ラズリは大丈夫だと思うわよ」

 息もしてるしね。最後の言葉にやっと安心できたのか、ゆっくり呼吸を整え始める彼を母は珍しそうにしていた。

そんな視線に少しも構う余裕がない彼は、ずっと心配そうに彼女を見つめていた。



「リオ……!」

 勢いよく起き上がった彼女がはじめに目にしたのは、自身の母あった。


「はい、おはようは?リオは金を回収しに行ったよ。ずっと動く気配がなかったんだけど渋々、ね」

「おはよう、母さん。ね、わたしも行っていい?いいよね?」

「今行くとすれ違うと思うよ。ゆっくりしてらっしゃい」

 それでも頷かない彼女に笑みがこぼれる。

「リオが帰ってきたら、ちゃんと笑うこと。本当、変に焦ってたのよ。どうしてかしらね」

「あせる?驚いたってこと?それって、つらい?」

「驚いてどうしていいのかわからないってことよ。人によれば辛いかもね」

「じゃあ、わたし謝らなきゃ」

 真面目な顔つきでベッドから飛び降りる彼女に厚めの服を着させて、出来たてのご飯をつまませた。

「今は少しにしておくのよ、あとでまた食べるから」



 しばらくして、袋一杯の金を両手に抱えた彼が帰ってきた。口いっぱいに果物をほお張る姿を見て、彼は安心するやら、怒りが込み上げるやらで表情が忙しなく変わる。

「何だ、元気そうじゃないか。急に倒れるから、家まで運んだんだぞ」

 やっと口をついて出たのが、皮肉めいた言葉で心底がっかりする。もっと気のきいたことを言えば良かった。と、後悔する。しかし、相手は気にする様子もなく、

「ありがとう。あとごめんなさい」

素直に謝罪と感謝をされた。ここまで丁寧に言われると、なおさら後悔してしまう。

彼は照れ隠しに彼女の隣へ座り、果物を一切れつまんだ。溢れでる甘い果汁が舌を十分満足させた。

「母さん、もう大勢騒いでいたよ。きっともう金はなくなるな」

「そうかい、そのわりにはたくさん持ち帰ったね」

「うん。皆、金を大きく砕くことに必死だったんだ。おれは小さな欠片だけを山ほど貰ってきた」

 さすが、という褒め言葉には一切赤くならない彼は、そっと隣を見た。

「――本当に、もう大丈夫なのか」

「……リオは心配しやすいの?」

「別にそういうわけじゃないけど……!」

「ラズリはもう、だいじょうぶなのです」

 そう言って明るく笑顔を向ける。その笑顔に救われた気がするのは、勘違いではないだろう。

「さて、今日はご馳走だね!」

 母は嬉しそうに笑った。母の笑顔が彼は好きだった。



――

 普段よりも非常に多いこづかいを貰い、貯金と相談した結果、浮いてきた金があったので、彼女を連れて出かけることにした。

「リオ、どこいくの?良いところ?」

「駄菓子屋だよ」

 しばらくして着いたところには、多くの子供たちが賑わい、実に美味しそうに何かを口にしている風景があった。大きな看板と置物が印象的な店は、子供受けのするような可愛らしい絵などが、その場の雰囲気を作っていた。

 子供たちの中には彼に声をかけてくる者もあり、彼はちら、と手をあげて応えた。

「ずっと前の友達」

「今は?」

「今は違うよ、状況が変わったんだ」

「またむずかしい言葉使う!わかる言葉にして」

 でもそれ以上にぴったりな表現はないからなあ。彼は苦笑しながらも、店の中へと入っていく。彼女も後を追った。


「ソアラさん、いる?」

「いるわよ。あら、リオじゃない!久しぶり」

「久しぶり」

 背の高い、髪の長い女性は目を細めた。店内は色々なお菓子や、まだ見たことのない遊び道具が山ほど並んでおり、好奇心という好奇心をくすぐった。彼女は身近にあった人形を手に取った。決して可愛くはないが、面白い。

「ここはこんなのばっかりなんだ」

「変なの!この子笑ってるよ」

 くす、と微笑む彼女を見て、ソアラと呼ばれた店員はさらに目を細めた。


「その笑い方、いいなあ。子供の特権だよね」

「……だれ?」

「私はソアラ。ここの店番をしている者です。子供が好きです。あと好物はそこにあるファンシービスケット。お一ついかが?」

「ラズリっていうの!ね、これは何?これは?」

 そうやって、次々に質問を重ねていく彼女にソアラは丁寧に答えていった。その間にお目当ての物を購入し、声をかけた。

「ラズリ、帰るぞ」

「え?もういいの」

 ほら、と小さな手のひらに袋をのっけてやる。そこから漏れる匂いに彼女は目を輝かせた。ソアラが横から入って説明する。

「これ、おすすめのやつよ。さっき言ってたビスケット。飛びっきり美味しいからすぐになくなっちゃうの。でも今日はラッキーね、ラズリちゃん」

 彼女は足音軽くその場を去った。店の周りは子供でいっぱいだったので、場所を鉱石の落ちている所へと移した。彼らはよくそこへ足を運んでいた。

 そこにはあまり人がいないはずだったが、人気が多かった。金のせいだと彼は思った。きっと全てのものを採ってしまったに違いないのに、地面を一生懸命に掘って金を探す姿は、どこか馬鹿らしい気さえしていた。

