第14話 急襲、戸次屋形(後篇)

「断わっておくが、味方と白兵戦をしている敵は無視していい。さすがに味方を撃つわけにはいかないからな。味方と離れている敵にたまを集中させよ!」

「第二撃、準備完了しました」

 と、芳野が伝えた。

「了解した。狙いを定めたのなら、各自、発砲せよ!」

 敵に向けられた鉄砲の大音がふたたび轟く。

 侍女たちの弾が、さらにいくつかの敵影を斃した。

 半数近い味方を斃された刺客たちは、さらに浮足立った。

 誾千代は、それを見逃さない。

「敵は崩れたっ! 押し包めっ、殲滅せよっ!」

 掃討戦の下知が、家臣らに飛んだ。品のある低い声は、少女の残忍さを引き立てる働きをした。敵に対しては一片の慈悲も感じさせない性格を物語るものだ。


 ここで情をかけるわけにはいかない。襲撃者を逃がせば、また同じことを仕掛けてくるからだ。暗殺など、無駄だということを敵に思い知らせる必要がある。そのため誾千代は、あえてこの命を降したのである。兵法の基本といえる。


 残りの敵を、近侍らが追い詰めていく。そして、剣戟けんげきの音は屋形の庭から消し去られた。侍女たちは、静けさを取り戻した屋形内の光景に安堵していた。

 つややかな長い髪を掻き上げながら少女がいう。

「いつもより暑いな、今日は……。こんなことになると分かっていれば、もっとゆっくり湯浴ゆあみをしていただろうに……が、他愛のない」

「すぐに湯殿を用意させますが」

「そうだな。……そうしてもらうか」

 芳野とそんな会話をしていたとき、一つの黒い影が不意に誾千代たちの前に躍り出た。

 ふっと気を抜いていた侍女たちが急いで弾丸の装填を始める。

 それでは間に合わないと思った誾千代が黒重籐くろしげどうを構えた。

「龍造寺の手の者か!」

 暗殺者の正体をただす。

「言う義理はない……」

 その首領とおぼしき男は拒絶した。

「そうか。ならば……」

 女城督が矢をつがえる。

 弓摺羽ゆずりばが頬をくすぐる感触が、今日はなぜか不愉快だった。

「これで終わらせる」

 漆黒の光束が唸りを発し、黒い光の筋となり天空にむかって直進する。が、

「外れるな……」

 流星の嚆矢が――外れた――刺客の動きは、すでに人間でなない。

 その影は機敏な動きで誾千代の目を惑わす。鍛錬しぬいた動きを持つ怪物的な敵が、空中を自在に移動しながら苦無くないを立て続けに少女に投げつけてくる。六、八、十本と高速で飛んでくる苦無が次々に女城督を襲う。が篝火を反映した赤橙せきとう色の光糸こうしとなり誾千代に向かって乱れ飛んだ。

「……じゃれ合おう」

 跳躍する誾千代。重藤の弓を手にしながら宙を舞い身体にひねりをくわえて、次々と飛来する鉄針を紙一重のところでかわす。

 宙で身を翻す唇から詩が流れる。

摽有梅ゆうばいをなげうち

 其實七兮そのみななつ

 求我庶士われをもとむるしょし

 迨其吉兮そのよきにおよべ

 躍動感みなぎるしなやかな肢体。忍びの放つ鋭利な凶器は少女をとらえきれないでいた。切れのある身のこなしで敵の攻撃を避けながらも、空中で黒重藤くろしげどうを弄び、身に迫る苦無をはたき落としていった。

 まさしく妖魔の業。はた目から、優雅に舞っているように見えるだろうか。その動きは、優雅とはほど遠い――はやい――侍女や庭で見守る近習の目では捉えきれないほど。

摽有梅ゆうばいをなげうち

 其實三兮そのみみっつ

 求我庶士われをもとむるしょし

 迨其今兮そのいまにおよべ

 敵の首領が放つ『苦無のれ』は、時速300キロをゆうに超えるスピードで誾千代に襲いかかってくる、その凶器の鋼刃の一つ一つを瞬時に躱し、はたき落としさえする、しかも――宙を舞うという動作を伴いながら――人力では不可能な動きだ。

 が、この二人は違った。

 女城督は、着地した片足ですぐさま床を蹴って素早く宙返りし、身を屈め、もどったかと思うと、左にめぐり右に転じて苦無を躱す。あられのような無数の鋼刃をさけるため、しなやかな肢体が右へ左へ十数回、旋風のように旋転し続ける。


(――――っ)


 敵も凄腕、脇腹に激痛が走る。

 乱波らっぱの苦無が少女の血肉を裂いたのである。後ろにいた侍女たちも無関係ではいられない。流れ弾によって巻き添えを食らい、苦無による洗礼を浴びた。悲鳴をあげて崩れ落ちる者が出た。

「その程度の腕でいい気になるなよ!」

「……ふふ、無粋だな。摽有梅ゆうばいをなげうち

 頃筐墍之けいきょうこれをおくる

 詩を詠ずるのをやめない誾千代は、宙を逆さに舞いつつ、捧げる侍女から矢をとり、二本目を空中で巧みにつがえた。

求我庶士われをもとむるしょし――」

 舞ながら異能の者の敏速な動きを目の端でとらえて逃さない少女は、着地と同時に欄干の横材を荒々しく踏みしめた。


迨其謂之そのこれをいうにおよべっ!」


 第二の漆黒の光束が、咆哮をあげながら天へと走る。稲妻のような凄まじい黒い光。魔物ような暗殺者の首が吹っ飛んだ。おびただしい量の血飛沫ちしぶきがまき散らされる。賊と邸内で格闘していた近侍たちに血の雨が降りそそぐ。黒い光に巻き込まれた首領のからだは原型をとどめず、手足と首以外は、ぐにゃりと不自然にひしゃげたかと思ったら、高熱が流れ込んで急激に膨張、粉微塵に弾け飛んだ。焼け焦げた微小な肉片が無数、赤黒い靄のなか、重力に逆らうかのように空中を浮遊、他の肉塊は火焔に包まれながら音をたてて庭に落下した。


「……忌々しい奴……。……もう………口は利けない」


 誾千代は負傷した侍女たちの介抱を芳野に指示すると、濡れ縁から庭へ、素足のまま飛び降りた。医学の知識ももっている博学の侍女頭は、手傷を負っていない者に指示をし、手当てのための包帯や、漢方の典籍をあたって本草ほんぞうを蒐集し自ら調合した痛みを鎮める妙薬を持ってこさせ、呻き声を漏らしている侍女たちに適切な処置を施した。しかし介抱の甲斐もなく、息をひきとる者が後日でた。


 ――侍女二人、近侍三人――。


 邸内にはところどころに血溜まりができ、切り刻まれた亡骸が十八体横たわる。首のない胴は内臓がえぐられ、手足は千切れ飛び、怒りのまなこで虚空を睨みつける首が、まるで息をするかのように赤黒い血泡ちあわを吹いている。


「……怨念なら……肥前の男に向けろ」


 誾千代は、右の脇腹を触った。はたして血で染まっている。それは射籠手いごてのような紅色で、そのことに奇妙な安堵感を覚えていた。

 道雪は片足が不自由なため不意の急襲を受けると格好の的になってしまう。その父の代理をしているのは、桜の紅玉のような美しさを秘めた少女であった。

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