第4話 異国の駿馬

 空は晴れ、浜には白泡を含んだ波がうち寄せている。

 弥十郎は異国情緒漂う街を歩いていた。

 彼は誾千代の相手として相応しい者をさがすよう道雪に命じられていた。今日もある国衆くにしゅうの子弟を実見じっけんしに行ったのだが、二三質問をし、見込み無しとしてその城を辞去してきたのである。

 もちろんそこに至るまでの簡単な調査は部下にやらせている。その帰りに馬市を見に行くため、北西へ進路をとって博多によったのだ。

 潮の香りが鼻梁をくすぐる。

(やはり、この雰囲気はいい。……胸を弾ませてくれる)

 立花山城近郊の浜辺とはまた違った趣がある。弥十郎は久々に立ち寄った博多という町にあらためて好感を抱いた。

 桜の花びらが舞う道を、弥十郎は東へ向かっている。進むうちに前方に人垣が見えてきた。すでに競りが始まっているようだ。三十貫、五十貫、七十貫、という商人の声が聞こえてきた。そして、どんどん値が上がっていく。

 ついに、

「百貫、百貫でお買い求めになる方はいらっしゃいませんか?」

「よし。その値で買おう」

 落札した人物に衆目が集まる。その瞬間、周囲はしんと静まり返った。その男が尋常の者ではないと見えたからである。

 編笠あみがさからのぞいている引き締まった口元は、その男の意志の強さを示していた。着ている服装はすべて黒で統一されている。小袖こそで伊賀袴いがばかまは言うおよばず、羽織や足袋たびにいたるまで。

 それは弥十郎の好む色だった。編笠を目深まぶかにかぶった顔は半分隠れている。

「おぉぉ~、あんた、豪儀ごうぎだねぇ」

「銭は後日支払う。戸次道雪様を知っているか?」

「べっき……? どこの人だい」

「……知らんのか?」

「あたしら、明から来ているからねぇ。べっきと言われましてもね」

「明の者か……。ならば、あの山が見えるだろ」

 弥十郎は東の空を指さした。この異国の男にも立花山城の全景が目に入るはずだ。

「あの城に行けばいいのかい?」

「……ああ、麓まで来れば代金を払うように言っておこう」

「いいですよ。伺いましょう、そうそう払いは銀でお願いしますね」

 男が流暢な和語で応じる。とても異国の人間とは思えない。

「そうだったな。だが、生憎あいにく銀はない、銅銭で決済するしかないな」

 実際は豊富にある。とはいえ、足元を見られるわけにはいかない。

 立花山の土蔵には、博多の豪商、酒屋や土倉といった有徳層ゆうとくそうに税を課すことでおびただしい量の御公用ごくよう丁銀や譲葉ゆずりは丁銀が蓄積されていた。

 彼らは年行司と呼ばれている。十二人からなる合議制の自治組織を構成する人々だ。つまり、交易都市博多の市政に参加できる有力者である。代表的で知名度が高い者としては、明や朝鮮と交易をして巨富をなした島井宗室、交易で巨万の富を築き諸大名垂涎の的となっている大名物『博多文琳はかたぶんりん』を所持している神屋宗湛があげられる。

 博多という港町は中世の初期の頃から海外貿易の拠点となっていた。平氏による日宋貿易、あるいは室町幕府や西国守護大名による日明貿易、または対馬を介した日朝貿易、あるいは琉球の主宰する中継貿易の恩寵をこうむり富を築いた豪商をその時代ごとに輩出した。

 平忠盛・清盛父子、足利義満、大内義興、大友義鎮といった時の権力者たちと良好な関係を築き時流に乗ったのだ。今の世で彼らが重ずべき権力者とは戸次道雪ということになるだろう。

 なぜなら、博多に奉行を派遣してこの地を実効支配しており、博多近郊の巨城に拠って大友氏から周辺の一円支配をゆだねられている。また、博多の侵略を目論もくろんだ中国の奸雄毛利元就を北九州から遁走せしめ、その後善政を布いて博多に住まう民人の心とらえているからだ。博多沿岸に流れ込む河川の水運も握っており、物流の統制もできるため、無視することなどできない。

