第19話 立花山へ

 夕刻になって十時ととき連貞つらさだが、戸次屋敷の門をくぐった。

 連貞とは親しかった。歳が近いというのもあるが、弥十郎の物事にこだわらない性格がそれを可能にしていた。

「誾千代様は?」

「あとから戻る、との仰せだ」

 湯につかり旅の疲れを幾らかとった弥十郎は、旅装もあらためた。九州一円を経廻り、いささか襤褸らんるとなっていたためだが、黒で統一されているところは変わらない。

 自室として使っている部屋に連貞を招くと、二人は、その部屋で向かい合って座った。中の間と庭をへだてて斜向はすむかいとなっている。 

「その怪我は……。大丈夫か?」

 弥十郎の左眼の刀傷は、肝の据わった連貞でも思わず驚愕してしまうほど深刻なものに映った。

「問題はない。……と言いたいが、やはり、片眼を失ったのはこたえる」

 口では何事もなかったかのように明るく振る舞ってはいるが、左眼を失った影響は計り知れない。左側の視界がほぼ無くなるため、そちらからの攻撃への対処がどうしても遅れるのだ。それに、平衡感覚もつかみにくかった。それを気にしすぎれば思考も鈍る。

 戦場で、それどころか、そもそも武士としてやっていけるのか、という不安に襲われるときがある。

「とは言え、状況に対応するしかない。生きるとはそういうことだと思っている」

「……わしに出来ることがあれば、遠慮無く言ってくれ」

 連貞は、この同僚の傷心を思いやった。

「恩に着る。いずれたのむこともあると思う。しかし……この借りはいずれ、そう思うのはわたしの女々しさかな」

「気持ちは分かるが、復讐めいたことを抱き続けるのは、お主には似合わん」

「……かもしれんが、それも含めてわたしなのさ……。なにか立花山にお知らせしておくことはあるか?」

「ここにいると、あそこに居たときより島津の圧力とでも言うべきか、それを感じる。奴ら、放っておけば日向どころか肥後まで一気に侵攻するのではないか」

 弥十郎は、島津義久の言葉を思い出していた。

(肥後まで……。まさかな)

 湯につかった身体は軽快で、新しい小袖や肌着の着心地はよかった。

(信長に北上を阻まれた無念さが口を衝いて出たのだろう、あれは……。心意気を言ったにすぎん)

 そう思うようにした。が、連貞の意見はそれとして立花山に伝える必要があると思った。

「……了解した。わたしはすぐに発つ」

 弥十郎は、刀架にかけていた太刀と、小さ刀をとって立ちあがった。

「これから行くのか?」

 連貞が見上げる。

 弥十郎は、ちいがたなを腰に差し、太刀を佩き始めた。

「よいのだ、これで。わたしがここに居たとしても何ができるというわけでもない」

「本家について何か申しおくことは?」

 それを見た連貞も立ちあがった。

「そこまでの責任は持てんよ。それは、加判衆かはんしゅうを務めているお偉方にやってもらうしかない。我らは、本家の政治向きには口出しできないからな。与えられた任地を守りきる……それが不満だと言うのなら、わたしを加判衆に任じてもらうしかないが」

「言っていることはわかるが、頭の堅い連中だぞ」

「期待はしていないさ。……だが、そうであればと、この頃つよく感じる」

 耳川の合戦では多くの有力武将が戦死した。そのことは、単に軍事的な損失を意味するだけではない。彼らは領国経営の中枢を占めていたため、それらの国家機能が麻痺してしまったのだ。

 現在いまの若返った大友家首脳(加判衆)の混迷ぶりは目に余るものがあった。彼らは動揺し、狼狽え、何ら有効な方策を立てることもできないまま信長という庇護者にすがるしかなかった。

「こっちのことは、任せろ」

 言いつつも連貞は、弥十郎の左眼が気になっていた。

「長い付き合いだ。信頼しているよ」

 弥十郎は、連貞の社交的で面倒見のいい柔軟な精神を好ましく感じている。また、そういう男だからこそ友として不足がない。

「悪いが使いを出して、これを鈴茄すずな屋に届けておいてくれないか」

 弥十郎はかがんで、文机ふづくえに置かれた文箱ふばこから、筋目正しく折られた白い紙を取りだし、連貞に渡した。

「この書状は?」

「私的なものだ。人が見て楽しめるようなものではない」

「お主がなにを書いて送るのか、少しばかり興味がある」

「……そうかな」

 弥十郎は、首を少しかたむけてみせた。

「どこを行くつもりだ?」

 夕日が、府内の西にある高崎山にかかりはじめている。

「まずは、府内を出て田原たわら様の宇佐うさ郡を抜けるとしよう」

 田原様とは、加判衆筆頭の田原たわら紹忍しょうにんのことである。紹忍は豊前国宇佐郡を支配領域とし、豊前の統括を命じられていた。

「だが、上毛こうげからは秋月筑前の与党の支配地だぞ」

 秋月筑前とは、筑前南部にある堅城、古処山こしょざん城を本拠としている秋月種実のことである。種実は、筑前南東部、筑後北部、豊前中南部にまたがる広大な領域を領している、 それだけではない、豊前の最北部にある企救郡きくぐんには、大友宗麟に謀反して小倉へ流された高橋鑑種がいた。鑑種自身はこの時期すでに病死しているが、その養子として、種実の次男元種が小倉高橋家に入っている。

