第3話 三州の総大将

 東の空が明るみはじめた。

 はるか彼方に桜島の山容が望まれる。

 その裾野が紺碧の海原にゆるやかに広がり、山の頂きには千切れ雲が棚引たなびいて、あたかも純白の噴煙が遠慮がちにあがっているようだった。


 天正九年春、薩摩国内城さつまこくうちじょう


 取次役が、評定の間の手前で片膝かたひざをついた。

兵庫頭ひょうごのかみさまから、国境付近に出没する大友勢を排除したい、とのお言伝ことづてがありました」

「馬鹿な。又四郎には、決して動くなと伝えよ」

 島津義久は、にべもなくはねつけた。

「……それでよろしいので?」

 弟の歳久だ。

「当然だ……。大友の挑発にのって動くなど……もってのほかだ。いま奴と事を構えるわけにはいかんからな」

 義久は、天下取りをめざす織田右府(信長)の差し出口にうんざりしていた。

「…………」

「……又六郎。そのほう……、わかっていてそれを聞くか……」

 歳久は兄のほうへ視線をわずかに流している。彼は、くっくっ、と笑ったあと迅速な筆運びでなにかを書き記した。この弟は、気付いたことを束ねられた小さめの紙につづる習慣がついていた。

 義久は、それ自体をとがめるつもりはない。が、

(……美濃紙みのしもただではないのだがな)

 と、思うことがある。

 義久がこう思うのも無理はない。

 今でこそ、紙は消耗品のように扱われているが、産業革命以前のこの時代、機械などはなく大量生産などできない。もちろん原始的な機械はあったかもしれないが、動力を用いた本格的なものはない。そのため、紙は手作りで、現代よりもはるかに高価なものだった。少なくとも、庶民が気軽に手にできるものではない。

「しかし……。吉岡長増、吉弘親子、臼杵鑑速、斎藤鎮実、角隈つのくま石宗、佐伯惟教、蒲池鑑盛……大友を支えてきた重臣は、もう志賀、朽網くたみぐらいか……。そうなると……戸次べっき道雪も憐れだな」

「……フン」

 歳久は、鼻を鳴らした。

「なんだ?」

「兄者は、たしか、戸次の老いぼれに御執心であったはずでは?」

「いつの話をしている? ……そんなことは忘れたな」

「忘れるものですか?」

「しつこいぞ。……又六郎」

「これは、失敬……」

 歳久は、板敷の間から感慨深そうに桜島を見遣った。この部屋は、桜島の全景が真向いに見える造りになっている。

「若い頃の兄者は……。透きとおるような白い肌をもつ美男子でしたな。日新斎じっしんさいの爺様が、ご自分の母上の容姿に兄者のお顔がそっくりだと、よくもらされていたことが、近ごろは、つい先日のように思い出されるのですよ」

「男が容姿を褒められたところでなんになる。俺にとって、あれは迷惑でしかなかった……。お爺様も人であったということか」

 『あれ』とは、日新斎が、義久の容貌を見て曾祖母そうそぼ常磐ときわに、

「よく似ている」

 と、漏らしていたことだ。義久は、そういうとき、心のなかで苦笑にがわらいを浮かべていたのだった。

 が、今の義久からはその面影が薄れていた。この巨大な島津家を運営するという重圧がこの男の肩に重くのしかかっているからだ。父と祖父の遺志を実現させる、という使命感だけがこの男を突き動かしていた。

「あの頃は辛かった」

「ああ。たしかにな。しかし、よくもここまでこれた。……だが、今の我らがあるのは、お爺様と父上おかげだ」

「……ですが。兄者の美事なお働き、御両所ごりょうしょが存命であれば、きっとお褒めくださったでしょう」

「だとしてもそれは、そなたや又四郎、それに、又七郎の助けがあればこそできたことだ。……感謝している」

 又四郎とは島津義弘のこと。そして又七郎とは島津家久のことである。この男たちの父親は、かつて英明と謳われた伊作日新斎の嫡男である島津貴久であった。

 『伊作』とは、この男たちの本当の名字であった。つまり彼らはもともと島津家の嫡流ちゃくりゅうではない。

 島津家の庶流しょりゅうの出なのだ。この薩摩でも下剋上があった。

 島津本家の家督を継いでいた軟弱な男は、すでに彼らの手によって薩摩から放逐ほうちくされている。その生来虚弱な男は、心のなかで恨みをくすぶらせながら大友氏の治める豊後にすごすごと亡命した。

 名を、島津勝久という。

 しかし、実力がものをいう今の世においては、この男たちが島津本家を継承したのは自然のなりゆきだった。

「勝久殿を殺さなかったのは正解だったな。御陰で大友攻めのいい口実ができた」

「くっくくっ……。兄者も、お人が悪い」

(この笑い方が気になるのは俺だけか?)

