第22話 肥前の出来物

 ――肥前国佐嘉城。


「戸次道雪を亡き者に……。なぜ?」

「だが、討ち取れなんだわ。悪運のつよい年寄りだ。……あの老いぼれめ、なかなか耄碌もうろくせんな」

 隆信は、孫四郎の訳知り顔を小憎らしく思い、孫四郎は孫四郎で主人の軽率を軽蔑していた。

「……」

 孫四郎は、この秘事が初耳だった。腹心として長年補佐してきた自分に内密で、このような大事を実行に移すとは思いもしなかった。

「島津の勢いは不愉快だ。奴らと事を構えるにあたり、向後の憂いを除いておきたかったのよ」

 隆信は吐き捨てた。

「……私にまで秘匿するとは。……こういった大事を成す前には、一言声をお掛け下されば手抜かりなく準備して差し上げたものを……」

 無論、孫四郎にそのつもりは無い。戸次道雪は、暗殺などという姑息な手段で討ち取れるほど甘い相手ではないことを、十分すぎるほど知っていた。

(……余計な手間をかけさせてくれる……。……この男)

 そんな孫四郎の苦しい胸の内を知ってか知らずか。

 隆信は、かたわらに侍る臈長ろうたけた女の腕をつかんでその身体を抱きよせ、毛の生えたいかつい手で胸をまさぐった。

 隆信の大兵肥満は有名で、移動時には籠を用いる。その籠は屈強な六人の兵士が担ぐことになっていた。その巨体に秘める膂力も並みはずれていた。

 次のような逸話が残っている。

 隆信がまだ僧籍にいたとき、仲間の僧侶が村人五人といさかいを起こして寺に逃げ込んだことがあった。村人たちは喧嘩相手の僧侶を追って寺に押し掛けた。当時まだ円月と名乗っていた隆信は、寺の門を一人で押さえていたが、反対側から村人五人が一斉に押して、こじ開けようとした。だが、円月の怪力が勝って門ごと村人たちを押し倒してしまった。それに恐れをなした村人は逃げ散ったという。

 強梁ごうりょう大力というだけでなく、性格は冷酷で、慈悲の心とは無縁の男であった。

 対照的に、鍋島孫四郎は、軍陣で過ごしてきたとは思えないような色灼けの薄い細面ほそおもての顔立ちをしている。鼻筋がすっと通り、絶えず冷笑をたたえているような目元に眼尻まなじりは少し上がり気味で、薄い唇は穏やかにんでいた。

(……五州の太守……。……などという去勢をよくも張れるものだ……)

 堕落し始めている。が、そう仕組んだのは、誰あろうこの鍋島孫四郎本人なのである。

 孫四郎の冷淡な瞳は、そんな主人の狂態を冷ややかに見つめている。

「お屋形……。この鍋島孫四郎、慶誾尼様に龍造寺家に対する永久とこしえの忠誠を誓っております。もしお疑いなら何時にても起請文きしょうもんを差し出しましょう」

「其方の忠誠は分かっておるわ」

 隆信は女に夢中になっている。まるで、早く下がれ、とでも言いたそうだ。

「であれば、結構です。……お母上様のご期待を裏切るようなことが無きよう……私も龍造寺のため、この鎮西を跋渉ばっしょうし、群がり興った寇盗かんとう乱賊らんぞく、尽く首ねてご覧にいれる」

 隆信は、孫四郎の意気をよみし、

「相良の甲斐宗運かいそううんからの従属の申し出はよかったな。大友の屋台骨がゆらぐのを見るのは気分がいい」

 と髭をうねらせて哄笑した。

 孫四郎の目の前で、隆信は女とのたわむれをまだ続けている。

(これで龍造寺の先は長くない……ふ……。……あとのことを考えておく必要があるな……)

 これ以上口答えすれば粛清の対象にされかねない。それほどに隆信の猜疑心は強かった。邪推されでもしたらこちらの身が危うくなる。

 鍋島孫四郎は薄く笑んでいる。その白面の相貌には、残忍な凄絶さがあった。

(……ふ……。……ま、いずれにしろ、今は待つことだ……)

