第27話 砂嘴、許嫁相対す(後篇)

 誾千代の嘲笑は、統虎をさらに不快にさせる。

「……お前のように武辺を偏重するやからには……父と変わらぬように見えるのかもしれない……が、違う。よく見ろ、この男が我が父にして立花山城督、戸次道雪に見えるか?」

 誾千代がほっそりと締まったあごでさす。統虎は、あっけにとられて対応できずにいる。娘が父をあごでさすとは通常なら許されない。

(戸次道雪ではない、だと)

 目の前にいる武士は口吻こうふんといい態度といい、城督としても力量十分で、老獪な男に見えた。道雪に一度も会ったことのない統虎には、いささか酷な問いである。

「……わからんか? ま、ご令息育ちの貴公には難しい判断だったかもしれない。この老人も伊達に父の代わりを務めているわけではないのでな。……紹介しておく。ここに居るのは我が家の執事だ」

 少女の瞳が悪戯っぽい光をたたえていた。その嘲りにも似た光彩は明らかに青年に向けられている。統虎とって不愉快きわまるものだ。

 戸次氏の執事とは、現代のいわゆる「使用人のなかの最上位者」ではなく、室町体制下でいう政所執事に相当する役職をさす。つまり政治に参画する。どころか内政面では誾千代の右腕ともいえる男だ。年寄おとなの一人であった。生きうつしとまではいかないが、道雪によく似ているのは確かである。

(どういうことだ……)

 胸に暗い予感が生まれる。

「……そう。父はもういない……」

「なに?」

「……この城は、すでにわたしが引き継ぎ、経営している。ここに貴公の居場所はない」

 誾千代が、耳にかかっているくせのない美しい髪をよける。その仕草は、数え年で十二歳とは思えないほど大人びていた。

「嘘だ……。もしそれが事実だとしても、そんなことが通るかっ!」

「通して見せよう。この事実を知る年寄おとなは皆、わたしに従うと表明している。……和泉……お前の忠誠心はいまどこを向いている?」

「お答えする必要がありましょうか?」

「だそうだ……。どうするね? 敵対するか、それとも共存を望むか? 情をかけよう。父君と相謀あいはかるといい」

 統虎の面貌に感情を押し隠すための苦悶が浮かんでいる。それは敗者がときおり見せる拭いきれないものだ。

「いつから、道雪殿は?」

「ん……」

 少女は、寂しそうに目を伏せた。脳裏に辛い記憶が蘇ったのだった。

「……いつからかな……。もう、忘れてしまったな……」

 声も心なしか沈んでいる。それは言葉の綾であった。

「婚約の申し出も……お前の指図か」

 小野和泉にも突き放された統虎は、もう屈辱を隠すことすらできなくなっていた。

 誾千代の声音は子供に言い聞かせるようなものとなっている。同情からか慈悲なのか、本人でさえ判別できなかった。

「それについては、この場で答える必要を認めない……が、それほどこの城が欲しいと言うのなら……。承知だ、夫婦となろうではないか……無論、形ばかりのな……。であれば、この城に迎えよう……ただし、わたしの配下となる誓約はしてもらう」

「そんなことは、断わる!」

 誾千代の声音は依然として優しい。

「そう来ると思ったよ……。できれば、事を穏便に運びたかったのだが……仕方ない、この城から出てもらうことにする」

「貴様!」

 掴みかかろうとする統虎に対して、誾千代がすっと右手を挙げる。すかさず広間の外に隠れ待機していた家臣たちが統虎主従を取り囲む。

 皆抜刀し切っ先を侵入者たちに向けていた。かれら屈強な暗殺者たち、忍びに慈悲の色はない。すこしでも動けば容赦なく斬り殺す、という妖気のごときゆらめきをまとっている。事実、誾千代は、危害が及ぶようなら斬り捨ててもかまわない、と指示していた。

 もし、それに対して高橋三河入道紹運が異議を申し立てるのなら、一戦に及ぶまでだ。だが、高橋紹運がこちらを敵に回すことはないと誾千代は目算している。なぜなら、もし彼が立花山を攻めれば大友は滅ぶ。

 主家に、大友義統に忠実なあの僧形の猛将が我が子可愛さのあまり主家を滅ぼす愚挙にでるはずがないからだ。そしてまた彼には次男がいる。嫡男を殺せば誾千代を恨むだろうが、高橋の家が滅ぶわけではない。だからすぐに戦になることはない。

 無論こののち戦がしたいと言うのなら誾千代にもそれなりの覚悟はあるし対策も取っている。その策はあまりに非情なものだ。だが、向こうが戦いたいというならそれを断行してみせよう、という想いと、これまでの思考がその瞳に妖焔にも似た輝きをあたえている。

 このときの誾千代のこころのなかに、臼杵にいるあの心優しい姫の存在はすでにない。もしあったとしても、あの姫も武門の家に生まれたならばすでに覚悟はされていよう、そういう御方である。だからこそわたしはあの方に忠誠を誓ったのだ。もし事破れ、別の道を往くことになれば、

 そのときは、

(そのときはいずれ――地下にておわび仕りましょう!)

 と、おのが実意と反する悲壮な決意を固めていた。

「くっ」

 その炯々とたぎりひかる瞳が高橋統虎を一瞬ひるませた。誾千代の並々ならぬ意志の力がそうさせたといえよう。

 だがその光りが消えれば、そこにいるのは微笑みをたたえた少女であった。

「……だから思慮が足りないと言った。……任せられないと言うからには、それなりの訳がある」

 その寂しげな微笑はかえって、料紙を引き裂くように統虎の心をずたずたにするものとなった。

(女の身でどこまでできるか……見ものだな……)

 小野和泉はひとり思う。

 ともあれ誾千代にすれば、要求を容れない以上この許嫁とは決別するしかない。

「さらばだ……高橋弥七郎……」

 少女は立ち上がると、広間を後にした。

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