第21話 城督として

 誾千代は、府内を去るところだった。十時ととき連貞つらさだが玄関先で小者に何かを言いつけている。

孫右衛門まごえもん、世話になった。立花山に戻ることにする。そういえば……父が呼んでいたな」

「はっ、この屋敷は?」

「他の者をつかわすそうだ」

「かしこまりました」

「……これは?」

 誾千代は、連貞の持っている書状に目を留めた。

鈴茄すずな屋への文でございます」

「……誰の?」

「倉田殿のものです」

「……そうか。ついでだ、わたしが届けよう」

「いや、しかし」

「ついでと言ったろ」

「では……」

 連貞がその手紙を渡し、誾千代がそれを胸元にさした。

 鈴茄屋はこの屋敷から近い。忠三郎をともなって暖簾を分けると、主人らしき福相が笑みをこぼした。

「貴方様は?」

「倉田景定の妹……のようなものだ」

 名乗って大げさなことになるのは避けたかった。誾千代は、すぐにその主人に書状を渡した。

「左様でございましたか。わざわざお届けくださいまして、ありがとうござます」

 が、孝兵衛は怪訝に思った。

 この少女の白と赤の美々しい装束に弥十郎よりも貴種のおもむきを感じたのである。しかし、それ以上の追及は差し控えた。美男子のような凛とした顔立ち、そのなかにある切れ長の二重ふたえが、少し吊り上がったのがわかった。その問いを望んでいないのだろう。

「……ではな」

 誾千代は、このみせの主に微笑とともに軽く手を挙げた。

「またぜひ、お立ち寄りください。倉田様によろしくお伝えを」

 そのあと、湊に停泊していた弁才船に乗船した誾千代は、蒸すような潮風のなか船縁に肘をついて佇んでいた。

 船が陸から離れ、府内の町が遠く小さくなっていく。そして船速があがる。潮流にのったようだった。上原うえのはる館が海面に浮かんいるように見える。

竹涼ちくりょうは侵臥がないをおかし

 野月やげつは満庭ていぐうにみつ

 重露ちょうろは成涓けんてきをなし

 稀星きせいはたちまちに有無うむ

 あんにとぶほたるはみずからてらし

 みずに宿やどるとりはあいよぶ

 万事ばんじは干戈かんかのうらなり

 むなしくかなしむ清夜せいやのゆくを

 もういつ会えるかも分からない。あの館が視界から消えるまで見ていたかった。

「……女としてのお覚悟、美事でありました。……本来ならばわたしも運命さだめを受け容れるべきなのでございましょう……」

 誾千代は孝子に自分の生き方を強制するつもりはない。彼女の立場では、それができないのも無理はない。せめて、あの姫の理想といえる人と添い遂げてほしい。

(ああした男が、お好きなのだろうか……)

 ちらり考えた。


 博多に着いた誾千代を、赤銅色に色灼いろやけした六尺四寸ほどの巨躯きょくが追ってきた。配下を二十名ほど連れている。かなり身分の高い名のある武士なのだろう、直垂姿の正装であった。だが、荒法師のようにいかつい体付きは、その服装に収まりきらないように見える。配下の者たちも槍を手に手に陣笠を被り、誾千代を囲まんばかりの物々しさであった。

 往来を行き交う人々は何事かと遠巻きに見ている。

「……誾千代様、帰りをお待ちしておりましたぞ。……したが、勝手に城を抜け出されるとは、感心致しかねますな」

 道雪の重臣筆頭、由布ゆふ惟信これのぶである。今は入道して雪下せっかと号している。

 生涯で六十五度の合戦におもむき、その体躯に六十五ヶ所の刃傷じんそうを持ち、七十通にも及ぶ感状を受け、一番乗り、一番槍、一番首は数えきれないという武辺者である。また戦に際しては、自身が道雪に推挙した二番家老である小野おの鎮幸しげゆきと軍の両翼を担い、主人道雪の輝かしい戦績に貢献してきた。しかし、ただの荒武者ではなく、博多の町の統治にも貢献し、優れた行政能力も併せ持っている。


