第8話 梨花宗茂に見ゆ

 白と赤の装束を纏い、黒鞘の業物わざものを腰に差した少女が、アラブの青驪せいりを躍動させる。騎従するのは二十騎。そのなかには忠三郎の姿もあった。

 誾千代は老齢の年寄おとなに勧められた狩場に向かっている。そこはいつも行く狩場とは別の場所にあった。あと二里ほど南へ行けば狩場に到着する予定だ。

 むじなや狐ばかりでなく山犬も出没する森林を馳けている。

 矢束やづかをおさめた矢籠しこが、腰の後ろで跳ねる。皮革製のそれは濃い紅の地で、牡丹唐草の銀蒔絵が文様うつくしくあしらわれていた。留め具で腰帯のうしろに固定している。二十本ほどの矢が背中にあった。矢柄やがらは漆黒、羽根は鷹の黒羽根。吹き抜ける風によって、白が混濁する羽根が風を斬り裂くような音をたてている。

 少女は微笑していた。

 愛用の重藤弓しげどうのゆみを片手に驪馬れいばを躍動させる。

 まわりでは木々の若葉が芽吹きはじめていた。空気の澄んだ晩春の山は、翠嵐すいらんに満ち、馬を走らせるのが、とても清々しい。

「山の新緑が歓迎してくれているようだな。忠三郎」

「たまには場所を替えてみるのもいいですね」

 けやきたぶにかこまれた狩場に到着すると、誾千代主従を待っていたのは見慣れぬ一団だった。どうやら侍のようだ。なかでも身分の高そうな若者が馬上弓を手にしている。その家臣であろう、周りに二十人前後の男たちがいた。

「先客がいるようですね」

「……の、ようだな」

 誾千代は、本能的な不快感を持った。

 すると、その集団から一騎の騎馬侍が馬に鞭を入れながらこちらに近づいてきた。家臣たちが主人を守るための態勢をとろうと馬をゆっくりと前進させる。

 が、誾千代は手で制した。

 近づいてくる武者に害意はないと判断したからだ。

「襲うつもりなら、一人では来ないさ」

 近づいて来た男は、手前で馬をとめて下馬し、片膝をつけた。

「戸次誾千代様でいらせられますか?」

「そうだが」

身供みどもは、高橋弥七郎たかはしやひちろう様の家人を務めおります太田久作と申す者でございまする。若殿がお待ちでございます。いざ、ご同道を」

高橋某たかはしなにがしとは、何者であるか?」

 誾千代は、その名をすでに道雪から聞かされていた。が、敢えて知らぬふりを決め込んだ。

(……老人め……はかったな)

御父君ごふくんにお聞き及びではございませんか?」

「ああ。そうなる」

 その男は、少し困惑していた。

「弥七郎様は、貴方様の夫君ふくんとなられる予定となっている御方でございます」

「あぁ……思い出した。そう言えば、そんなことを言っていたな……。オヤジ殿は」

 誾千代は、慇懃いんぎんな応対をするこの男を気の毒に思い、からかうのを止めた。

「ご理解頂けたのならば、いざ」

「承知した……。案内あない大儀たいぎである」

 その男は馬にまたがって誾千代たちを先導し、統虎のもとへと導いた。

 高橋弥七郎の第一印象は、丸顔の童顔が特徴的な男というものだった。

 誾千代は、その青年に愛馬アナトリアを寄せた。

「貴公が……高橋弥七郎か、父から話は聞いている。なかなか見所のある男だそうだな……。戸次誾千代だ、以後よしなに頼む。……ま、せいぜい励むといい」

 誾千代はそう言うと、青年を一顧いっこだにすることもなく、その場を立ち去った。

「なっ……」

(なんという奴だっ! あの女はっ!)

 統虎は、いまだかつてこのような無礼な対応をされたことがなかった。

 その少女は馬に足をくれて遠ざかっていく。

 燃えるような緑が、彼女をつつんだ。

「見過ごせん!」

 統虎は馬腹を蹴って少女を追いかけた。

 純白の直垂と小袴に紅色の射籠手いごて、そして真紅のすね当てに頬貫つらぬきという姿は、白と赤のコントラストが美しく目立つものだった。

 茅やすげが茂る草原に、アナトリアの黒影こくえいが映える。統虎の芦毛が、その姿を必死に追う。しかし、アラブ馬は、日本の木曽馬より遥かに速かった。体型が、スマートな細馬さいばであった、さながら乗り手のように。

 当時、日本の武士が使用しているのは純日本産の木曽馬である。統虎がいかに武勇を誇っても、その不利を覆すことはできない。

 ドラマやアニメ、漫画や映画では、あたかも日本では古来からサラブレッドが使用されていた、ような描かれ方をしているが、大嘘である。サラブレッドはこの当時、まだ地上に誕生していない。

 だから誾千代の青驪にくらべ、統虎の葦毛はあまりにも鈍重であった。

「ピっ」

 少女の唾が草むらに飛ぶ。

「あの女っ!」

 統虎の頭には完全に血が上ってしまっていた。

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