 天正九年、最後の五月雨が、筑紫平野を覆う。


 龍造寺氏は、この時期、肥前に加え、筑後、肥後、筑前、豊前にまで手をのばしていた。もちろん、肥前以外は直轄地ではなく、盟主としてその地方の大名や国衆と盟約を結んでいるという状況である。また、直轄地である肥前にしても南部には、有馬氏や大村氏といった服従して日の浅い勢力がいた。

 まだ盤石というわけではなかった。

 だが、龍造寺隆信は、若年から壮年期にかけては英気にみなぎる大将だった。

 隆信は主家小弐氏を滅ぼすと、小弐氏配下の家々を降して筑紫平野中西部を抑え、東へと勢力を拡大していった。それを危険視した大友宗麟を今山の合戦で退けると、筑前西部を蚕食さんしょくするようになる。

 大友氏が耳川の戦いで島津氏に敗れると、筑後に進出する。筑後の反対勢力は蒲池かまち氏の有力庶家蒲池鑑広のみだった。鑑広は大友氏に救援を要請したが、すでに宗麟にはそれに応ずるだけの力はない。鑑広は次に道雪を頼ったが、道雪にしても筑前で蜂起した反乱分子の掃討におわれており、筑後に派兵するだけの余力はなかった。そのため、鑑広は息子を龍造寺氏に差しだして人質とし、龍造寺氏と和睦した。

 加えて、長年大友氏の与党として尽くしてきた肥後の甲斐宗運が、この春、とうとう大友を見切って龍造寺へ服属した。このことは、大友氏にとって大きな痛手である。その後、隆信は肥後に兵を入れ、肥後の阿蘇氏や相良氏などを幕下に加えた。

 筑前の秋月氏を介して豊前の長野氏、高橋氏や城井氏にも支配が及んでいるため、肥前、筑後、肥後、筑前、豊前をすでに平定したかのように、隆信は自らを五州二島の太守と称している。この白面の男を得てより、龍造寺はにわかに強盛となった。この男、もともと隆信の父方の従兄弟だった。それに加えて、隆信の母慶誾尼が、父清房に半ば強引に継室として入っており、義兄弟でもある。

 隆信は、孫四郎の才能は認めているが信頼はしていない。その鋭すぎる才覚の矛先をこちらに向けてくるかもしれないという危惧を抱いていた。

 義兄弟や従兄弟などという不確かな結びつきで心を許すほど、隆信は人は良くない。不遇の幼少期がそうさせた。守護少弐氏の重臣に内応した部下に二度も裏切られ、父や祖父を失う。その経験が隆信を支配し、猜疑心が毒蛇となって蜷局とぐろをまいていた。

 鍋島孫四郎直茂という野心家は、頭の回転が速すぎた。それはこの場合不運といえる。隠したくても隠せなかったのだ。龍造寺そのものが滅んでは元も子もなくなる。この家中でのし上がり、主人に実力を認めさせねば秘めたる大望は実現できない。青年期、そういう状況に孫四郎と隆信は置かれていた。勢力そのものが微弱であり、反復常ない肥前国人衆の中で、詐術奇計をもちいて生き抜くという創業が必要であったのだ。

 孫四郎には美しい側女がいる。孫四郎はその女が隆信の間者であることに気付いていながら夜伽よとぎをさせていた。そういう男なのである。野心を抱きながら、それを決して人には覚らせない、芝居を貫く強い自制心を持ち合わせていた。

 隆信は表向き島津義久に臣従している。と言っても、もちろん心からの服従ではない。

 この男は、生涯にわたって主人をつぎつぎに変えており、それらの勢力を利用することで領土を拡大してきた。

 大内義隆から大友義鎮へ、中国で毛利元就が台頭すれば毛利に、大友が毛利を九州から駆逐すれば再び大友に、耳川以降は島津義久にというように。そのとき、島津と龍造寺の間を周旋したのが、誾千代のいう黒帽子こと、秋月種実であった。

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