第24話 島津の謀議
「……俺には子がいないからな。戸次の苦労も分からんではない」
「
歳久は亀寿姫が可愛くて仕方がない。自身に懐いており、数いる甥や姪のなかでも格別な存在なのだ。なんとも愛くるしかった。そのため、彼女のこととなるといささか盲目的になる。
「……あれは女だぞ」
義久は言い捨てた。
「戸次道雪のように
「……笑えんぞ。
「でしょうな」
新納忠元が白髪交じりの
「くっくくっく」
歳久の笑いが、板敷の
「ふん」
義久は不機嫌さを隠さない。手に持った白扇で肩を叩いている。
「亀寿様の婿は、すでにお心にあるのですかな?」
その将才を
「島津家に無くてはならない四人のなかの一人」
と評した。
『武家事紀』には、
「島津で軍功を
と紹介されている。『親指武蔵(鬼武蔵)』の渾名はそこからきた。今は、肥後方面の次席指揮官という地位にある。
この老練の戦巧者が義久の三州統一の過程で挙げた功績は、あまりにも巨大であった。
「……婿か。まだ早いと思っていたが、あの娘ももう十一だ。……そろそろ候補を絞っておかねばな。……良いと思う者はいるか? その方らの意見を聞いておきたい」
鹿児島の城下にある広大な馬場の前には、義久主従のために板敷の御座が常設されていた。犬追物を観覧するためのものだ。
この晴れの舞台に
中央最前列で見物する義久は、
犬追物とは、平安後期の頃から武士の間で流行した
四十間(72メートル)四方の馬場に犬を三十頭から放ち、
薩摩守護島津家では、年中行事のごとく行われた。義久たち島津四子も、若年のころ武芸の訓練をかねてこの行事に参加している。
「
義久が、入道雲を背にした錦江湾を白扇でおもむろに指した。その先には馬上一人の少年がいる。
直垂袴姿に
のちの
義久を武の面で支えてきた次弟義弘の息子である。嫡男の鶴寿丸はすでに夭折しているため、次男の万寿丸が義弘の後継と目されていた。
「それがしは、忠長のほうが良いように思いますが」
歳久が異議を差し挟んだ。
「……お前ならそう言うだろうな。それならば、
歳久は忠長贔屓であり、義久は以久のほうを買っていた。島津忠長と島津以久は、ともに義久たち四兄弟の従兄弟にあたる。だが、彼らは父親がことなる。
忠長の父は
義久は、
以久の父、
敵中に孤立した義久は、今にも討ち死にを遂げようとしていた。太刀を抜き敵と斬り結んで死を覚悟した。
「若殿、島津の名を汚しますな」
軍監の
「……要らぬ心配だ……。町田」
躍りかかってきた相手の胸板を、二尺五寸の
敵の攻勢は強まるばかり、包囲はさらに厚みを増す。その中心でふたりは背中を合わせるようにして敵兵と対峙していた。
「又三郎様にお仕えできたことは、それがしの果報にござった……」
「……そういう殊勝なことは……。あの世とやらで聞かせろ」
と義久が答えた。
「我らは極楽にゆけましょうか?」
「ふん。仏に
「はっはっはっはっ、仏も坊主同様、金には目が無いようですな」
「世の中そんなものさ」
ともに敵刃によって何か所も斬られているが、この主従は諧謔をわすれない。絶望的な状況におかれても冗談をいいあう、人を食った男たちだ。
「又三郎! どこだっ!」
「……叔父上か⁉……」
叔父の忠将が手勢とともに肝付勢を突破して救援に来たのだ。命懸けの勇猛な
「ここにいたか……」
「……無謀ですぞ、叔父上……」
「ふふ、有望な跡継ぎを見捨てたら兄上に申し訳が立たん」
自慢の十文字槍で敵兵を薙ぎ払いながら言う。
「お前は生きるのだ、後は任せよっ!」
苦渋でゆがんだ顔、だが決断せねば叔父の救援が無駄になる。
「叔父上……以久のことはお任せをっ!
「……よくぞ申した。それでこそ大将だ……」
あのとき、自身が置き捨てにした叔父は微笑していた。義久は今でもそれが忘れられない。
(……三州統一は成りましたぞ、叔父上……。耳川での
普段、人と接するときに分けへだてしない男が、養父として以久にのみことさら厳しくあたるのは、そういう
「……忠長には
義久は白扇を鳴らした。
「日新斎の爺さまのことか……」
「そうだ。あれは無視できん」
忠長の父、
「しかし、あのことはくだらぬ風聞にすぎない……」
尚久は、実は病で早世したのだ。
「……だが、世間とういものは、その風聞とやらを面白可笑しく語り継ぐ。ときには真実であるかのごとく言い立て、それをもって人を断罪するものだ……。そういうものを島津の当主が持っていては、はなはだ不都合だ……。そうは思わんか?」
「では、万寿丸様の成長を待ちますかな」
と伊集院忠棟が言ったが、
「
「……あれは駄目だ。生来、
その米菊丸が、犬追物の柵の外で馬上喚いていた。家臣の子弟らを叱咤しているつもりらしい。
義久は冷ややかな視線をおくった。いま推薦したばかりの忠元は、米菊丸のあまりの不器量に恐縮してしまった。
「その方も
大口は、薩摩北部にある忠元の知行地である。
「お言葉忝なく。されど、お気遣いは無用に願います」
この温情は忠元にとって何の価値もない、それどころか心外ですらある。主人からもう必要ないと言われては、武者として矜持を傷つけられたに等しい。
だが、義久はそんな忠元の胸中を分かったうえで、強いて言ったのである。
「そうか……」
犬追物の会場がどっと
「あの肥満体。……黙っておりますかな」
伊集院忠棟が、肥後経略への不安を口にした。
「ふ……あの
「自信ありげですな」
「……なにか他人事のように聞こえるな……お前がやるのだ。……伊集院は、要らぬ気をまわしすぎる……。そんな暇があるのなら知恵を働かせて懸念を取り払い、杞憂とせよ」
「はっ。……畏まりました」
犬追物は、制限時間となり万寿丸の組が馬場から退出する。
「……策はあるのだろう? 力を貸してやれ。……期待していいな、又六郎」
細い目が冷酷な光をやどす。
「我が才にて嵐のごとき争乱を起こしてみせましょう」
四隅にいた検見役が馬場の中央に集まった。終了後は、懐紙に記したそれぞれの判断をもとに評議を行うことになっている。
この騎射競技は、単に犬に矢を当てれば得点をあげられるわけではない。打ち方や命中した場所、矢の勢いによって高得点にもなれば、そもそも得点として認められないこともあった。
見物客は、決して頑丈とは言えない四十間四方の柵を取り巻いている。凶暴な犬がそれをこえて群衆のなかに躍り込むことも
この当時は、今の世とくらべると娯楽がほとんど無い。領民にとって島津家が主催する犬追物は、貴重な娯楽のひとつであった。それを見逃すわけにはいかない。
しばらくの評議のすえ、
「万寿丸様方、十六頭、評点160の内の114にございます」
という結果が辺りに響いた。群衆からどっと歓声があがる。なかなかの出来である。次は米菊丸の組の番だ。
観覧の御座で甥たちを見つめる義久が、思い出したかのように言う。
「……新納……。お前も、気遣い無用などとほざくからには、肥後への策は練っているのであろうな……。その頭の使い道が和歌や漢詩ばかりではないところを見せてみろ」
「御意……」
義久は忠元には答えず、白扇をさっと開き、
「万寿丸、ようした!」
と叫んだ。
称賛をうけた少年の爽やかな笑顔は、
島津家の
天正九年(
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