第5話 博多の才女

 落札した馬の手綱を引きながら、弥十郎はまた歩きはじめた。

 異国との交易に手を出す大商人の邸宅がいく棟もある商業都市。多く商家が軒をつらねていた。豪商と呼ばれる店もあれば、規模の小さな店もある。

 ときおり編笠から射し込む光がまばゆく、彼の切れ長の目が一瞬まばたいた。左手には遠く海が見える。砂浜で漁師たちが地引じびき網を引いていた。すると、突然風が巻き起こり砂煙が立った。弥十郎は左手を口にあてたが、ほこりが少し入り咳き込んだ。

 歩き方も様になっている。

 背筋を伸ばして歩く姿は、まるで帝国海軍士官のように凛々しい。その歩みは比較的ゆっくりしたものだった。またしばらく行くと、分厚い看板を飾っている大店おおたなの店先から女の声が聞こえてきた。荷車から積荷を下ろしている人足たち。それを指図している若い女の姿が目にとまったのだ。

「……娘のようだが、女中には見えんな」

 その娘は荷物の積み上げが終わると、さっさと店のなかに入っていった。ふと見ると菊乃屋という看板が店頭に掲げられている。

「早世した親のあとを継いで、富を築いたという娘だな。あれは」

 その噂を聞いていた弥十郎はその店に立ち寄ることにした。

 店は客で賑わっていた。

 藤色の暖簾のれんを手で分けて店に入った。すると、机の前に座り帳簿を確認している女が店の者にてきぱきと指示を出している。その働きぶりに弥十郎は好感をもった。紐をといて編笠を片手に持つと、

「主はいるか?」

 総髪そうはつの弥十郎は板敷となっている店の床に座り、編笠を傍らに置いた。

「わたくしが菊乃屋の主、千鶴でございます」

 三つ指を床につけて丁寧にお辞儀をしてきた女は、見れば二十歳そこそこという若さであった。

「私は、戸次家家中の者で、倉田弥十郎と申す。所用があって博多に立ち寄ったのだが、貴方の熱心な仕事ぶりに感心してな。つい」

「ふふっ」

「……なにか?」

「倉田様でございますね。存じております。戸次の大殿様の御信任が厚い方だとか」

(……油断のならない女だ)

 弥十郎は、本能的にそう感じた。

「さあ。それはわからんが、知っていてくれたのは嬉しい」

 弥十郎は、素直にそう言った。

「こんなところではなんでございますから、奧でお茶でも」

「それは有り難い」

 千鶴が両手を差しだしたため、弥十郎は、差料さしりょうを腰から抜いて遠慮なく彼女に渡した。そして、埃を手で軽く払ってから草鞋ぞうりを脱いだ。羨望を隠せない番頭や手代たち傭人ようにんらを尻目に、弥十郎は彼女に続いて歩いていく。

 千鶴の部屋は豪華だった。

 異国のものと思われる調度品が飾られており、なにか別天地に来たように感じた。おそらくこの娘は平戸に来訪するカラッチ船とも取引をしているのだろう。千鶴は弥十郎の太刀と脇差を刀架とうかに立てると、しなやかな腕で座布団がしいてある上座を示した。

 弥十郎が、どかりと座る。千鶴も向かい合う位置にたおやかに腰をおろした。彼女が手に持った鈴を鳴らすと、女中が茶を持って現われた。まるで弥十郎の来訪を初めから知っていたような手際であった。

(やはり、り手らしい……)

 喉が渇いていたため、弥十郎は彼女がだしてくれた茶を少し急いで飲んだ。そして、つい音をたてた。

(我ながら……)

 ちらと女主人に目が行く。が、特に気にしてない様子であった。

 弥十郎は喉の渇きを癒やすと、

(事のついでだ)

 と思い、話を切り出した。

「ぶしつけで悪いのだが、唐物からものの絹に限らず、明やルソンなどからより珍しい品をとりよせてあきなってもらいたい。一定以上の儲けを挙げれば、租税は軽減しよう」

「戸次様のお台所も潤うというわけですね。利口ですこと」

「さあ。……それは」

 弥十郎は、言葉を濁した。

「しかし、この店だけが例外なのではないということは、承知してもらはねばならん」

「もちろんですわ」

「良い返事だ。ならば、大殿に相談申し上げたのち、近日中にも布告をだすとしよう」

「ご用件はそれだけでございますか?」

「と言うと?」

「戸次様の姫様が、婿捜しをなされているとか。まことでございましょうか?」

「なぜそれを?」

 弥十郎は少し驚いた。だが千鶴はそれには答えなかった。

「でしたら、ご推薦いて頂きたい御方がいらっしゃるのです」

「ほう。聞かせてもらおう」

 千鶴は、にこりと笑って続けた。

「岩屋の城督であられます高橋鎮種たかはししげたね様の若様で、弥七郎統虎やしちろうむねとらという御方でございます」

「なるほど、その名は聞いたことはある。しかし、あの御方は惣領そうりょうだ。高橋様が手放すかな?」

 弥十郎も高橋弥七郎の名は聞いたことがある。しかし、将来有望な嫡男を父親が手放すとは思えなかったため調査対象から外していたのである。

「わたくしどもに任せて頂ければ」

 そう言う千鶴の顔は、自信に満ちていた。

「これは、あの方の御意思なのだ。そのつもりで励んでほしい」

「わたくしの器量を疑うのですか?」

「……信じればこその発破だよ、これは。……それが不満なら激励と受けとってくれればいい」

 天正九年の春は、まだ終わらない。

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