第34話 急使
城門から出て、目抜き通りを北にすすむ。
蔓の装飾がなされた張輿。誾千代は、その脇に
輿の物見から、もの珍しげに外を見る
近ごろは雨が少なく、砂塵が低く舞う道行き。
その通りの脇を行き交う人々と、この行列を見物しようと道のほとりに集まった野次馬が肩を寄せ合うようにし、触れ合えば怒声を浴びせあう。
通りに面した木銭宿の二階から身を乗りだして見物する者もいた。博多から櫛や貝紅を売り歩きながら、当地まで来た小物売(道々の者)だ。夫婦とおぼしき二人づれ、女の方が木窓の外に乗りだした男の肩を親しい素振りで叩いている。道々の者とは、非農民で、特殊な諸芸能に通じ、田畠以外での生業を専らとし、その道で生計を立てる人々のことをいう。河原者なども道々の者であるし、他には、立君・辻子君といった遊女、
鋳物師や轆轤師の工宅もたち並び、色とりどりの暖簾が微風に揺れ、繁華な通りに賑わいをそえる。
「あれは何?」
色が、問いかけてきた。
「扇などを扱う者の家ですよ」
「綺麗な扇……あるといいけれど……」
と笑みを浮かべる母。
ほころばせた唇の
「……父に、伝えておきましょう」
誾千代の威風、あたりを払い、男たちは途端に目を逸らす。輿のとなりを往く華麗な衣裳が、この地を治める苛烈な城督のものだと知っているからだ。人の域の限界に達した、卓抜した武技は、この城下に知らぬ者とてない。輿の内から魅惑的な芳香を放つ美女に内なる情欲をそそられて、死の絶望を冒してまで無法を企む命知らずがいるだろうか――誾千代の善政が時雨となって恵を施し、
と、その人垣の隙間を縫って見知った童女が、ぱたぱたと小走りによってきた。肩のあたりで髪を結っている子で、千草色の小袖のあどけなく愛くるしい子だった。誾千代はその手を取って、黒鹿毛の鞍に引きあげた。
「どこいくの?」
童女が振り向きながら聞いてきた。
「海……。行くか?」
「うん」
童女が、海海海海、とはしゃぎだした。アナトリアの荒々しい気性が、現れ出た。が、誾千代が手綱をさばいて平静を保たせた。
輿の物見から、色が、
「その
不思議な物でも見るような顔つきをしている。
「家臣の
誾千代は手慣れた様子で、その女童を鞍に乗せながら黒駒を進める。
「
と童女が問うた。
「小母ちゃんの名は、色……あなたのお名前おしえてくれる」
「滝!」
色姫は、おばちゃん、に全くの無頓着だった。
浜に着くと誾千代は、輿の御簾を自らの手で挙げ、右手をさしだした。この母にたいして実母に準じる礼遇をもって接している誾千代だった。
亡き道雪が京の都から取り寄せた、履き心地のよい草履の鼻緒に、足の指を通し立ち上がるときのやわらかな物腰、それは麗人と呼ぶにふさわしい。そんな母の手を引いて浜までいざなう。女城督は、供の家臣らに白い幔幕と
馬から降りた童女は、すでに海辺まで行ってしゃがみ込み、じっと波を凝視していた。浜には多くの生命が息づいている。
朱傘のもとにいる
家臣のなかには、うかつにもその美貌に打たれ作業に身の入らぬ者も。だが、誾千代の一瞥で、武士たちは粛々として作業を再開する。まかり間違えば、一瞬の気の緩みが命取りとなることを知っているからだ。女城督の峻烈な気性は、怠慢を許さない。軍律の厳格さを保つためであった。
博多の近くにある岩場に囲まれた入り江。
燦々と降りそそぐ陽光。波が玉となって乱れている。
蒼く広がる玄界灘の空上にカモメがたゆたい、白い三日月をかこむ岩場には、スカシユリが咲いていた。
継母が草履を脱いで、優雅に離れていった。腰巻は誾千代があずかった。
家臣たちは指図されたとおり、浜に五間(9メートル)四方の『抱き
その中にしつらえられた
海の涼気をふくんだ風が、
この入り江、普段は、
誾千代は、門閥貴族のするような、享楽を貪るための無意味な
沖
「あるじ和泉守からの
「ん……」
「ご帰還を、と」
が、誾千代は、
「後にはできんのか……。今は忙しい」
胸にかかった緑髪を気にしながら、煩わしそうに青年に視線を移す。小野和泉の配下で、戦場でも勇猛な若者だった。龍造寺隆信による襲撃のとき、利き腕を負傷しながら
「できますれば、すぐにも、とのことでございます」
「……お色殿と滝のことは任す」
「はっ」
滝や侍女たちと水辺で楽しげに戯れている色に、誾千代は視線を流した。彼女たちの姿に、ある詩が重なる。
「
静かに詠じ、離れがたく思いながらも、桟敷から腰をあげた。
「……立花…………俗っぽい名前だな……」
「は?」
若者が、妙な顔をした。
「独り言だ…………気にしなくていい」
「……左様でございますか」
手にした腰巻をはらりと落とす。その
(………我が
白く細い
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