第15話 国都府内

 船がみなとの船着場に横付けされた。船と埠頭ふとうが不安定な厚板でつながれる。弥十郎はその上をバランスよくつたった。久々に陸地を踏む感覚を確かめる。

 そこは沖の浜と呼ばれる湊。南蛮(スペイン、ポルトガル)、ルソンとの貿易が盛んな国際貿易港である平戸、あるいは博多といった大都市とも取引している商人が居住しているため、幾つもの船が埠頭ふとうに係留されていた。みな縄で岸に繋がれている。

 弥十郎は、渡し場の土をかかとで踏んで身体を少し回転させた。すると、前方に町並みが広がった。

 実に壮観だった。

 近くでは、銀や俵物たわらもの、刀剣や陶磁器といった貿易品を、水夫かこたちがにぎやかな掛け声をかけながら積卸つみおろししている。

それらは、船着場に野積のづみされていた。

 昨夜の驟雨しゅううで土は湿しめっている。木の葉にりたつゆが、光りを含んで輝いていた。

 弥十郎は編笠あみがさをかぶり、そのまま南へ歩きはじめた。通りすぎていく景色は国際都市のそれに酷似している。

 多様な国籍の人々が目に入ってくる。聞きなれない音調が入り混じった会話に耳を傾けた。南蛮の貿易商、明の船乗り、日本の侍、少し先にあるつじには露店を営むルソンの夫婦もいる。おそらく彼らは平戸や博多から足をのばしたのだろう。この町の人々の格好や言葉は、見たり聞いたりしていて飽きがこない。まるで見知らぬ異郷いきょうにいるのか、と錯覚するほどだ。

 ここ府内は、中世を通して大友氏の都邑とゆうとして発展してきた。

 東西七百メートル、南北二千二百メートルの大都市。

 北は海に面し、他の三方が山で囲まれたこの都市は、源頼朝が首府しゅふとした鎌倉に似ていた。

 ただし、南北は逆転し、南に奥深く街がつづく。

 五千以上の家屋が軒を連ね、人口は数万に達している。泉州堺せんしゅうさかいと比べても見劣りしないはずである。

 市街の中央に大友氏の居館きょかんがある。それは大友館と呼ばれてる屋敷で、白亜はくあの壁で囲まれた二百メートル四方の宏壮こうそうなもだった。その館を中心にして東西に五本、南北に四本の大路が走っている。

 歩いていると、天に向かって高々とそびえる高楼こうろうが姿をあらわした。万寿寺まんじゅじの五重塔である、その寺は大友家の菩提寺ぼだいじだった。唐様からよう伽藍がらんが特徴の、臨済宗の大寺院である。

 南西の台地には上原うえのはる館が優雅に建っているのが見えた。

 それは大友氏の別邸。南に伸びる丘陵の北端にひっそりとたたずんでいる。敷地は本館(大友館)よりは小さい。

 あの台地から北を望めば、大海に面した府内の町が一望できる。どれほど爽快なことだろうか、と弥十郎はいつも思う。

 大友館の白い壁を右手に見ながら、彼はさらに歩いた。

 大路には、雨上がりの清潔な匂いがあふれていた。

 次の辻を右に曲がれば、扇子やおうぎべにくし見世棚みせだなに飾る小売商がある。

 弥十郎が贔屓ひいきにしているみせだ。

 丁稚でっちが店の前に落ちている落葉らくようや塵を竹箒たけぼうきで掃いていた。

「元気にしていたか? 圭助けいすけ

「倉田様!」

 弥十郎は、この年若い奉公人になつかれていた。ここに来るときにはいつも甘い饅頭まんじゅう草餅くさもちなどを土産に持ってくるのだ。だが、圭介はそんな土産よりもこの侍に会えることの方が嬉しかった。いつかは自分も、と思うところがあった。憧れているのだ。この強くも優しい侍に。

「旦那様! 倉田様ですよ! 倉田様がいらっしゃいましたよ!」

 弥十郎は笑顔で暖簾を分ける。圭助は、弥十郎の顔の変化に気付く間もなくみせに駆け込んでいった。

「よくおいでくださいました」

「ああ、内儀ないぎ。久しぶりだな」

「⁉」

 この店の妻女は、弥十郎の左眼を覆っている黒い帯を見て息を呑んだ。

「見ての通り片眼を失ったが、それほど不気味かな」

「……いえ、その……。かえって、男振おとこぶりが上がられたような……」

「世辞を言う必要はないよ」

「いえ……。お世辞ではございませんが、前より少し……恐ろしくなられたような……」

「それは困ったな」

 弥十郎は苦笑した。

「倉田様。⁉」

 座布団をもって現われた亭主も妻女と同じく絶句して茫然と立ち尽くした。

(会う人、会う人がこれでは……。この先が思いられる)