 「天資英邁にして剛毅也」と言われる男だった。


 今年数え年で五十五となるが、がっしりとした頑強そのものの体つきは、壮年からいささかの衰えもみせない。現に六年後の天正十五年、立花姓を名乗っていた立花宗茂に従って肥後国国人一揆討伐にも従軍し、先鋒を務めて敵陣を斬り崩し一番槍の武功を挙げている。そのとき、老齢になっても健在である由布雪下の武辺をあるじである宗茂は激賞した。

 その仁王のような男に対して、忠三郎が勇を鼓した。

「大夫! この物々しさは何事でございますか!」

「若輩者がやかましいっ!」

 戦場で鍛えられた雪下の凄みのある大喝をび、忠三郎の気勢は瞬時にがれた。

 が、誾千代は冷笑していた。この娘の父譲りの肝の据わり方はやはり尋常一様ではない。右手を腰に置き、胸を張って雪下を見上げている。その瞳はらんと輝いていた。

「……源五兵衛げんごびょうえ、わたしは立花山城督である。七歳で父から家督を譲られたときに兵権および政事の権能も承継したと了解している。そのわたしの行動を掣肘する父上の方こそ道理に反すると判断する。……如何に、源五兵衛」

 品のある低い声が理路整然と説いた。静かだが、その口調には威があった。

「語るに落ちましたぞ、誾千代様。城督たるお方が、我ら年寄に無断で外出なさるとは……恥を知りなされ」

 雪下は、それには乗ってこなかった。それどころか、暴言を吐いて誾千代の論理を潰しにかかった。

 誾千代は、きっと雪下を睨んだ。

「わたしは貴様ら年寄どもの籠の鳥ではないっ! 自らの意志で城から出る自由もないのかっ!」

 逆上していた。雪下のあまりに無礼な物言いに我を忘れている。その怒りからか誾千代の左足が地をすべり、肩幅ほどの歩幅になっていた。

「自由……ですと」

「そうだっ!」

 切れ長の目は吊り上がり、白い頬を紅潮させた。

「まるで幼子のような由無よしなきことを申されるものよ」

 雪下は、せせら笑った。

「自由を求めるを幼子の所業と言かっ! その根拠を聞かせてもらおう!」

 誾千代とてそれは分かっている。だが、認めてしまうのは年寄たちに屈するようで、幾分、しゃくだった。

「ご自身の御身分をお考えくだされ。……城督たる者、御父君、道雪公のごとく、何時にても研鑽に励み、自らを厳しく律し、配下を訓育し、民を安んじ、そのうえで任地を統治せねばなりませぬ。そのような物の入り込む余地があるとお思いか。にもかかわらず、自身の都合のみ考えて行動するとは、何事にござるかっ!」

「わたしが、それをしていないように聞こえるが……」

 雪下が白髪交じりの虎髭とらひげむしりながら、

「不十分……ですな」

「……そうか」

「まずは、ご自身の義務を果たされませ。そして、今以上に城督として一意専心召されよ。その後に、自由……とやらが如何様いかようなものか聞かせて頂こうか」

 この男の言う義務という言葉には、網縄なわあみで絡めとられるような嫌悪感を抱いた。

 が、きりっとした口元に不敵な笑みがよみがえる。

「ならば……わたしが城督であることは認めるのだな?」

 術数にはまり手の平で踊らされた男の顔は、口惜しさと恥辱でゆがみ、赤銅色の面貌をさらに赤黒くし一言も声を発せずにいた。これでは、高橋統虎を後継とする主人の意向に逆らったことになる。

「子貢曰く、しもしたにおよば。言質は取ったと考えておく」

 と、微笑しながら足軽のかまえる槍の穂が首をかすめそうになるのを気にも留めずに少女は悠然としなやかに歩く。陽光を受けて輝く黒髪が、鋭利な穂先に触れ、さらさらと数本零れ落ちた。この足軽が少しでも手元を狂わせば――少女の首は落ちる。鋼鉄の穂先をすぎたところで、腰に置いていた右手を使って逆輪さかわをすっと払いのけながら、

(……顔回の凄さは………………凡俗には………ふふ、分かるまい)

 苦り切っている雪下の脇を颯爽と通りすぎた。

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