第23話 明星の下で

 まだ西の空には明るさが残っているものの、既に太陽は沈んでしまっていた。あと15分もすれば東京は漆黒の闇に包まれてしまうだろう。そうなってしまったら、彩奈を攫ってしまった赤髪のジャックを探し出すことはできなくなってしまう。


 この緊急事態に眼鏡娘(坂崎澪)は狼狽える。



「ど……どうしよう石見さん」



 蒼汰は急いで発電機を抱え、塔屋のドアの前に積み上げた。ジャックを追いかける前に屋上の安全を確保しなければならなかった。(屋外階段の方はまだ超えてきてはいないので、問題ない)


 

「な……なにをしてるの!?」


「下の階にはまだゾンビはいるから絶対に開けるなよ。気をつけろ」


「え……まだゾンビが?」



 扉の後ろからゾンビ達のうめき声が聞こえてくる。さらに扉を叩く音も激しくなってきた。子供達の顔が青ざめていたが、もう行かなければ間に合わない。



「奴らの相手は後だ。俺は彩奈を探しにいく。今なら間に合う」



 柵をまたぎ、急いでジャックを追いかけようとしたのだが、蒼汰の袖を澪が掴んでしまった。



「お……お願い!もうどこにもいかないで」


「バ……バカッ!時間がねーんだぞ、邪魔してんじゃ……」



 だが澪の目からポロポロと涙がこぼれ落ちているのを見ると、それ以上は責める言葉が出てこなかった。



「だって怖いの……もう私達だけにしないで。お願いだから……」



 じっと目を見つめて懇願する澪の頬にはゾンビの血肉がまだついている。彼はそれを静かに親指で拭った。



「行っちゃうの、石見さん……」


「すぐに戻ってくるよ。それまで2人を頼むな」



 涙目の澪に少しだけ笑顔が戻る。彼女はようやく蒼汰の袖から手を離した。



「じゃ……じゃあ約束ね!早く戻ってきてね。約束破ったら……」


「針千本な」



 3人に背を向けたまま右手を上げると、一気に加速して隣のビルの屋上に飛び移った。そしてまた別のビルの屋上へ跳躍。



──赤髪のジャックは彩奈を担いでる。どこに逃げようとも今の俺なら追いつける!



 ビルの上を飛び移りながら、近隣で一番高いビルの屋上へと到達する。そこから見渡せば、静まりきった大都会が一望できるはずだ。だが巨大な街から赤髪だけを探すのは至難の業だった。



──ちくしょう、やっぱ分かんねえよ!ビルしか見えないぜ。



 日は沈み、どんどん周囲が暗くなっていくので焦る気持ちが強くなる。1秒を争う状況の中で、蒼汰は必死に街並みの変化に集中しなければならない。



──落ち着け!景色はどうでもいいんだ。動いてる部分だけに注目しろ……。鳥に惑わされるな。動きは放物線のはずだ。


 

 限界まで集中していると、ついに放物線状に動く物体を発見できた。

 



「いた!赤髪の野郎だ」



 ギリギリのタイミングだった。


 場所はここから北東に5キロは離れた大通りを、通りを挟むビルとビルとの間を飛び跳ねるようにして動いている。そこを赤髪は彩奈を肩に乗せ、片腕で抱えながら移動中だ。



 かなり遠いがまだ追いつける範疇だったので希望が持てた。



「よし……」



 屋上を走り抜け、200メートル近い高さの高層ビルから躊躇なく飛び降りる。凄まじい速度で跳躍したので、着地した時にはもう900メートルは進んでいる。あとはひたすら車道を走って赤髪を追いかけるのみ。



「待てぇぇっ」



 走っても走っても、まだ加速できる気がした。放置された車や電線が邪魔だったが、それでも速度は上がっていく。高層ビルの屋上から飛び立って僅か1分で、逃げるジャックを視界に捉えることができた。



「逃げてんじゃねえええ」




 蒼汰の声に気づき、赤髪は後ろを振り返った。



「あ……あのガキ。もう来やがったのかぁっ!嘘だろっ」



 とっくに安全圏に脱出できたと思っていた赤髪は、背後から迫ってくる男に驚愕。



──まずい!あっという間に追いつかれちまうぞ。



 赤髪はビルの間を跳躍するのをやめ、彩奈を担いだまま地上に降りた。そして意識のない彩奈を路面に座らせると、街路樹に背中をもたれさせる。その狙いは蒼汰は察知し、攻撃を諦めた。



──くっ。あの野郎!



