第20話 高橋の子

 年のわりには小柄な少年が、河原沿いの土手で寝転んでいた。

「太郎。ここにいたの」

「なんだ。美和か」

「御挨拶ね」

「何か用?」

「お父様が言ってたわ。わかには、覇気がないって」

 美和は、最後の言葉にわざと力を込めた。

「そうかい。……申し訳ありませんね、弱虫で」

 太郎がムスッとして手に持っていたうりをかじると、カリッと良い音がした。美和に、殺されてしまうかもしれないんだ、首を討たれるかもしれないんだ、と言いたかった。

「それでも高橋紹運の息子!」

「父上は、そう言ってますけどね」

 この少年は、豊後の戦国大名大友宗麟の重臣、吉弘よしひろ鑑理あきまさの孫である。父は、鑑理あきまさの次男、吉弘よしひろ鎮理しげまさであった。鑑理の嫡男、鎮信しげのぶは、宗麟の加判衆をつとめた勇将だったが、耳川の合戦で惜しくも戦死している。次男である父、鎮理しげまさも軍兵のなかで生きてきたような男なのだ。

 が、この少年には、その勇ましさが、かえってうとましかった。

(兄とは違う、ということなんだ)

 太郎は、足を跳ね上げて、その反動で半身を起こした。

「ぺっ……ぺっ……ぺっ……ぺっ、ぺっ」

「やめなさいよ。品性に欠けるわ」

 瓜の種を川に向かって飛ばした。届くかと思ったが、思ったほど飛ばないな、と思い、面白く無くなってやめた。美和の抗議を聞いたのではない。

 水生植物が川床で揺らぐ、その水面を舟が流れていく。切りそろえられた木材が並ぶ川舟。流れは穏やかのようだ。

「今度の戦に行くんでしょ?」

「よく知ってるね」

「聞いたの……」

「無理遣り連れて行かれるんだ。初陣しろってさ」

「恐いの?」

「どうだかね」

 太郎は意地を張った。

(そう思わない方がどうかしてるよ)

 まだ、数えで十一才なのだ。

「強がっちゃって」

「強がってなどない。ただ、血を見るのが嫌なんだ」

 戦場への恐れを認めるのは、父の体面を汚す恥辱だ。そういう自尊心を捨てきれないでいる太郎なのだ。

「どうして戦なんてするんだろ」

 太郎は、もう一つあった瓜を美和に差しだした。美和は、いらない、と首を振った。

「……美味いのに」

「あたし女よ」

 美和は言った。瓜にかじりつくなんてはしたない、と思ったのだ。

 太郎は、食べかけの瓜を食べ終えると、もう一つを懐に仕舞しまい込んだ。

「ちかく、人が来ることになっててね」

 太郎は、膝を抱えた。瓜が落ちそうになるのがわかる。

「人?」

「兄者の……許嫁さ」

「弥七郎様の……」

 美和の顔が一瞬曇った。

「気になるかい」

 太郎は、美和が兄の弥七郎に思いを寄せていることに前々から気付いていた。だからといって、嫉妬するとかやっかむということはない。恋慕の対象として美和はまだ幼すぎた。

「なんだか変わった人なんだとさ」

「どんな風に?」

「知らないよ。自分の許嫁じゃないんだから」

 太郎は、膝を抱えていた手を後ろに回して上半身を支えた。顔をうえに向けると懐に抱えていた瓜が土手を転がっていった。

「ああ!」

 美和が袖を引いた。が、太郎は、変わった形の雲だな、と思っていた。と、

「太郎!」

 遠くから呼ぶ声がした。

「兄者……か」

「おれだ! 聞こえないのか!」

(……ああ……兄者らしい……)

 ぼんやりとそう思った。

 兄弥七郎統虎は、家中の者すべてが認める丈夫だった。自分とはかけ離れた存在である。父の期待もきわめて大きい。だけでなく、大友家中きっての名将、他国では軍神とも称される戸次道雪のほうから養子に迎えたいと言わせるほどの有望な若者なのだ。

 美和がとなりで手を振っているのがわかった。

「美和! その小僧を連れてきてくれ!」

「……こぞう……か……もっともだ……」

 だが、その小僧を戦場に出そうとする大人たちはどうなのか、と問いたい。

「お呼びとあれば、行きますか」

 不承不承立ち、坂をおりて転がり落ちた瓜を拾った。手でペシペシと瓜をたたく。

「どうですかね、あの威張りようは」

 美和にわざと聞こえるように太郎はした。兄に聞こえてもかまわない。むしろ聞かせてやろう、とさえ思っている。

 統虎ほうから馬上畦道を来た。

「食いますか? 兄者」

「威張り散らして悪かったな」

「あ、いけね、聞こえてました。あははは」

 太郎は、わざとらしく頭をかいた。憎らしいほどけろっとしている弟の太々しさは悪くない、と思う。

のどが乾いていたところだ」

 統虎が、その瓜にかぶりついた。

「盗んだのか?」

「いやだな。買ったんですよ、銭を払って」

 太郎は、鐚銭びたせんを一枚ちらつかせて兄の疑いを解いた。

 美和は統虎の眉間のキズが痛ましかった。

「弥七郎様、ご婚約おめでとうございます」

 その刹那、美和の胸の奥に暗い炎がともった。が、健気にも祝辞を述べた。

「父と年寄おとなどもが決めたことだ」

「噂は聞いています。お綺麗な方なのでしょう?」

 美和が、恐る恐る尋ねた。

「フン、そんな奴ではない。男勝りで、身勝手で、気位の塊のような女だ」

 美和の頬に明るさが戻った。

(人を従わせようとするような、あの気の強さが気に入らん)

 容姿に文句はない。

 しなやかな身体から長い手足が伸び、小さな顔の目鼻立も鮮やかだ。透きとおるような白い肌と滑らかな黒髪も魅力的だった。だが、あの性格だけは許容できない。

 それに、統虎にとっては父と母こそ理想の夫婦像であった。父同様、おなごは見た目ではないと思っている。心映えの美しさこそ肝要なのだ。

「で、その眉間の怪我は、その人にやられたんですか?」

 太郎がとぼけたように聞いた。

(……こいつ、妙なところで勘がいいんだよな……)

「いいや、落馬したとき地べたから覗いていた岩で打った」

「へぇ、兄者でも落馬なんてするんですね」

「皮肉かよ」

「まぁまぁ、そう怒らずに。へへっへっへ~」

 太郎は手をまぁまぁと抑えながら笑っていた。美和はそんな太郎を、やめなさいよ、というように肘で突いている。

 統虎は、弟のペースになっていることに舌を打った。

「そんなことより、母上がお呼びだぞ。城に戻れ」

「兄者は?」

「領内視察だ、天満宮に行く。父上に命じられてな……」

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