第12話 冷徹な侍女頭

「あのように不意をつくなんて……。年寄おとなたちは、この婚儀こんぎに執着しているよう」

「無理もございません。姫様もそろそろ縁組みなさるお年頃。おなごの幸せは、良き殿方に嫁ぎ、丈夫な和子わこをなすことでございます」

「そうかしら?」

 勝ち気そうな目が、芳野よしのを見る。

 その瞳には、どこか冷たい印象がある、と芳野は思う。

(この利かん気の強さには、困ったものね……)

「世の中には、」

「女と男しかいない。それは聞き飽きました」

 芳野はいつもそうたしなめるのだが、誾千代は聞く耳を持たない。

「おわかりなのでしたら……。ですが、この縁談は大殿様の御意思に叶うもの。お逃げになることは許されません」

「……わかています。そんなことは」

 最終的にはいつも父を出してくるこの才媛さいえんには結局口ではかなわない。そうなるともう反論できなくなってしまうのだ。

 この教育係は、いつもそうやって正論を振りかざしてくる。

 そう思うと誾千代の胸に悔しさが込みあげてきた。かすかに唇が震える。が、彼女はそれを必死に隠そうとした。それをおもてに出したら負けだと思った。

 一方、芳野は、誾千代の反発もよく分かるつもりであった。

 好きでもない男とちぎりを交わすというのは、十三才の多感な少女には精神的にやりきれないものがあるに違いない。

 が、道雪の意思には例え娘といえども逆らえないのだ。それは芳野も同じであった。

 そう思うと、芳野は誾千代の沈んだ姿があわれでならなかった。

「どうしたの? 芳野」

「いえ、どうかお気になさいませんよう……」

 誾千代は、つねづね芳野から女としての所作言動について教育を受けているため、屋形内やかたうちでは男のようなな服装はしないし、言葉づかいも自然としとやかなものとなる。

 そんな日常のなかで、芳野を相手にして詩歌を詠んだり、貝合わせをしてうつうつとした気分をなぐさめたり、筝琴そうごんを学んだり、あるいは立花りっか組香くみこうを楽しんだり、囲碁で気を紛らわせたりしていた。

「もう日も暮れましたから、本日はこれまでと致しましょう」

 芳野は白くしなやかな手で伊勢物語の写本を閉じた。

 夕闇が立花山城を浸し、漆黒が時を繋ぐ。

 誾千代は、薄手の打掛のおくみをつかんでしずしずと湯殿に向かった。その後、侍女の手で髪をかれた誾千代は眠りについた。

 この時代の人々は夕食は取らない。朝食と昼食だけであった。

 手燭てしょくを持った侍女が誾千代の寝所のある書院を濡れ縁にそって見回っている。濡れ縁の左端には庭と居館をへだてるようにして欄干らんかんが続いていた。

 その侍女は誾千代の書院の見回りを終えると道雪の書院へ向かった。

 道雪が普段生活する書院と誾千代のそれは、渡殿わたどのに似た回廊でつながっており互いに行き来できるようになっていた。屋形の南側には家人の詰め所もある。

 この屋形は書院造りが基本となっていた。

 初夏の夜風が一陣の涼を屋形内やかたうちの人々にとどけている。

 城番の足軽が檜皮葺ひわだぶき門の物見ものみ台に立っていた。彼らは松明たいまつをかざし、屋形へ侵入しようとする者を警戒している。

 屋形の庭にも十間じっけんに一つぐらいの間隔でところどころ篝火かがりびが灯され、辺りを照らしていた。

 門の前にも両脇に篝火があった。それは流れる微風に揺らめきながら前方に広がる暗黒を赤く染めている。

 静けさのほうが、松の梢をそよぐ風の音にまさっていた。

 その静寂を利用して、土塀どべいを飛び越える幾つかの影があった。門番たちはそれを見逃してしまった。しかし、月明かりはそれを見逃さなかった。

 影たちはなにかを探しているようだった。それはおそらく、彼らの目指す価値ある標的なのだろう。その影は並々ならぬ跳躍力で梢をかすめるが、物音ひとつたてない。

 刺客の一人が井戸の影に身をひそめた。

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