第13話 急襲、戸次屋形(前篇)

 寝所にはいった誾千代は、今日身に起きた不快なことを忘れるために眠りについた。それから半時ほどして、宿直の侍の声が屋形内に轟いた。

曲者くせものだっ!」

「そっちに行ったぞっ!」 

「逃がすなっ! 斬り捨てよっ!」

 と、みな口々に叫ぶ。

 誾千代は、その声によって眠りから呼び起こされた。

 明障子を開けた誾千代は、そこにいた侍女頭じじょがしらに言った。

「女たちに火縄銃を持たせろ。芳野」

 騒ぎを聞きつけた芳野は自身の曹司ぞうしから出て、誾千代の寝間ねまの前で待機していたのである。

 芳野は、ふっと吐息をついた。

(仕方ないわね……。こうなってしまったら、もう誰にも引き止めることはできない……。ときには諦めも肝要ということね)

 誾千代は、日頃から侍女たちに火縄銃の操作を学ばせていた。城督である以上、いつ何時なんどき、戦に巻き込まれないとも限らない。そんなとき彼女たちが火縄銃の扱いに慣れていれば、女でも戦力になり得る。

 特に、籠城戦においては重宝するはずであった。

 それに弓矢や刀は習得するのに長い歳月を要する。その点、銃は比較的短期間で習得でき、上達にもそれほど時がかからない。

 時には刀や槍を持った男とも対等以上に戦える。

 が、弓矢の家に生まれた者として、誾千代自身は弓箭術きゅうせんのじゅつを最も好んだ。

 誾千代は廊下を進んだ。

 白い寝間着ねまき姿の彼女には、匂い立つような気品があった。

「弓っ!」

「はっ」

 小袖に裁着袴たっつけばかまの侍女たちが即応する。

 誾千代につづく侍女は十六名おり、それぞれが火縄銃をたずさえている。

 欄干のある濡れ縁に出ると、道雪の近侍たちが複数の侵入者と戦っている様子が目に映った。

「各自、射撃準備を始めよ!」

 誾千代の命令を聞いた侍女たちが欄干らんかんの手前で横一線に片膝を立てて座り、火縄銃に弾丸の装填そうてんを始める。

 彼女たちの肩には火薬と弾丸の入った細い竹筒が紐で多数結びつけられ、帯状になっている早込め(早合)がたすきのごとく掛けられている。早込めは誾千代の父戸次道雪が考案したものだ。これがあれば、火縄銃に要する弾込めの時間を通常の三分の一にまで縮めることができる。