 今や大友氏にとって侮りがたい勢力へと変貌していた。

 ちなみに連貞の言う上毛とは、大友氏の豊後と境を接する豊前国の南端にある上毛郡のことである。

「わたしの性分なのかもしれん……。死ぬまで直らんらしい」

 弥十郎は、自嘲気味に言った。

 もともと豊前は鎌倉時代、宇都宮うつのみや城井きい氏が守護だった。しかし、鎌倉期の守護は名のみで実質的な権限はほどんど無い。

 そのため、守護として豊前の支配権を初めて確立したのは、周防・長門を治める大内氏だった。大内氏は南北朝末期に九州探題の今川了俊が失脚したあと、豊前の守護となり、初めて豊前を守護大名として実効支配した。

 その大内氏と争ったのが、筑前、肥後の守護であった小弐しょうに氏と豊後、筑後の大友氏である。豊前の国人領主たちは、両者の間でたえず浮沈ふちんした。次第に小弐氏はされて肥前へはしり、豊前の争奪戦は大友と大内の間でなされるようになった。のち、小弐は龍造寺によって滅ぼされている。

 大内氏が毛利元就によって滅ぼされると、今度は毛利氏と大友氏が豊前を争うようになった。そのなかで豊前の国衆はときに毛利に、大友が優勢となれば簡単に寝返った。

 豊前は中小の国人領主が乱立してる。

 そのことは、豊前のこのような歴史をみれば自然の成り行きだった。

 もともと大友家の家臣ではない人々である。その力が弱まれば自立の道を模索するのは至極当然のことといえた。

 こうした理由から、筑前同様、豊前も耳川の合戦以後は離反者が続出していた。城井、長野など一旦は毛利から大友に鞍替えした者や豊前北部の秋月一族である高橋元種らである。

 つまり、戸次氏や高橋氏が治める筑前北部と大友氏の本貫である豊後とは飛び地となっていた。

「宇佐までの起伏を抜ければ、あとは平地だ。馬を走らせるにはうってつけだからな」

「だが、敵領だ。捕捉される危険があるぞ」

「行きがけの駄賃だちんに、敵領によるのも悪くない。秋月らがさわがしいと聞いている」

「慎重かと思えば、向こう見ずなこともする。わからん男だ」

 しかし、そこを通り過ぎれば高橋紹運の治める領域に入るため、そこからは安全が確保され、気を張らずに一息つけるのだ。

 このなかで戸次家ともっとも激しく対立しているのは、秋月種実だった。長野と城井といった豊前の国人は、田原たはら紹忍じょうにんの管轄だからだ。

「それにしても、また動くのか? 秋月が」

「まだ確証はない」

「ふたたびの潜入になるな」

「この耳で確認しておきたいことがあって仕方なく、と言いたいが……。好んでやっていると思ってもらっても……なぁに、構わんさ。やはり性分なのだろう。じゃあ、馬を借りるぞ。孫右衛門まごえもん

「承知だ。くれぐれも気を付けるのだぞ」

「ああ、心に留めておく」

 弥十郎は、連貞に白い歯をみせ、部屋から出た。

 廊下を歩いている弥十郎に気づいた忠三郎が、近づいてきた。

「忠三郎、ともに行くか?」

「あ……。はっ……いえ。ですが、もうおちとは、幾らなんでも」

 忠三郎は驚きを隠せない。

「わたしは、苦労性なのかもな……」

 弥十郎は、呟くかのように自嘲した。が、すぐに気を取り直し、

「誾千代様は、海をきたのだろう?」

「はい、博多から。戻りもそうするつもりです。大夫は?」

「陸をゆく」

「ここから! 危険では?」

「かもしれんな……。その言葉、忠告として受けとっておこう」

 弥十郎は、ふたたび白い歯を見せた。

 府内を出て、夕刻から日が沈んでしばらく馬を飛ばし、宇佐に近づきつつある。弥十郎は御許山にある峠にさしかかっていた。

「広いな」

 見晴らしはいい。星々がきらめく夜空、月が辺り一帯を照らしている。

 眼下に聚落しゅうらくがあった。ちらほらとあがる人煙。そこで一夜の宿を借りることにした。

「もう少し辛抱してくれよ」

 弥十郎は、ここまで連れて来てくれた相棒の首を二度軽く叩いた。

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