 また、博多近郊の関所の廃止、楽市ノ令の施行なども同時に行っており、この先さらに領内の経済的発展が期待された。それは博多に店を展開する商人だけでなく行商人や馬借・車借といった運送業者たちも望んでいることだ。彼らは数多くの関所で徴収される関銭(通行税)に辟易している。関銭の徴収は室町幕府の政策の一環であり、寺社や貴族といった荘園領主あるいは国人領主といった地方豪族の主要な収入源だった。

 これらを排除することは、旧来の既得権益にしがみつく人々の反発を招くことになるが、応仁の乱以降室町幕府の権威は失墜し、すでに遠く九州にまで代官を遣わす力すらない。また権門勢家(高位の貴族)も同様にすでに没落している。寺社にしても畿内から遠く離れている九州では、比叡山延暦寺や南都興福寺といった大寺院に遠慮する必要もない。唯一衝突があるとすれば筑前の国人領主層であろう。そのあたりの匙加減は難しいが、道雪は彼らの惣領以外の庶子を自身の馬廻衆に取り立てて生活の保証もしてやり、実力次第では戸次家の年寄おとなに昇進させるという制度も構築しているため、いまのところ国衆からも大きな不満はでていない。

 弥十郎も、そうして鄙賤ひせんの身から取り立てられた賢能の士であった。

「嫌ならこの話はこれまでとしよう、わたしは他にも数頭の良馬を所有している。無理に買う必要はないのでな」

「左様でございますか……仕方ありません、それで手を打ちましょう」

 この男には銅銭と銀を交換する当てがあるらしい。が、弥十郎がそこまで心配してやる謂れはない。

「代わりにこの馬を引き取ってもらいたいのだが」

 弥十郎は持っている馬の手綱をその唐人からびとに手渡した。

「なるほど。これは良い馬ですが、少々」

「十年ほど使っているからな。言い値でいい」

「話の分かる御仁だ。それでは……十貫ほどで如何です」

「それで構わんよ」

「毎度ありがとうございます。この馬は絹の道からもたらされたイスラムの産なんですよ」

「ほう……。アラブ馬か」

「正確には、アナトリア産ですがね」

「オスマン……。それほど遠くから……」

 弥十郎は以前博多に来ていた南蛮の宣教師が、

「イスパニアの遥か東にイスラムという宗教をもち、キリスト教圏の国々とかつて宗教上の争いをした国々がある」

 と言っていたのを思い出した。

 そして今現在その辺りの地域にそういう名の大国があるらしい。当時非常に驚いたことを覚えている。なにしろこの世界が球体であることすら知らなかったし、まして唐・天竺の遥か西にそのような聞いたこともない宗教をもつ人々がいることも信じられなかったほどだ。

 だが、何事も合理的に考える癖のついている弥十郎は、宣教師たちのいう西への航海の話やそれを実行したポルトガルの船頭の話を聞き、その事実をおぼろげながら信じるようになっていた。

(絹の道ということは、この馬はポルトガル船頭とは逆の『地の道』をここまで来たということになるのか……)

 異境の国々を経巡り、多くの人々と苦楽をともにしながらようやくこの国まで来たのだろう。その様子がいま、絵巻物のようにあざやかに弥十郎の脳裏をかけめぐった。

「なんと壮大な……」

 感動をおぼえずにはいられない。誾千代の愛馬もイスラム圏のものだ。もしかしたらこの二頭はどこかで会っているかもしれないのだ。

(……たまにはこういう新奇な想像をはたらかせるのもいい)

 その商人が新たな駿馬しゅんめの手綱を渡してきた。

 その馬はすらりと脚が長く筋肉質で、見た目にも活力に富み性格も荒々しく見える。であれば戦場でもよく働いてくれるに違ない。そしてなによりげ茶色の毛並みが美しかった。

 なにもかもが彼好みなのだ。

(思わぬ拾い物をした……やはり博多は違うものだ。……この紫騮しりゅうとともに乱世を歩むのも悪くないかもしれん)

 このとき弥十郎は、言い知れぬ高揚感につつまれた。

 戦場という場所で生き甲斐すら感じる。

(……わたしは、生まれてくる世を拾ったようだ……)

 弥十郎は、満足していた。

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