第39話 柳川城

 築後の筆頭国人蒲池氏の柳川城は、「柳川三年……(攻略するのに三年はかかる)」とうたわれるほどの天下の堅城であり、今後想定される島津との決戦が肥後で行われるとすれば、是が非でも落としておかねばならなかった。秋月種実の離反が決定的である今、戦を長引かせるわけにはいかない。そのため龍造寺は策を弄した。蒲地氏の当主、鎮漣しげなみを呼び出して殺害しようと謀ったのである。しかし、蒲地鎮漣も龍造寺隆信の狡猾さは知っているため初めのうちは断った。が、再三にわたる要請と鎮漣の実母貞口院までも口説き落とし説得させるという執拗さに根負けするかたちでとうとう彼を佐嘉城に誘い出すことに成功した。鎮漣は家臣二百名と庶兄蒲池鎮久に警護され筑後川をこえて肥前に入ったが、初めから暗殺するつもりの龍造寺の手勢に敵うはずもなく、佐嘉城近くの与賀神社という社であえなく討ち取られた。実行部隊を率いたのは龍造寺隆信の嫡男・政家である。それを見届けた後、隆信は主力を率いて柳川城を急襲し、孫四郎は別部隊を整えて筑前北部を襲い、戸次勢との戦いとなった。つまり、孫四郎も蒲池鎮漣暗殺に関わっていたのである。関わっていただけでなく、積極的に主導したと言っていい。龍造寺氏からすれば蒲池鎮漣は島津方に寝返った裏切り者である。くどいようだが、蒲池氏の柳川城は来るべき島津との決戦のときの肥後進出の橋頭保といっても過言ではない。しかも力攻めなどすれば味方の被害は甚大なものとなる。そのため、

(此度の謀略も已む無し)

 と、鍋島孫四郎は思っているが、これ以上の暴挙を隆信がするようなら、

(断固とめるべし)

 と決めていた。もしそれを許せば、筑後の他の国人衆の龍造寺氏に対する信頼は失墜するであろう。それだけは避けねばならない。孫四郎は隆信が好きではないが、戦う前に島津に屈服するほど島津義久に心服もしていない。義久どころか、今中央で敵無しの勢いで暴れまわっている織田信長でさえ、

(俗物にすぎん)

 と断じている男なのである。

 彼は坂本峠を越え、筑後川を渡り柳川へ入った。主のいない柳川城は、隆信配下の主力の猛攻ですでに落ちていた。石井彦十郎生札、成富新九郎茂安ら側近と共に城門をくぐった孫四郎は、馬を配下の足軽に任せ城内にある蒲池鎮漣の屋敷に入った。屋敷内には敵兵のかばねが放置されたままとなっており、どす黒い血が壁床にこびりついている。あたかも妖魔が描いた絵画さながらであった。このような凄惨な光景でも孫四郎の知性は揺るがずはたらいている。

「気に入らんな。………この静けさ」

 勝ち戦にしては味方の陣営が妙に静寂なのである。

 廊下を渡り奥へゆくと、中庭において蒲池鎮漣の息子と母親の処刑が今まさに執行されようとしていた。迎えにでた隆信の家人が安堵の表情をうかべた。

「お待ちしておりました、御家老」

「誰もとめようとせんのか?」

「はっ……。なんとかおとめください! 何度申しあげても取り上げようとされんのです!」

 広間にあがった孫四郎の胸を不快感が満たし、普段冷静さを失わない男がこの時ばかりはさすがに語気を荒げた。

「お屋形! なにもこのような童子まで処断する必要はありますまい!」

「許せば、わしの首がさむくなる」

 と言いつつ己の首をさする隆信は、今更何をという顔でいる。

(罪は罪としてさとし、情をかけて使おうという発想ができんのか………。……凡俗らしい、さもしい料簡だ………そこまでして他者を蹴落としたいか………。………これでは龍造寺は長くはもたんな……)

 広間にいる重臣たちのなかから百武賢兼が、たまらず隆信の前にすすみでた。

「お屋形様! 鑑盛あきもり殿の恩義をお忘れか! このような無道な所業、天がお許しになりませんぞ!」

「その息子が裏切ったのだ! そんな甘い考えでこの世の中を生きていけるか!」

 信用を置いている数少ない家臣が自分に盾をついたと思ったのか、今度は隆信が語気を荒げる番であった。

「……お屋形、賢兼の申し状、お聞き入れくださればこの童子と母親………必ずや龍造寺の仁愛を子々孫々忘れず奉公するものと存ずるが、如何」

「一度裏切った者を信用するほどわしは愚かではない!」

 孫四郎は隆信に最後の機会を与えるつもりであった。だが、この猜疑心によって肥満したような男に仁徳を求めることは天下の権を掌中に収めるよりも難しいことであると孫四郎は悟った。

(……忠言を聞くような徳は持ちあわせておらぬらしい、この男………。そういう主であれば、私も素直に従ったのだ………。……むしろ、やりたいようにさせてやろう…………。悪名を被るのはこの愚か者ひとりでいい……)

 首討ち人が、孫四郎の瞳をみて処刑をためらっているのに怒りをおぼえた隆信は、小姓から太刀を鞘ごと奪い取って素足のまま庭に下り、蒲池母子の首を容赦なく落とした。

(この男がいては………やはり肥前に静穏は来ぬな……)

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