 急ブレーキをかけて止まった蒼汰と、赤髪ジャックとの間の距離は約20メートルはある。ゾンビは蒼汰を睨みながら、残った手で彩奈の首を掴んで警告した。



「こ……これ以上、オレに寄るんじゃねえぞ化物め……。彩奈の喉を引き裂かれたくかったら下がれ」



 これ以上近づくならば彩奈の首を潰すというメッセージらしい。脅しなら良いのだが、赤髪は彼女を殺すことになんの躊躇いもないだろう。

 


「はぁ……はぁ……。やっぱりそうくるのかテメーはよ。あれだけ威張り散らしてて人質取るたぁ、情けなくねーのか」



 警告に従った蒼汰を見て、赤髪は自分の優位を確信できた。



「クックック。もう少し逃げおおせれば東京は暗闇なんだぜぇ?そしたらいくらお前でも手が出ねぇよな。これぞ神のご加護ってやつだよ〜」



 都心が漆黒の闇に包まれれば、蒼汰がいかに速かろうが、路地裏に隠れられだけで赤髪を発見できなくなってしまう。



「これから最高のディナーを味わえるってのに、お前みたいな化物に捕まってたまるかよ。こんないい女を手放せるかって。フヒヒヒ」



 蒼汰の目に、かつてないほど憎悪の光が宿る。



「分かってるだろうなジャック。それ以上、彩奈を傷つけたらテメーはとんでもねえ死に様になるからな」



 一瞬だけ恐怖を感じた様子の赤髪だったが、すぐに余裕を取り戻してしまった。




「へっ。へへへ……。だからお前が下がればいいんだよ。ギュウッとやっちゃうぞ?」




──こ……こんのクズ野郎め。



 頭に血が上ってしまったが、それは行き場のない怒りとなった。なにしろ先に攻撃に出るにしても、赤髪が彩奈の首を潰す前に倒すのは厳しい。これでは逡巡せざるを得ない。



「やっぱり動けないな……。下がれよもっと。ふはは!何も考えずに追いかけやがって……。ちったぁこうなることぐらい予想しろよぉ〜」



 ここで動かなければ彩奈は絶対に殺される。だが万が一先に喉を潰されてしまったら彩奈はこの場で殺されることになる……。



──クソッ!どうすれば……。何か手はないのか。



 赤髪は徐々に増長しはじめる。



「これでサヨナラってわけじゃねえから安心しろよ。彩奈を食ったら、またお前らの仲間を襲ってやるからな。俺様の恐ろしさを嫌と言うほどに分からせて……」



 だがその時、赤髪ジャックの顔に裏拳が炸裂した。



「うがぁっ。な……なんだ」



 不意に下から振り上げられた裏拳に狼狽する赤髪。その裏拳の主は彩奈だった。

 


「彩奈!」



 彼女は意識を取り戻し、一瞬の隙をついて下から裏拳を入れたのだ。決して大きなダメージを赤髪に与えたわけではないが、絶対的に優位に立っていた赤髪を怯ますには十分だ。



「人の首に……触らないでよ……。バカゾンビ……」


「こんのアマ……何度も何度も俺様をコケにしやがって……。もう勘弁ならねぇ殺してやる!」



 しかし一瞬で蒼汰が目の前に迫っていた。さすがの赤髪も隙を突かれて呆然としてしまう。



「あ……」



 距離を詰めた蒼汰は、ゾンビの胸に全力で正拳突きを入れた。



「どっち向いてんだテメェは!!」



 蒼汰の腕に貫かれ、ジャックの肺の破片が路上に飛び散っていく。



「グゲェェェェッ!てっ……てめえ……」



 すぐに腕を引き抜くと、今度はアゴを蹴り上げる。



「しぶてぇなテメェは!」


「ぐぇぇっ」



 上空にふっ飛ばされたジャックの体は30メートルは舞い上がり、放物線を描きながら落下していく。しかし地上に衝突する直前に、蒼汰は全速力の飛び蹴りを決める。




「吹っ飛べぇぇ!」


「がはぁっ」




 くの字に折れ曲がったジャックの体は、猛烈なスピードで車道を水平に飛んでいく。100メートルほど飛んだあとに、ガスローリーのタンク部分に突っ込んだ。激しい衝撃によって分厚いタンク内の鋼鉄の壁は破壊され、中から液化アルゴンが噴き出し、猛烈に気化しはじめる。



「や……やべぇっ!」



 赤髪にトドメを刺そうと追いかけていた蒼汰だったがとっさに下がった。(下手すれば窒息し酸素欠乏症になる恐れがある。これは非常に危険だった)



 噴き出す液化アルゴンを浴びながらも、赤髪ジャックはタンクから身を乗り出す。



──まったくしぶとい野郎だ。やっぱゾンビには酸素欠乏症も関係ないってか。



「き……貴様ら……。覚えておけよ……今は諦めて闇に紛れて逃げてやる。だが絶対に復讐を……」



 怒りに燃える赤髪だったが、既にその体の表面は沸騰する液体アルゴン(沸点マイナス185℃)によって凍りついている。しかし痛覚のないゾンビには己の体が凍結していることが理解できていないらしい。