 弾帯に近い。

 日頃から鍛え抜かれた鉄砲隊は、銃口から火薬と弾丸を流し込み、サクじょうで突き固めた。

 現代のライフルは普通元込式である。だが、この当時の火縄銃は先込式さきごめしきの鉄砲だった。

 道雪の宿直をしていた忠三郎が誾千代の白い装束に気付いて駆けよってきた。

「忠三郎。オヤジは無事か」

「はい、誾千代様。ただ……」

「何だ?」

一太刀ひとたち、浅手をこうむっておられます。ですが、医師の手配は済ましてあります」

「わかった、あとで見舞う。今は奴らを片付けるのが先だ」

「はっ」

 そう言い残した忠三郎は、敵味方が入り乱れる戦闘のなかに戻っていった。

 口薬を火皿に盛って火蓋を閉めた侍女たちが火縄を火ばさみに挟んだ。種子島(火縄銃)を敵に向けて狙いをつける。

「発砲準備、完了しました」

 芳野が報告する。

「上等だ……言っておく。味方への被弾が危ぶまれる場合には、銃口を上げて弾を外しても構わん。その心配が無いときにだけ敵を狙うのだ」

 鉄砲隊はその指示に従って火蓋を切る。

「各自、射撃を始めよ!」

 誾千代は左手を腰におき、右手で合図を出した。

 耳をつんざく爆音とともに硝煙があたり一面に漂う。

 その瞬間、刺客のなかにふらりと膝をつく者、背中からばたりと斃れる者、前のめりにどっと斃れ込む者がでた。

 まだ無事でいる侵入者たちもその大音が轟いた方向をちらちらと気にし、気も漫ろといった様子であった。

 逆に、太刀を手にして戦っている味方は鉄砲による援護があると勢いづいた。

「普通の人間は、自分に銃口が向けられていると思うだけでも、恐怖を抱く。……そうなれば思わぬ過ちを誘発させることもできるものだ……」

 硝煙のつんとする焦げたような匂いはまだ周囲に漂っていた。

「種子島の準備を始めよ。この第二射撃でケリをつける!」

 誾千代は自ら鍛えあげた鉄砲隊にふたたび弾の装填を命じた。

(この者たちを差しむけたのは誰だ……。……島津か……いや、これが発覚すれば信長が黙ってはいない、あの男がそんな愚かな真似まねをするはずがない。……だとしたら……秋月か。あり得るが……黒帽子くろぼうしは、島津と密かに誼を通じていると聞く。……とすれば、そうか……あの男だな、糸を引いているのは……。姑息なことをする)

 黒帽子とは、秋月家の当主筑前守種実の幼名である。誾千代がこのように彼をさげすむのには相応の理由があってのことだ。つまり、無念さがそうさせるのである。

 秋月種実は戸次一族の仇敵だった。

 今から十四年前の北九州で、中国地方の覇者、毛利元就によって画策された大乱があった。大友一門の宝満山城督、高橋鑑種が反旗を翻し、それに筑前国衆、宗像氏貞・原田了栄・筑紫惟門、肥前の龍造寺隆信らが呼応。元就の調略によって、最終的には当時の立花山城督、立花鑑載もが毛利方に走った。そこに吉川元春、小早川隆景も大軍を率いて博多付近に上陸、北九州は反大友に染まった。その大乱のきっかけとなったのが、元就の援助を受けて失地回復を図った秋月種実だった。後の世に『休松さがりまつの戦い』と呼ばれることになる合戦が、この大きな内乱の契機となったのである。

 秋月勢との緒戦に勝利した戸次道雪、臼杵鑑速、吉弘鑑理らの大友勢は種実の夜襲により不意を突かれ、道雪の叔父や弟たちなどの多くの人々が秋月勢によって討ち取られた。

 誾千代が未だにこれを憎むのは、重臣たちからそのときのことを何度も聞いているからだ。

 この乱で、最終的に道雪は、中国地方を手中におさめた毛利元就と干戈かんかを交えて叩きのめし、大友家執政、吉岡宗歓の知略とともに元就の博多支配という目論見を打ち砕いたという恐るべき経歴をもつ。中国地方で暴れまわった元就も九州ではとうとう戸次道雪に歯が立たず、泣く泣く安芸に逃げ帰るしかなかった。そのとき『毛利の両川』として有名な吉川元春と小早川隆景も赤子のように道雪にひねられた。


 誾千代の父は、あの毛利元就をも凌ぐ戦国屈指の用兵家であった。


 その証左として、甲斐の武田信玄に『一度会ってみたい。戦して勝負してみたいものだ』と言わせ、天下人豊臣秀吉には『宗麟など捨てて、わしに仕えよ』とまで言わせている。それほどの男が秋月種実の能力を認める発言をしているのだ。


 『名将言行録』によると、


 あるとき種実は歌舞伎見物をするため博多に行った。そのとき、道雪の家臣が『いまなら種実を殺せます』と進言した。道雪は、『種実は、戦場で討ち取ることにしている。暗殺などという卑劣な手段で死なすべき男ではない』と言い、その家臣の進言を採用しなかった。それだけでなく、種実に『敵地であるため身辺には十分気を配ったほうがよい』という忠告までしたとも伝わっている。 


 秋月種実は、決して凡庸な男ではない。


 彼は、豊臣秀吉の九州征伐で島津方につき、衆寡敵せず、敗れて小大名に転落した。

 だが、そもそも種実は生涯にわたって戸次道雪、高橋紹運や立花宗茂といった人々と戦い続け、そのうえで秋月氏の最大版図を築いている。

 彼の父秋月文種は、道雪ら大友氏の武将によって自刃に追い込まれた。秋月氏はそのときに本城である古処山こしょさん城を失い、一度、九州の地から消えている。そのとき十歳だった種実は家臣によって毛利氏の中国へに亡命した。二年後、深江美濃守という家臣の協力をえて十二歳で大友氏から古処山城を奪い返した。それから種実は道雪ら大友氏の武将と戦いながら、弟たちを豊前の国衆の養子に出して支配領域を拡大した。


 が、誾千代の心に頓着せずに時は刻まれる。足下では鉄砲隊の発砲準備が着々と進んでいた。

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