第40話 義久の憐情

 島津の将兵が、人吉をかこむ山々を埋め尽くしている。夏の日照りが、肥後の村々に旱魃かんばつをもたらしていた。大地を焦がす熱風によって、兵士らの体力の消耗は甚だしく、善からぬ思いを抱く輩は、より一層その肉体を蝕まれていくようであった。

 島津義久は、胸川を挟んで人吉城の南西に位置する雨吹山ちかくの本陣にいる。その陣羽織が日差しを浴び、輝くような美しい毛並みを見せている。琉球国の主催する中継貿易で手に入れた、唐渡の虎皮を使用したものである。甲冑は深紅しんくに黒味を帯び、鎮西の覇者にふさわしい落ち着いた風情のものだった。面貌かおはあくまで白く、鼻の秀でた細面は都の公達のような風さえもつ、およそ戦国の武将とはおもえぬ外貌の持ち主であった。

「降伏を受け入れよう。ただし………ひとつだけ呑んでもらわねばならぬことがある」

「どのようなことでござろう?」

 相良義陽よしひが、熊のような硬い髭をたくわえた浅黒い顔を上げる。

 義陽は、島津氏の薩摩統一以前から薩摩北部の大口おおぐち(現鹿児島県伊佐市)への進出をはかり、一時は義久の祖父である日新斎から大口の領有を認められた。しかし、一門や家臣らの内訌ないこうに頭を痛めているうちに島津氏が薩摩での勢力を拡大、大口をかけた戦いが勃発する。義久の弟家久との決戦に敗れ大口を放棄したが、その後も日向の伊東義佑と連携して島津義久との抗争を繰り広げてきた。しかし、伊東義佑が日向国真幸院まさきいん木崎原きざきばる(現宮城県えびの市)において島津義弘の奇襲により大敗し(木崎原の戦い)、豊後に逃走してしまう。二年後に大隅国の肝付兼亮かねあきが島津義久に降伏すると、いよいよ孤立化する。耳川の戦いで大友勢力が日向国から一掃された今、義陽が頼れるのは背後はいご(肥後北部)にいる阿蘇氏の重臣甲斐宗運のみであった。しかし、筑後の蒲池鎮漣しげなみと筑前の秋月種実が龍造寺から島津へ寝返ったため、肥後は反島津勢力圏から切り離されてしまった。いま現在、龍造寺隆信の柳川征伐の後詰めとして宗運は出征しており、島津の大軍のまえに刀折れ矢尽きた相良義陽に残されている選択肢は、城に籠っての妻子一門玉砕か、島津義久の軍門に下るという二つしかない。

「たしか……その方と甲斐は刎頸ふんけいの付き合いをしておったな」

「……」

「さしずめ………その方が廉頗れんぱで、甲斐が相如しょうじょというところか?」

「……」

「まあよい…………そう身構えるな。それほどの難事ではない」

「……」

 本陣以外の部隊から鬨の声があがる。薩摩人の闘争心が肥後の山々に高らかに鳴り響く。義久はそれに耳を傾けながら、

「あの者を我が方に通じるように内々に説得いたせ……。……内々でよいのだ」

「あの方は、そういった謀は好まれませぬ」

 義陽の懇願にも似た拒絶の意思など汲む余地もなく、薩南の主は言い放った。

「だからこそ、友たるそなたに頼んでいるのではないか」

「ご無体な……」

「………そうだな。…………だが、その無体を平然としておこなうのが、我ら武家というものだ。………こういう時代では特にな」

「それは………。じゃが、そもそも先の近衛前久さきひさ卿の仲介で結ばれた盟約では、島津殿の身勝手な戦は禁じられたはず!」

 と、力強さを感じさせる赤銅色の両腕をわなわなとふるわせ、上げることを許されぬ目を皿のようにして、じっと地表を睨む相良義陽が強弁した。その様子を見ていた義久は目を細め、強者特有の残忍な笑みをうかべる。

「あれは………豊後にいる大友との戦はせぬ、という内容であった。………肥後はこの限りにあらず。我ら島津はそう受けとっている。泣き言は…………近江にいる織田殿に聞いてもらうことだ」

 相良義陽はがっくりと項垂うなだれ、もはや自力で顔を上げることができなかった。

「これ以上、そのほうと意味のない問答をするつもりはない…………甲斐の調略は申し渡したぞ。………この島津に来朝するかぎり、以後! 相良の存続は受け合おう!」

 そう言い捨てた義久が床几から腰をあげる。

「小四郎。……ゆくぞ」

「はっ」

 天鵞絨の瞳に映っているのは相良義陽でも人吉でもなく、前をゆく気品にみちた男の背中であった。

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