──え!?な……なんだよこれは。妙だぜ、手が動かねえ。



 ジャックが無理に指を動かそうとすると、指は折れてパラパラと地面に落ちていく。



「んなっ!俺の指がぁぁ」



 目が飛び出すほど仰天したジャック。危険を感じてタンクから逃げようとするが、次に足が動かなくなる。自分の体が動かなくなっているという恐怖を前に、あろうことか赤髪は蒼汰に救いを求めてしまった。



「な……なあオイ、兄ちゃんよ。一体、な……なにが起きているんだ?教えてくれ、このままじゃ……俺はどうなっちまうんだよ。俺は不死のはずだろ!?」



 尋ねられても蒼汰は困る。



「俺が知るかっ!」



 動けなくなった赤髪に、タンクから容赦なく噴き出し続ける液化アルゴンがかかっていく。溢れ出す液体はどんどん気化し、通りが白いモヤに包まれていく。



「そ……そんな。目がっ凍ってる……うぎゃぁぁぁ俺の体がぁぁぁ!た……助けてぇぇぇぇ」



 風が吹き、白いモヤが飛ばされてしまうと、そこには完全に凍結してしまった赤髪のジャックの姿が残されていた。腕を伸ばし液化アルゴンから逃れようとする姿勢のまま……。



 どうやら勝負はついたようだ。これでもう恐ろしい悪魔に狙われないで済むと、蒼汰は額の汗を腕で拭った。



──ふうっ。マジでやばかった。



 凍った路面を進み、凍りついた敵の顔の覗き込むと恐怖に満ちた表情で固まっている。



「ケッ。断末魔な顔してんなオイ」



 とは言え、このまま常温になって解凍されてしまうと赤髪は復活してしまうかもしれない。念のためにそばに寄ると、軽く蹴りを入れる。


 パリン、ガシャン……と良い音がした。

 

 凍結した赤髪の体は路上に倒れると腕はもげて3つに割れる。されに首に亀裂が入り胴体から切り離され、頭部だけがゴロゴロと転がっていく。それは歩道の縁石にぶつかり4つに砕け散った。念を入れて、蒼汰は凍ったジャックの頭や胴体の欠片を適当に蹴って散らし、二度と復活できないようにしておいた。怒りを込めて徹底的に。



「よくも彩奈を殴りやがったな、この野郎!地獄で死ぬほど反省してやがれボケナスッ」




 これで本当に終わりである。溶ければ細切れになった肉片がネズミ達の餌にでもなるだろう。赤髪の消滅を見届けると、蒼汰は急いで彩奈のそばにかけよった。しかし彼女は街路樹にもたれたまま、目を瞑って動かない。



「大丈夫か彩奈?赤髪ならもう死んだ。だから安心しろ」



 しばらく声をかけていると、蒼汰の呼びかけに反応して彩奈は目をあけた。だが朦朧としていて、相手が誰なのかも分かってない様子だった。



「貴方は……誰?貴方もゾンビなの?」



──そりゃそうか。いきなり墓から俺が助けに来ただなんて、想像できるわけないよな。



 そこで蒼汰は少しおどけてみることにした。──全く似合わないのだけれど。



「ジャジャーン!石見だよ〜ん。彩奈は俺のことを死んだと思ってたろ。実は生きてたんだぞ。驚いたか」


「まさか……。だってあの人は死んじゃったのに」



 虚ろな表情でじっと顔を見つめる彩奈。しかし見つめる内に、それが本当であることを少しずつ確信していく。微笑んだ彩奈の目に涙が浮かんだ。



「本当に?」



 蒼汰がコクリと頷くと、ボロボロなのに手を伸ばして彼の頬に触れる。



「本当に蒼汰さんだ。良かった……生きてて」



 自分の事より蒼汰を優先してしまう彩奈に、返す言葉が出てこない。それに何か言おうにも、涙声になってしまうだろう。


 

──まさかこの状況で俺の方が心配をされてしまうとは……。心配してるのは俺の方なんだぞバカヤロー。



 蒼汰は彩奈の体を抱き上げる。



「きゃっ」


「まあ……話すことは一杯あるんだけどさ。とりあえず皆のところに帰ろう。結構、待たせたから澪の奴は怒ってるぞ」



──やっぱりこうだよな。女子高生にお姫様抱っこされるよりはするに限る。



 慣れない体勢に少し戸惑っていた彩奈だったが、すぐに蒼汰の首に手を回して微笑んだ。



「たまには……抱っこされるのもいいかな」



 見上げれば、紺色の夕空に輝く宵の明星が綺麗だった。ここはゾンビの彷徨く死の街なのだが、今だけは滅びる前の美しい世界に戻ったような……そんな風に蒼汰には思えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゾンビをまとめて鉄拳で粉砕!超ゾンビバスターSpecialエキサイティングversion☆ ぺんぺん草 @dcv7szjaqpvnrug43sjagw7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