 人から離れた、適当な場所に陣取り、彼は袋を開けるように指示した。

「いいにおい。ビスケットって美味しいの?」

「まあ、食べてごらんよ」

 その言葉通りに口にする彼女は、一瞬感激したような様子だったが、すぐに一変し、どこか不味い物を食べたかのように眉をひそめた。

 どうした?と心配そうに問うと、彼女はとても辛そうに呟いた。

「……これ、もともと何?」

ビスケットを持つ手を力無く垂れさせて、彼女は涙した。

「これ、ラズリ思うんだけど……、生きてたものじゃない?」

 生きていたもの、というと卵などのことを指しているのかと思ったが、よくよく考えれば、母の作る料理にも卵という、生きていたものが使用されている。

 そして分かった。彼女は『糖』のことについて発言しているのだ。しかし、これもまた母の料理に入っているはずだ。

「……糖が、嫌だったのか?」

「わからない、糖って何?」

 あの、甘いものだよ。そうゆっくり分かるように言うと、さらにけげんな顔をされた。

「あまいって何?ラズリはじめて、食べたよ」

 言って、声もあげずただ静かに涙する彼女に、彼はどう接していいのかわからなくなった。元々女の扱いに長けているわけではない。どちらかといえば苦手意識さえある彼に、今の状況をどうにかすることなどできなかった。

「どう、してほしい……?」

 途方に暮れているときに、耳につく高音が聞こえた気がした。


「リオじゃないか!」

 ティノはこちらに手を振って合図する。それから、駆け寄って弾んだ息で話し出す。

「良いとこに!聞いたか。金が、金が出たらしいぞ!それもものすごいたくさん。おれも今から採りに来たとこで――」

 そして彼の隣にいる少女の変化に気づき、戸惑いつつも、そっと近寄って慰めた。

「大丈夫?ラズリちゃん、どうしたわけ?……というか、リオは役にたたないな……、一緒にいたんだろ?本当、がっかりだよ」

 本当にティノの言う通りだった。助けが来てくれなかったら、きっと事が終わるまで何も出来なかったに違いない。

 彼女はゆっくりと呼吸を整え、泣きやみ方を理解したらしく、少し微笑んだ。

「ありがとう。ラズリ、分からなかっただけなんだ」

「泣きやみ方が?まあ、そうやって女の子は綺麗になっていくんだろうね。どういたしまして」

 こちらに向いた視線に彼は重々しく頭を下げた。

「……ほんと、ありがとう」

「何言ってんだ、お前。ラズリちゃんの保護者か何か? ラズリちゃんはしっかりした女の子だよ。……というかお前が原因だったりしないだろうな」

 そう言って彼に近付くティノは勿論、そんなはずあるわけないと踏んでいたし、お互いに分かり合っていたのだが。

彼女だけは驚いたように二人の間に割って入った。

「悪くないよ、全然!」

 それにふき出したティノに連れられて彼もまた笑った。おれらはお互いの理解者なんだよ。そう教えてもらっても、今ひとつ飲み込めなかったが、一緒になって笑った。空には月が浮かんでいた。


――


「ただいま」

 いつもの挨拶、いつもの返事、が今日は返ってこなかった。遅くなってしまったから、怒っているのかと最初は思ったか、明らかに雰囲気が違った。何かがおかしい、彼は中へと駆け出した。

部屋の中では母がじっと椅子に座り、一心に机を見つめていた。暗くなってきた中では、頼りないろうそくの火がぼんやりと照らしていた。近付いていくうちに母が見ている存在を知った。決して机を見ているわけではない。それは、真っ黒の封筒だった。

しばらくしてそれが意味することを理解し、立ち尽くした。追いかけかけてきた彼女とぶつかった。不思議そうにしている彼女はおずおずと問うた。

「どうしたの?何が起こったの?」

 母はしぼり出すような声で呟いた。口が動くのを目にした瞬間、彼は家から飛び出していた。


「父さんが、死んだんだよ」

 唇を噛み、必死で泣くまい、とする姿が痛々しかった。



――

彼女は母も心配だったが、他の何よりも彼のことで頭が一杯だった。すぐ帰ってくるから、と言い捨て、後を追った。暗くとも町人はまだたくさんいて、彼の姿を探すことは困難だった。もはや人に訊くことしか出来ないことに苛立ち、彼女はがむしゃらに駆けた。心当たりのある場所――駄菓子屋、石原、市場を当たったが、どこにも彼の姿は見つからなかった。