 と弥十郎は思った。

「……孝兵衛こうべえ。突っ立ってないで……。持って来てくれたのだろう、座布団」

「あ、ああ。はい。……ですが、どうして」

「いろいろあってな」

 弥十郎は孝兵衛がくれた座布団に座り、編笠の紐をといた。

「内儀。圭助けいすけと共にこれをしょくしてくれ」

 そう言って弥十郎は、妻女にふところにあったはぎの餅を渡した。薄茶色をした竹葉ちくように包まれている。

「これは……。なんと御礼を申し上げればいいのやら」

「よいのだ。遠慮せずに食ってくれれば……それが一番嬉しい」

 妻女は、その竹葉を両手でかかげるようにして下がっていった。

 弥十郎は、編笠を店の板敷に置いた。

「ですが、そのお怪我は大丈夫なのでございますか?」

「そうだな……。まだ痛むが、慣れているからな。なんとかなるだろう」

「そんな、他人事のように……」

 孝兵衛は、心配そうに弥十郎の左眼を覆う黒い帯を見ている。

 傷口は直りきってはいなかった。黒色の帯の下にある刀傷かたなきずの痛みは、いまだ激しい。だが、弥十郎はこれまでも戦場で幾度も創傷そうしょうを受けてきた。だから、痛みには慣れている。

「孝兵衛、あの扇子を見せてくれないか」

 弥十郎は、見世棚のかどに飾られている扇子を指した。

「あれですね、少々お待ちを」

 孝兵衛は、立ちあがって扇子を取りに行き、弥十郎に渡した。

「なかなか良い品だな……」

 弥十郎は扇子を開き、そこに描かれた大和絵やまとえを見た。

「それはもう、今をときめくの狩野かのう派の絵師が描いたものですから。その代わり値は張りますよ」

「……そうだろうな」

「これをどうなさるおつもりで」

「……ある人に贈ろうと思っている」

 弥十郎は描かれている花鳥画かちょうがに目を奪われた。

「またですか……。おなごの恨みほど恐ろしいものはないと申しますよ」

後腐あとぐされのない別れ方を心掛けているから、問題はないよ」

「それならいいんですけどねえ……」

 孝兵衛は、冷ややかな視線を弥十郎に送った。

「どうした?」

「いいえ、なんでもございません」

 孝兵衛は、弥十郎の女遍歴おんなへんれきを快く思っていなかった。

近近きんきん手形を送るから、近くの問屋といやで換金してほしい」

 ふところに持ち合わせが無いため、その珍貴ちんきな扇子の代金を為替かわせで決済することにした。

うけたまわりました。誠にありがとうございます。……この帛紗ふくさは本来高価な茶道具をつつむためのものなのですが、この扇子は特に貴重なものでございます。どうかお使いくださいませ」

「……これは……。有り難い」

 その帛紗の滑らかな手触りに、孝兵衛の篤実な真心を見る思いがした。弥十郎は扇子を閉じ、孝兵衛から渡された帛紗につつんで袖口から入れてたもとに落とした。女中が運んでくれた茶をひとくちきっし心地よい渋みを味わうと、

「話は変わるが、この頃この地で特に変わった噂などはなかったか?」

 言った弥十郎の顔から穏やかさが消えた。

「……」

「あるのか」

 孝兵衛は、一瞬首をすくめた。

「……ええ。まあ」

「聞かせてくれ」

「お館様のご行状が……」

「以前より悪くなったのか……」

「はい……」

 大友宗麟は、五年前の天正四年に家督を嫡男の左兵衛督さひょうえのかみ義統よしむねにゆずっていた。そして、自身は府内から臼杵うすきにある丹生島にうじま城に移ったのである。天正五年の耳川の戦いの後は、義統よしむねが大友館のあるじとなっていた。

 その当主の行いが、はなはだ宜しくない、というのである。

「なんとかしてくださいませ」

「そうしてやりたいが、わたしは陪臣ばいしんだからな……。諫言はおろか、御館に会うことすら叶わんのさ……。とはいえ、割を食うのはお前たち領民だ……」

 弥十郎とて歯痒はがゆくてならない。自分と同年代の義統の乱行らんぎょうは、つとに知られている。家臣のなかにはそれによって義統を軽んじる者も出はじめていた。

(しかし、民人たみびとまでが愛想尽あいそづかしをしているとはな……)

 そう思うと、大友家の行く末が危ぶまれた。

「わかった。道雪様に相談してみよう。今日のところはこれで失礼する」

「よしなに願いあげます」

 弥十郎は暖簾を分けると、府内にある戸次屋敷に向かった。

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