 義久は、この弟の奇妙な笑い方が昔から好きではない。


 義久には人望があり、義弘は武勇に優れ、歳久は知謀に長け、家久は生来豪胆であった。


「それにしても、筑前の草が殺されたのは計算外でしたな」

「まぁな、しかし……あの小娘……。なかなかやるではないか」

「たしか……。……戸次……誾千代、とか」

「老いぼれは、ついているらしい」

「老いぼれ? だれのことです?」

「宗麟坊主のことに決まっているだろう」

「そういうことですか」

 歳久は、納得した。

 兄の義久が、実は、戸次道雪に畏敬の念を抱くと同時に畏怖の念を覚えていることを知っているからだ。

「今は大友とは和睦していますしね」

「……信長も、余計なことをしてくれる」

「ですが、いま奴に逆らうのは得策ではないでしょう」

「それは承知しているが、あの男……なんとかしたいな……」

 彼らは耳川の戦いで大友氏を日向から追い、九州全土の制覇という島津一門の悲願を叶える目前までその歩をすすめていた。しかし、中原ちゅうげんを支配する信長の横槍にあい、泣く泣く大友家と和議を結ぶ羽目になったのだ。だから信長を憎むのも致し方ない。


 近江の安土城は、すでに落成している。


 あの美麗な天主閣は、諸国の大名や国人領主の心胆を寒からしめるかのように琵琶湖のほとりにある安土山に君臨していた。九州の雄島津義久が肝を冷やすのも無理からぬことだった。

「まぁ、奴との約束はあくまでも大友の領地を侵さない、ということです。あの起請文きしょうもんには肥後のことまでは言及されていない」

「そうだな……肥後を窺うか? それもいい……だが……」

「再びの難癖をご案じか? こればかりは手を出してみなければわかりませんが、おそらくその心配はいらぬでしょう」

「……なぜそう言い切れる?」

「あの人物がいますな……。奴の近くには」

「なるほど……。お前という奴は……あっはっはっはっ!」

 義久は、我が意を得たり、とばかりに哄笑した。歳久の糸のように細い目も一笑する。

「……あの御仁に、お出まし願いましょう」

「悪知恵が働くようだな、お前は。……又四郎や又七郎では、こうはいくまい。楽しくなりそうだっ!」

 義久はふたたび哄笑した。

 義久は弟たちや有能な家臣の使い方、彼らを適材適所に配置するという戦国大名としてもっとも重要な資質にめぐまれていた。


「義久には、三州(薩摩・大隅・日向)の総大将たる器が自然にそなわっている」


 とは、彼らの祖父である伊作日新斎の有名な言葉である。

 日新斎じっしんさいは、偉大な戦略家であり、卓抜した戦術家であり、古今無双の謀略家だった。

 彼は、その生母である常磐ときわによって養育された。

 この常磐こそ、彼ら『伊作家』の人々の原点であると言えよう。

 常磐はその妖艶な容姿によってつぎつぎに男たちをたらしし込んだ。ときには庭師を、またときには、別の島津分家の当主を誘惑するといったように。

 彼女は稀代の『妖婦』なのだ。

 いまでも、薩摩では常磐の妖しいほどの美貌が語り継がれている。もちろんその真の素顔は隠されていた。しかし、語り継がれた噂からそれを知る者もいた。ただ伊作家の人々をはばかって誰もが口を閉ざすのだ。とはいえ、噂とは為政者に対する民衆のささやかな抵抗である。だから支配者の目の届かぬところでは、やはり人々はそれをして溜飲りゅういんを下げる。

 ときには、敵方の勢力が種を蒔き人心を惑わせるということもあった。しかし、歳久の情報収集能力は彼ら兄弟のなかでもやはり異彩を放っていた。飼っている間諜かんちょうがそれを拾ってきたのだ。

「兄者。曽婆ひいばあ様のことだが……。世間では噂に尾鰭おひれがついて妖婦だなどという悪言が流布しているぞ」

「どういうことだ?」

「おそらく。……人心攪乱のために戸次の老いぼれあたりが流しているんだろう」

「だったら、領内でそんな不届きな噂をするれ者がいれば密かに始末しておけ」

「了解した」

 歳久は立ちあがって踵を返すと、評定の間から退座した。


 ひとり残った義久は怒りに震えていた。

(我らが敬愛する御方をざまに言うとは……許せん!)

 桜島の美しい情景は義久の目には映っていなかった。

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