第26話 砂嘴、許嫁相対す(前篇)

 立花山に着いた統虎を、小野和泉が城門前で迎えた。

「わたくしは、小野鎮幸と申します。本日は、奏者を務める大任を授かりました」

(小野和泉……)

 統虎は、小野鎮幸の噂を聞いている。由布雪下とともに戸次道雪の両翼をになう良将である。雪下同様その武勇は比類ない。

「お腰のものを」

「いや、それは」

 世戸口十兵衛が、色をなして割って入った。

「おれはこの城の婿だ。腰の物を帯びたままでは、舅御に対して非礼にあたる」

「若殿、油断はなりませぬ」 

 十兵衛が、耳打ちする。

「我が主をお疑いとは、少し無礼が過ぎるのではないか?」

 小野和泉が、世戸口十兵衛に鋭い視線を送る。

「されど、今は乱世。いつ何時敵方の者に襲われないとも限り申さず!」

 世戸口十兵衛は憤慨を隠し切れない。

「仰せの主旨は理解する。が、我ら戸次家の能力を信頼して欲しいものだな」

 和泉の眼光が鋭さをます。今にも太刀を抜きかねないほどの鬼気がこもっていた。

「それまでだ、両人とも」

 今度は、統虎がいさかいの間に割って入った。

「この城は何時から島津や龍造寺のものとなった? 舅殿がおれを殺すとでも? 憂いもそこまでゆくと臆病ととられかねんぞ、十兵衛」

「若殿!」

 統虎は、笑止なことを申すな、と一笑に付した。

「……では」

「ああ」

 統虎は、小野和泉の従えてきた郎党に太刀と脇差を預けた。

(……思惑通り……に、なるのか……)

 そんな和泉の心を知らない統虎は、戸次家でも名だたる豪傑にかしずかれて気分はすこぶる良い。

 この家老について立花山城の急峻を登っていく。右に折れ、左に曲がり、そのたびに門衛の守る城門を幾つもくぐり、複雑きわまりない城道じょうどうを歩いて、目的の曲輪にたどりつく頃には、はや半時が経っていた。

(さすがは……堅牢だ。この城を抜くことは容易ではない)

 立花山城は、東西1キロメートル、南北1.2キロメートルという、広範囲に渡る城域じょういきを持つ巨城である。山の随所に曲輪が点在し堀がめぐらされて、その内側の要となる部分は板塀いたべいで取りかこまれ、見た目にも防備は厚い。

 九州でも指折りの堅城だった。

 この城をめぐり、また博多という貿易都市の覇権をかけて、十年ほど前までは毛利家と大友家が戦闘を繰り返していた。そして、毛利を駆逐した大友氏は、城督として戸次道雪を入城させたのである。

 本丸館の式台にあがり廊下を通って広間に着いた。上座にいた老爺が、やあ、とでも言うように手招きをした。道雪である。

 統虎は、指定された場所に座った。円座が敷かれていたからだ。案内をした小野和泉は、道雪の右前方であぐらをかいた。

其処許そこもとが、統虎殿か」

「高橋弥七郎にございます」

 統虎が上体を倒す。

「なかなかの美丈夫だ。娘も満足であろう」

「勿体なき仰せ、ですが、誾千代殿はそれがしを疎んじているようです」

 道雪はかぶりを振り、

「恥ずかしがっているだけであろう」

「そうあって欲しいものです」

「ならば、呼ぼう」

 道雪が手を叩く。すると、楚々とした少女があらわれた。沈香じんこうを焚きめた薄黄蘗うすきはだの小袖に薄紫の打掛は、彼女の存在感を増幅させる働きをしている。男ばかりでむさ苦しいだけの広間に、清らかないちりんのはすが花ひらいたようであった。

 あでやかという色情にうったえかけるものとはちがい、白い花弁の先がうっすらとした桜色の、しっとりと落ち着いた美しさだった。

「お呼びでしょうか。……お父様」

 誾千代が廊下からゆったりと広間にあがる。今日の賓客に目を流しながら可憐な唇をほころばせた。

(美しい……)

 顔にこそ出さないが統虎は思った。女人に惑うとはこうした心持をいうのか、と。

 彼にはすでに、囲いと呼べる婦人が何人かいる。なかには美女と言えるものも数人いた。心を蕩かすような女たちだ。だが、普段接している女たちとは、どこかちがう。

 この娘はとうていうつのものとはおもえない。

(……仙界の天女が舞い降りたか)

 と、統虎は見惚れた。

 清楚清明、という言葉が最もよくあてはまる女のように思う。

「婿殿が見えられた。挨拶するがよい」

 少女は板敷に白く繊細な指をつけた。

「ようこそ、お越しくださいました。……ご機嫌麗しいようで、祝着にございます」

 統虎は予想外の対応に茫然とし、誾千代の漂わす甘い香気に魅入られたように恍惚こうこつとした。

「どうじゃな、婿殿。我が娘は?」

「……はっ」

「気に入ってくださったようじゃな」

「それは……もう……」

 統虎のきょを見透かした道雪が、誾千代に合図を送ったように見えた。

(……何だ?)

 道雪の動作に、統虎は異常を感じた。父親が娘にする挙措には見えなかったからだ。

「父は居ないよ。高橋弥七郎……」

 桜唇おうしんが小さく動く。これまでのしおらしい態度とは打って変わって勝ち気な性格が声を彩る。この大きな部屋のなかでも特に光のとどきにくい一隅にいるため、鼻梁からうえはやわらかな陰影となっていた。

「……目の前にいらっしゃる……ではないか」

 統虎は誾千代の突然の豹変に狼狽を隠し切れないでいた。

「この男がか……。ふふ」

「なにが……可笑しい?」

 この広間は、ちょうど横から日差しが入り込んでくるようにできている。時刻はこく(午前10時)。庭の草木にも烈日が強烈に降り注ぐ頃だ。その陽光は、統虎にとって暑苦しくまた鬱陶しいだけのものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る