第25話 饗宴への誘い

「道雪殿が、そなたに会いたいと言って寄こした」

 宝満山城にある三つ曲輪の庭で、高橋紹運が書状に目を通していた。すでに剃髪しており、人柄にもおのずから落ち着きが漂う。武将とは思えないほど理性的な容姿が、さらにその雰囲気を引き立てている。

「もっとも、気が進まんのなら断ってもよい」

 統虎の口元がほころぶ。

「それには及びません。戸次道雪という方にはつねづね会ってみたいと思っておりましたから。顔合わせがてら行って参ります」

 紹運は読み終えた文を息子に手渡した。美しくも繊細な手蹟しゅせきである。記した人物の教養の深さを語っている。さっと目を通した統虎も流れるような文章に感心した。

「間もなくそなたの舅となる方だからな、それもいい。ところで、あの娘御とはどうなのだ?」

 紹運は息子の額の傷が、どのようないきさつでできたものかを知っていた。後ろに控える太田久作から聞き出したのだ。いまいましそうに久作に一瞥をくれた。

「美しい娘ですよ。惜しむらくは女に生まれてしまったというところでしょう」

ぎょせるかと聞いているのだよ」

 統虎の精悍な顔に一瞬険しさが走った。

「おれでは無理だと?」

 三河入道は統虎の気性がいささか気がかりだった。自尊心が強すぎる。

「その傷だ。かなりの悍馬なのであろう」

 夏の日差しが城の西に集住する家臣たちの長屋にそそいでいる。その先には青々とした稲田がひろがり、山野の晴翠せいすいが蜃気楼のように然えていた。

「ご安心ください、手なずけて御覧に入れます」

 紹運は、生命力にみちたこの夏景色が気に入っている。城督としてこの城に入り、

(ともに軍旅のなか幾星霜――。ここは倅を信じよう……無下にもできんしな)

 戸次伯耆守のたっての願いである。紹運にすればその切望に応えておきたい。筑前の総督とのあいだにある、これまでの良好な関係にひびを入れたくなかった。そんなことになれば今後の軍事的連繋に齟齬をきたしかねない。

(それにしても、あの道雪殿がこのような移ろな求めを言いだされるとは珍しいな)

 と、戦友の何時にない態度に釈然としない感覚をもった。

 そのため、

「十兵衛と久作を供とせよ、なにかと役に立とう」

 自身の嫡男に注意をうながした。この二人は、統虎の補佐として特に選り抜いた者たちだ。ふたりとも勇猛さは折り紙つきであった。

「必要あるでしょうか? 婿が舅に会うのに供など」

「道雪殿がどうというのではない。ここから立花山まではかなり距離がある。秋月や筑紫が物見を繰り出している可能性も排除できんだろう。万一にも遭遇すれば無傷ではすむまい。用心に越したことはないということだ」

 統虎は父の言葉に素直に耳をかたむけることにした。腕におぼえはある。おそらくを見渡しても右に出る者は四人といまい。だが父の言う通り、現在いまの筑前の情勢を鑑みればただ一騎で立花山まで駆けるのは分別に欠けることのようにも思える。

「十兵衛に伝えよ」

「はっ」

 膝をあげた久作が、数歩後ずさってからうしろへと走りだした。

 統虎も父に頭をさげてうまやに向かった。宝満山城の坂道をくだったところに馬場があり、城門の少し手前に馬が数頭が繋がれている小屋がある。統虎専用のの駿馬だ。

 統虎は坂をくだりながら顔を右に向けた。遠く立花山が夏の日差しをうけ、山腹にある森の木々が生命力をたぎらせている。その先には霞がかったようなふかく蒼い海が広がっていた。

(……あの城は是が非でも手に入れたい)

 共をする予定の両名はすでにそれぞれ馬の手綱をとり、小屋のまえで待機していた。

「あの女に会うことになった。この際だ、戸次道雪の顔も拝んでおきたい」

「あの姫様、大人しく伴侶に納まりますかな?」

 世戸口十兵衛が主の反応を楽しむように笑う。

「知るかよ」

 婿に入ればどうとでもなる、と統虎は思う。馬に鞭を入れる。世戸口十兵衛、太田久作の両名がそれに従う。

「おれの肝の太さを見せつけるよい機会おりだ!」

 統虎にすれば、この機会に戸次家家臣団の気持ちを一気に掴んでおきたい。


 政務を済ませた誾千代は、立花山の二の丸曲輪を囲む土塁の緑に腰をおろしていた。

 外出用の服装をしている。

 評定にはこの格好で臨むことにしていた。家臣たちに緊張感をもたせるためだ。さすがに政務に女ものの装束を着て出席するわけにはいかない。城督としての威厳にもかかわろう。

