第11話 示現流
鹿児島に逗留してより、すでに十日が経つ。
弥十郎は伊集院忠棟をおとなった。
忠棟は従者を伴って登城するところであった。弥十郎は忠棟の後ろについて歩いている。
城門を
この城は現在普請中なのだ。
伊集院忠棟が庭先に控えるよう指示してきたため、弥十郎はそれに従った。
(こうもうまくゆくとはな……)
敵の真っ直中に身を置くという緊張感が、いま、彼の闘争本能をくすぐっていた。
そして、しばらくすると、島津義久が廊下をつたって歩いてきた。
庭自体は簡素で、土が
質素だが味わいのある庭だった。
弥十郎の前方にある部屋には、紅葉色の
その少し下座には、紹介の労をとってくれた伊集院忠棟が、生真面目そうな
(……気になるな。あの
弥十郎は片膝をついて顔をさげている。さすがに義久の顔を許しもなく直に見るわけにはいかなかった。
「そのほうが相馬の一族だな。……廻国修行をしていると聞いたが」
「はっ。相馬三郎にございます」
「ん……。顔をあげよ、
「有り難きお言葉。ご拝顔の栄によくし、恐悦にございます」
弥十郎は、顎をあげて義久を見た。
(これが
義久は、ニヤリと笑った。
「戸次の老人は、達者にしているか?」
「と、申されますと?」
弥十郎は、意表をつかれた。
「その方の主の心配をしてやっているのではないか。……倉田弥十郎」
「その
義久は、
「猿芝居はいらん。底が割れているということだ。……島津の諜報網を甘く見るなよ」
「……左様でございますか。……まさか、ご存じであられたとは」
「そういうことだ」
「では、……殺しますか。わたしを」
「さて……。どうしようか、のう。伊集院」
義久は、あの家老を見やった。
「……そうですな。望み通りあの者と太刀合わせてみては如何かと」
「そうよな……。それは
体をかがめて長押をくぐってきた巨漢が義久の傍らに座った。最初からいた二人とは別の男である。
「この男は、剣術に秀でていてな……。そのほうの廻国修行に、せいぜい役立ててやってくれ」
義久の近習が廊下の前にある石段に
「されば、いざ」
男が剣をかまえる。
弥十郎もそれに応じた。
両者は
(……新陰流のようだが)
しかし、敵は特異な上段に構え直し、『キェー』と聞こえる奇声をあげた。するとその相手は、足を踏み込んで上段から豪快に切り下げてきた。疾い――降り降ろされた剣によって突風が巻き起こりそうなほどに。その風圧によって地表に
男は容赦なく
「ちっ」
弥十郎はふたたび後ろに飛んだ。間髪入れずに太刀で薙ぎ払う。
が、両者の剣が交差し火花が飛んだ。
男は柄を逆さにし、弥十郎の空を裂くような電光石火の一撃を受けとめていた。
「なかなかやるなあ、お主……」
(……勝ちを確信している?)
弥十郎は、片手で脇差を素早く抜き、相手の腹部を斬り裂いた。が、男も脇差をぬいて弥十郎の刃を、かるがると受け止めていた。
「……おれがその程度の反撃を予測していないと思ったか?」
「舐めてもらっては困る……これは、ほんの挨拶がわりだ」
巨漢は、腕一本で交差した二つの刃を引き起こした。その間にも、二人は片方の腕で、目にも止まらぬ太刀さばきで応酬をくりかえしている。
刃を介して両者の視線がぶつかる。
二人とも力を競い合うようにして交差した太刀を押し合った。もう一方の刃紋は、さらに戦いをつづける。弥十郎が攻撃したかとおもえば、巨漢が反撃する。金属音が、瞬時に空間を移転する――常人には真似のできない神速の業――。
「そろそろ飽きた」
巨漢が言った。
「それは、悪いことをした」
弥十郎は新当流である。
この太刀は、
(……強いな……この若者……)
密かな戦慄を覚えた。しばらく味わっていない感覚だ。
「その命もらったっ!」
「させんよ!」
弥十郎は身をかわし、その
「うっ」
「覚悟っ!」
巨漢が丸太のような腕で、とどめを刺そうと刃をあやつる。弥十郎の引き締まった腕がそれに応じる。双方とも脇差はすでに放棄し、相手の刃の存在しない間隙に鋭く太刀を滑り込ませた。刀紋が幾度となく交差する。お互いの重みのある
「止めよ! すでに鎮西の大勢は決している! 片眼を失ったような男を生かしておいたとて何の不都合があろうか! ……倉田よ、
「兄者、その男殺しておいたほうがよいでしょう」
あの直垂の男が唐突に声を発した。
「なぜか?」
「危険な目は摘み取っておくに如くはない。我らの本拠まで侵入する胆力は侮りがたい」
「……面白いではないか……。俺はこいつを生かしてみたい」
「また、悪い癖がでましたな。知りませんぞ……後で悔やんでも」
「……悔やむかよ」
島津義久はそう言い残して屋形の中に消えていった。
弥十郎は左眼を斬られた激痛に耐えながら、
「わたしの片眼を奪った男の名を、聞いておきたい」
「
「わたしは、倉田弥十郎景定だ。……東郷の名、覚えておこう」
弥十郎は屈辱に
(生かして帰すとは……
弥十郎は、奥歯を噛みしめながら島津義久への警戒心をさらに強めていた。
九州の暑い夏が、始まろうとしていた。
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