第46話 左兵衛督

 戦場には敵味方合わせて六千を超えるの大軍がひしめき、血みどろの激戦をつづけている。

「竜子は達者でいるかのう? 内蔵助」

「彦太郎がお側に控えおります。城井殿との間を万事遺漏なく取り持っておりましょう」

 種実の赤みのさした油脂丸貌ゆしがんぼうがゆるんだ。愛娘の笑顔でもおもい浮かべているのであろう。竜子は、豊前の国衆城井朝房に輿入れした彼の娘である。

「殿、ご覧召され! 悪六兵衛あくろびょうえが押してござるわ!」

 仕置家老の内田善兵衛が、右翼に展開する味方に軍扇で風を送るように言った。まるで後詰でもするかのようである。秋月家中随一の猛者芥田あくた悪六兵衛の猛攻のまえに、敵がじりじりと押されているのがわかる。このまま押せば、勝ちはまず間違いないであろう。

「………危いな…………あのままでは…………。陣鐘を鳴らした方がよい」

「それは如何なるわけでござろうか?」

 秋月種実が、得心できぬという顔で訊ねた。

「…………我がほうの意図を読む者がいるようだ。あの一隊、無視するわけにはいかん」

 それを聞いた種実が床几のうえで小手をかざした。

「なるほど」

 感心し、

「合図を送れ、隈江くまえに横矢させよ」

 と使番と馬廻に命じた。芥田悪六兵衛の部隊をいったん引かせ、隈江越中守の後詰隊に、あの救援部隊を横合いから叩かせようというのだ。

「軍監としてのご意見はかたじけのうござるが、この合戦での指図は我ら秋月の者にお任せ願いたい」

 恵利内蔵助暢堯のぶたかである。主人の心変わりを日頃から快く思っていない。この律儀者はまだ龍造寺に心を寄せている。

「そういうことは…………勝てる、という見込のある者がいうものだ。兄に負け戦を復命するつもりは…………私にはないのでね」

 暢堯のぶたかの貌に恥辱が色濃くあらわれた。

「いや、手厳しい。内蔵助、ご意見、ありがたく受けようではないか」

 善兵衛が年かさの苦労人らしく潤滑となる。

「………クックッ………さすがは宿老として秋月の家政を取り仕切っている男だな、この私を利用しようなどと…………。老獪だ」

 暢堯のぶたかは善兵衛に一揖し、薩摩から派遣された軍監を不愉快げに一瞥した。だが、左衛門督は笑みをうかべて戦況を見つめるのみで、相手にもしていないといった様子であった。

(疫病神めが!)

 恵利内蔵助の憎悪にも痛痒すら感じない糸のように細い目は、むしろ内蔵助の感情を弄んで楽しんでいた。

(……どこまでも人を食った男だ)

 内田実久は、島津・龍造寺両家との今後の付き合い方に思いをはせ、気が重くなっていることに気づくのだった。が、眼前にひろがる宏大な戦場で突如大恐慌がおこった、悪六兵衛の部隊が敵の遊撃隊に突き崩されたのである。

「遅かった、ようだの」

 種実が、対応の不味さに後悔する。が、

「………そのままでいい………。そのまま芥田の部隊を潰走させろ。…………あの敵を引きつけ、隈江くまえ板並いたなみ、芥田の三者で殲滅させればいいだけのことだ」


 薩摩島津氏得意の殺戮戦法『釣り野伏せ』――。


 実行されれば、

(おそらく。…………敵勢は壊乱を余儀なくされるであろうな………)

 内田善兵衛は身震いした。敵軍にたいして同情の念を抱かずにはおれない。この老翁も耳川決戦での大友軍にいたのである。そのときは田原親賢の寄騎として派遣されていた。あの凄惨な光景がくり返される。多くの敵将が討ち取られるに違いない。

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