 紅色の射籠手いごてはどちらかというと具足用の籠手こてのデザインに近い。射籠手いごて特有の腹まで垂れ下がっただらりとした見た目ではなく、胸のあたりまでの引き締まった感じの意匠だ。上部には鋼鉄製のうすい防具が肩から手首にかけて湾曲し、肘のあたりで二つに分かれている。

 鍛治に特注で造らせた。

 これまで幾度も戦に参加してきた誾千代には世の中に普及している射籠手よりも実戦的なものと言える。

「あの男が来るまえに湯浴みはしておこう……」

 ここから北方ほっぽうには玄界灘が広がっている。

 うす雲がかかった九天、藍色の穏やかな海、少し霞んだ水平線がそのふたつを繋いで得もいわれぬ美しさを紡ぎだしていた。それは、政務に追われる誾千代の心を和ませるに足るものだ。

 白い砂嘴さしが博多湾と玄界灘の間に横たわっている。湾は楕円状で、砂嘴の先に小さな島がある。志賀島しかのしまだ。ルソンあるいはシャム(タイ)からであろうか、異国での交易を終えた日本船の白い帆によって湊の殷賑いんしんさがいや増している。

(……難波の海も、このようであるのだろうか)

 ふと、いにしえの歌に詠み込まれる地名が頭をよぎった。誾千代は、九州以外の地に行ったことがない。物語や歌集にでてくる土地の様子は、想像で補うしかないのだ。だが、おそらく彼らは違う。博多の商人たちは、明石、須磨、難波は言うに及ばず、その先にある堺、京、におの海までも実際に見ていることだろう。

 博多の豪商たちが、わざわざ東南アジアにまで航海するのはそのためだ。日本の津々浦々で、海外から持ち帰った舶来品を売りさばく。

 品物は、主に中国の密貿易商から仕入れる。彼ら中国の海商は、明の国禁を犯して東南アジアの港に来航する。海外の良質な銀を目的としての交易だった。日本でいえば石見銀山などから獲れる丁銀ちょうぎんであろう。日本側が求めるのは主に中国産の良質な絹布けんぷ。この時代の日本産の絹とは比較にならないほど、光沢の美しい上質な品である。

 ポルトガルの商人も中国の絹を持ち込むが、南蛮人たちは明と直接交易できない日本人の無知につけこんで値をつり上げる。その実態を知る博多の豪商たちは、危険を冒しても中国の海商との直接的な交易を望むのである。

(異国との交易……航路の困難は想像するだけでもうかがい知れる……)

 誾千代は博多で交易に従事する人々の商魂のたくましさを思わずにはいられない。それはなにも豪商に限ったことではない。むしろ、その許で実際に交易にたずさわる船頭や水夫かここそが命を張って努めに励んでいるのだ。彼らこそ東南アジアでの交易を成り立たせている主柱といえる。

「お呼びでございましょうか?」

 小野鎮幸おのしげゆきが、土塁の前で片膝をついた。

「ん、来たら……本丸曲輪の広間に通すように。……鄭重ていちょうにな」

「供の者たちは如何いたしましょうや?」

「……あぁ……。来るかな」

 誾千代は、あの豪勇を誇る男が自分に敵意を持っていると熟知している。だから、その豪気な気質からして一人で来ると見ていた。

「あの方には紹運公がついていらっしゃることをお忘れなく。されば、御下知を」

「そうだな。ではこうしよう……」

 海に向けていた視線を小野和泉に移す。

 誾千代は今日の客を殺すつもりはないが、彼の心を惑乱させて立ち直れないほどの敗北感に苛まれるよう追い込むつもりであった。そしていま、そのための行き届いた策略を事細かに指図している。

「万事抜かりなく、な」

「はっ」

 下知を受けた小野和泉守鎮幸が、城の坂道を下っていった。誾千代は、玄界灘を望む博多へふたたびかおをむける。

天地てんちはとこしえ不歿にぼっせず

 山川さんせんは無改あらたまるときなし

 草木そうぼく得常理じょうりをえて

 霜露そうろこれをえいすいせしむ

 ひとはもっともえいちなりというも

 ひとりまた不如かくのごとくならず

 たまたま見在よのうちに世中ありとみるも

 たちまちさりて靡歸期ききなし

 なんぞさとらん無一人いちにんなきを

 親識しんしきもあにあいおもはんや

 ただ餘平へいせいのもの生物をあますのみ

 擧目めをあぐればじょうは凄洏せいじたり

 われに無騰化とうかのじゅつなければ

 かならずしからん不復ことまたうたがわず

 願君ねがわくはきみ吾言わがげんをとり

 得酒さけをえなばいやしくもじすることなかれ

 心の内を山川天地に披露し、長い手足で妍姿けんしを起こす。その唇が、莫辭と、微笑をふくんだ。

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