仕方なく別の場所へ足を向けた。町の公園を過ぎた時。ちょうど、熱心に会話しているティノを捉まえることが出来たのだった。


――

「ティノさん、リオを……」

息荒く咳き込む彼女をティノは、先ほどのように肩をさすってくれた。驚きを隠せないながらも、彼女が落ち着くのを待った。

「リオを……知らない?怖い顔で、どこか行っちゃったの!」

「知らないよ。ぼくはこいつと会っちまってから、ずっとここにいたけどなあ」

 質問にはあいにくの答えが返ってきた。こいつ、と指差す先には、元彼の友達がいた。何となく複雑な気持ちになって、それから自分の使命を思い出し、去ろうとしたその時、

「あいつ、また急におかしくなったんじゃないか?」

 友達が言った。彼女はそうなのだと勢いよく頷くと、やっぱり、という声が漏れた。どうして知っているのか。彼女は不審に思って訊いた。

「ね、教えてわたしに。行かないといけないけど、その前に分からなきゃ、リオのこと。そうじゃないと慰められないから」

 真剣な目をした彼女に、渋々と話し始めた。その内容がどんなだったのかは、彼女らの心に秘されてしまっている。



――

 彼はしばらくしてから、家へと戻った。が、母の変わりない様子に、そして彼女の姿が見えないことに、焦りを感じた。

「ラズリなら……出て行ったよ、少し前に。入れ違いね……」

 訊いて出て行こうとした彼に、呼び止める声がかかった。入れ違いになるから、出て行かないほうがいい。そう伝えるものだと思っていた。違った。

「ね、生命の雨は、次はいつになるのかしら。最近はいつにあったっけ」

 彼は心底困惑した。

 生命の雨はもう随分前――彼女と出会った、生まれた日が『女』で、彼が意識をとばしていた間に『男』が降っていたはずで。何よりそのことは自分よりも心得ているはずだった。

「母さん、雨はあと7年は待たなきゃ、降らないよ」

「そう、7年。――遠いわね、あの人からは」

 一瞬全身の感覚が全て消えてしまった気がした。寒気がする。知ってしまった、また。母は弱々しく、しかし鋭い目でこう告げた。

「あの人は死にません。よみがえるのよ」

 心臓の音が絶えず響いた。彼は状況を何とかしたくて、苦し紛れに叫んだ。

「人は、人は決してよみがえったりはしない!母さん、知ってるだろ?ばあちゃんが死んだ時、そう言ったじゃんか!寂しくなるけど、戻ってきはしないから、って。どうして……!」

 母は勢いよく立ち上がり、彼と向き合った。 

「いいえ、リオ。あの人はよみがえるわ。待ってらっしゃい、すぐにあの人が帰ってくるから。あとほんの少しの辛抱よ」

 どんな言葉も通じないことを悟ってしまっても、彼は口を開き続けた。胸が痛かった。どの場所よりも胸が、一番痛かった。そっと言い聞かせるように静かに呟いた。

「母さん……、雨に父さんを望んだって、中身は全然違う。別物なんだよ。僕にはわかる。人は終わりある命を宿していて――」

 右手を大きく振り上げた母は、恐ろしい形相で、そして力の限り彼をぶった。外の痛みが頬に突き刺さるようだった。それでもここを動きはしなかった。

母の思いは全くもって賛同できるものではなかったが、それでも苦しんでいる

のに、放っておくなど毛頭なかった。

「母さんも、皆もおかしいよ」

「黙りなさい!」

 これで母の苦しみが和らぐものならば、いくらでも受けようと思った。歯を食いしばりつつも、母をぎっと見据えた。


「母さん」

 よく響く声が真っ直ぐ耳に届いた。はっとして振り返ると、彼女はすぐ隣にいた。藍の目は一点を見つめたまま放さない。

 彼女はわざと前に出て、彼に顔を見せないよう、死角を作った。

「母さん」

 呼ばれて、小さな体に視線を移すと小刻みに震えているのが分かった。一瞬恐怖のためかと母は笑うが、彼女に浮かぶ表情を見て、誤解であったのだと知った。

 彼女はこれ以上無いほどに怒り狂っていたのだ。華奢な手を思いきり握り締め、決して動かない、重たい視線。その視線に蹴落とされそうになりつつも、無茶苦茶に怒りをかき集め、言葉を紡いだ。

「何、あんたも私に歯向かおうってわけなんだろう?」

「」

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瑠璃 夢を見ていた @orangebbk

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