第33話 松尾殿

 立花山城――。

 鎌倉幕府滅亡の三年前、元徳二(1330)年、大友氏の当主だった大友貞宗に次男がいた――立花貞載さだとし――父の死後、大友家を継いだ弟氏泰を盛り立てるが、足利尊氏を守るため、刺客に襲われ横死を遂げている。この貞載が築いたのがこの城だ。

 博多から丑寅、北東を望むと、三つの兄弟のようにならぶ山が、視界をさえぎる。最も南に位置するのがの井楼せいろう岳、標高367メートル。誾千代が、高橋弥七郎をった本丸くるわがここにある。その北に松尾岳、さらに北に白岳の稜線がつづき、それぞれ山頂を削平し、大規模な廓が座する。

 まさに壮観――当時この城を見た人々は、そう思ったはずである。それ以外にも廓が四つあり、計七つの廓が、山を覆うように、張りめぐらされていた。

 九州でも有数の堅塞――。


 その立花山城の中央にある松尾の丸廓。

 池のなかでは、綾羅錦繍りょうらきんしゅうの鯉たちが遊び、深山に隠れた湖水のように澄み、清らかであった。

 擬宝珠ぎぼうしの淡紫に染まる花が庭に美しく、隅には丈のひくい南天なんてん叢生そうせいし、隣では、檜扇ひおうぎが橙色の斑を輝かせていた。

 とりどりの花は、松尾殿こと、宗像むなかたいろが手ずから育てたものだ。

 松尾岳にある広間に忠三郎の叔母を訪った誾千代は、年に数回、季節の変わり目に挨拶をする際、訪ねる。この未亡人がここにあがったとき、誾千代のしたことは、当時家臣の間でちょとした話題となった。

「過ぎし日のことが思い出されますね」

 形のよい大きな瞳は、望まない女の武器。長い睫毛の下の鈍色にびいろの光は、黒真珠の魅力そのもの。

童女わらべのしたこと。……おめくださるな」

 唇に手を当てて笑う継母。

「道雪様は、お元気にしていらして?」

 色姫から、一瞬瞳がそれる。

「……ええ……ですが、父も、寄る年波……。あなたとの逢瀬は控えている……そう伝えてほしい、と。……そのつれづれを慰めるために、わたしを寄越したのでありましょう」

 そういったあと、

「……お色殿……兄君が戦支度をしています、残念だ。信頼できる乱波らっぱもたらした情報であり、黙殺はできない。なにかお知りでないか……よひよひごとにうちも寝ななむ……の言葉を借りたい」

 会話のにひと呼吸おいてから、唐突といえる頃合いを見計らった。場合によっては、この継母けいぼの命を奪う、この問いには誾千代の悲愴な想いが込められている。大友の命脈を保つという世業せいぎょうを継ぐ障害となるのであれば、除かねばならない。詰まるところ、大友を存続させることが、臼杵の人を守ることにつながる。

(この継母ひとを殺せるのか。……わたしに)

 師僧を誅したという負い目が尾をひき、大波にも似た自責に襲われる。小袖打掛姿で対坐し、憂悶のなか自問瞑目する誾千代に、

「……わが身ひとつはもとの身にして……」

 部屋の前面に広がるゆたかな夏景色、ふさわしい下の句を口にはしたが、色姫の瞳はそれに注がれていた。その心中を察してか、戸次道雪の妻妾は、観念したかのように、無防備な姿を女城督に晒した。

 この継母は、『古今集』と『新古今集』に勅撰されたおよそ三千首、すべての和歌を諳んじていた。深い教養をそなえた人であった。


 わたしと貴方の仲を裂こうとする者がいる。……これをどうすればよいでしょう?

 政治のことはわかりません。ですが、わたくしの心は変わらない、周りがどう変わろうと……。なのに貴方まで変わってしまうのでしょうか? 悲しいことでございます……。

 というほどの意味。


 曇りのない瞳を誾千代に向けてきた。

 常と変わらぬ穢れのない美しさだった。切れ長の二重ふたえに、微笑がやどる。

「海に……久しぶりに行ってみたく存じます。誾千代殿、今度、わたくしを海につれていってくださいませんか? 道雪様がお忙しいのであれば……」

 誾千代に否やはない。

「今からでも、お連れして差し上げる」

「ほんとうに?」

「参りましょう」

「……」

 この母は、今着ている衣裳を気にしているらしい。黒地の小袖に白地の腰巻姿であった。小袖には竜胆りんどうの花があしらわれ、腰巻にはうすく紫が染みている。

「そのままで、十分美しい」

 誾千代の低い声が、色姫の笑顔を誘う。妖美だった。

(……この微笑は男を殺すだろう)

 少女は、立ち上がると、打掛をさっとひるがえし、

穠姿じょうし貴彩きさいまことに奇絶きぜつ――雜卉ざっき亂花らんか無比方ひほうなし

 儚く散りかけた命を密かに称美した。

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