第23話 飯塚
周防灘のの沖合いでは、弁才船が滑らかに進んでいた。白雲を頂く
弥十郎は、独り微笑する。
それが理由があってのことか、彼自身も分かっていない。編み笠を
豊前の宇佐を抜け、隣接する
下毛郡の国衆の一人、
しかし、下毛の沿岸部にある大畑城を拠点とする国衆の賀来統直がこれを破り、以降下毛はふたたび大友氏の支配領域となった。野中鎮兼はこのとき、嫡男を大友宗麟に人質に出している。
したがって現在は、山国川以東(現・中津市)は大友、以西(現・豊前市)は秋月という構図になっている。
「……
弥十郎のいう若狭守とは、豊前上毛郡の有力国人領主、
広津鎮頼は広津城を根城としている。外観は、山国川西岸の小さな丘陵に張り付いているように見えた。もちろん天守閣はない。天守の初めは織田信長が築いた安土城だからだ。小さな物見櫓が
しかし、
「
緑の濃い対岸の城塞群を見ながら山国川の東岸を上流へ向かうことにした。南へ進む。慎重を期したい。
一里(約4キロ)ほど南下したあと、山国川を押し渡った。
ここまでくると川幅が狭くなり流れが速く急流になっているため、かえって馬の制御が難しい。
森林からくる涼気と川の水は、
広津鎮頼の動向が不明だからだ。
弥十郎は素早く押し渡ると、山間部を北上し始めた。まず
梅雨も終わりに近いため周りでは油蝉が鳴きはじめている。もう十日もすれば、耳の奥にじりじりと響くような鳴き声が時雨となって降りそそいでくることだろう。
弥十郎は、馬腹を蹴って騎馬の速度をあげた。暢気に蝉の重奏に耳を傾けて風雅に浸っている場合ではない。
「この様子なら若狭守の変節は無いか……。そう願いたいものだ」
この上毛も下毛同様、難なく通り抜けられるかに思われた。
が、そのとき戦場でやしなってきた勘が殺気をとらえた。微かだが火縄の焼けるような臭いを感じ取ったのだ。戦場で鍛え上げられた者だけが持つことのできる、生き延びるための感覚であった。
弥十郎は、心中舌を打った。
「身を隠す場所は……。あれか!」
弥十郎は馬上身体をのばし、林道に
「これでやり
だが、相手は執拗だった。鉄砲を持った足軽四人と騎馬武者が後方から追跡してきた。
「まだ何処かにいるはずだっ! 探せっ!」
足下では、怒声があがっている。
(……そう上手くはゆかんか……。許せよ……)
弥十郎の
均斉のとれた体躯が、水滴のように静かに
「……な……ん、だ……おい……」
首を落とされた武者が言葉を発した。まだ自分が殺されたことを認識できていない。無残に飛んだ首が唇をうごかした、まるで遺言でも残すかのように。
周りの足軽たちは、突然現れた手だれの容赦ない攻撃にまだ気づいていない。雨のように頭上からふってくる赤黒い
その間にも、弥十郎は次の行動に移っている。
馬上の
だが、首を落とした武者はともかく、足軽への斬撃には深々と肉を
姿を暗ますためだ。
左眼を喪失したことが影響し、思うように
一拍おいて、後方で二度種子島の爆音がした。
「甘いな、この森のなかではそうそう当たらんよ!」
弥十郎は、嘲笑った。
馬ごと森に分け入り、すでに敵からは狙撃しにくい状況になっていた。
しばらく往き深い森を抜け、すでに
低く濁った瀝青の如き黒雲が西の空を覆い、稲光が所々に走っている。飯塚までは騎馬で移動し、古処山までは
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