おいしい記憶

丸 子

おいしい記憶

小学校へ入学すると同時に自宅が建つまでは祖父母の家に住んでいました。自宅は小学校から離れていましたので、放課後は働く母が帰るまで変わらず祖父母の家におりました。

放課後の遊び場は祖母が友人と話す炬燵の傍で、祖母とその友人が食べている和菓子なんかがおやつでした。私がチラシの裏に絵を描いたり宿題をしていると、祖母の友人がよくティッシュをお皿代わりにして私に和菓子を分けてくれるのでした。

そんな日々の中での御馳走は祖母が作ってくれる「うす焼き」でした。

小麦粉を卵と水で溶いて、中に薄く切った薩摩芋が入っているのが私のお気に入りでした。

祖母はほうとうも自分で手打ちしてましたから、粉物をよく捏ねている姿を今もすぐ思い出すことができます。祖母の作るほうとうも水団も美味しかったです。

母の帰宅が遅いと祖父母の家に泊まることもありました。

祖父は農家から預かった農作物を市場に持っていく仕事をしておりまして、まだ夜が明けきらない暗いうちから家を出て市場に向かうのが週に数回ほどありました。そんな祖父に一緒に付いていくこともありました。軽トラックの助手席に乗せてもらうと特別な気分になりました。市場に着くまで眠っていることが多かったのですが、助手席にいると市場の人から声をかけられたり祖父の「小さな助手だ」と言われて、自分が大人になったような気になりました。そうして最後に祖父が「ご苦労さん」と言って必ずココアを買ってくれるのでした。自動販売機で売っているカップのココアで、どこにでもある普通のココアでしたが、祖父から手渡されると誇らしく、ただ助手席に座っていただけなのに自分も一仕事終えたような気になるのでした。

市場では、たまに麩菓子も買ってもらいました。周りがピンク色の砂糖でコーティングされている棒状の麩菓子で、一本ではなく大きな袋に入っているものでした。今にして考えると、市場なので業務用の大きな袋しかなく、それを祖父は買っていただけなのですが、サンタクロースが持っているような大きさの袋を肩にかけて歩いている姿は、あの頃の私には祖父がサンタクロースそのものに見えました。きっと真ん丸に開いた目を輝かせて助手席の窓から見ていた私の顔を見るのが祖父の楽しみの1つだったのだろうと思います。

私の幼い記憶、そして懐かしい味は祖父母の象徴です。「食が人を作る」と言いますが祖父母の記憶が今でも私の中で生きていて、未熟な私を母親にしてくれています。娘が小さい頃、私もおやつにうす焼きを作りましたし、麩菓子は娘の大好きなおやつです。食の記憶が繋がって大きな大きな樹となり今後もずっと育ち続けていくことでしょう。そう願っています。

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おいしい記憶 丸 子 @mal-co

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