第四話 チョコの味は丁度いい甘さで、
【5/16(Mon) 12:33】
購買で買ったサンドイッチとチョコデニッシュを抱え、ラウンジのベンチで一息つく。今日はお弁当を持ってきていないので、激戦区から昼の食事を調達する必要があった。加えて一年生のフロアは四階であるため、確保できるか気が気ではなかった。
「おー、あっきーも購買?」
「三浦先輩。こんにちわ」
そこへ現れた三浦悠人。何故かパンを五個と自販機のジュースを二本も抱えている。あまりに危なっかしかったのでペットボトルだけ受け取ると、「何かデジャブ感じる」と言ったのちにお礼を告げた。
「昼会議でしょ。一緒に行こー」
「はい。⋯⋯あの、先輩は何でこんな状態に?」
「聞いてくれたまえよ。渡部翔太っつー陰険な委員長が私的に委員を使いっぱしりにしてだな」
「まーたゲームで負けただけでしょ」
シンデレラ階段を登り切ったところで、話が聞こえていたらしい文香が合流した。「バレたか」と、悠人は肩を竦める。流石にいまのは冗談であると茜にも分かる。
「三浦先輩は何で負けてるんですか?」
「五目並べ」
「渋っ⋯⋯」
「笑うなや! 何気に仲間内でブームなんだから!」
思わず吹き出した文香に食って掛かる。悠人の口からそんな遊戯の名前が出るなんて思ってもいなかったので、茜も小さく笑ってしまった。
「あっきーも知ってる?」
「はい。それなりには」
「じゃあ次はあっきーに戦ってもらおうかな!」
「えっ!?」
「打倒渡部だね」
ふたりとも調子のいい笑顔をこちらに向けてくる。初めの頃に比べ、総務間の距離な随分と近づいたように思えた。先週みたいなことにならず、いまの関係がずっと続いて欲しい。
文化室の扉を開いたら既に集まっていた翔太、あずさ、香苗の三人を見て、茜はそう願わずにはいられなかった。
――顔が近い。ひとつのスマホの画面を共有しているのだから当然ではあるが、盤面よりも翔太の頭が気になってしょうがない。当の彼は自分の次の一手に集中している。お昼なんて忘れてしまっているみたいだ。
十二×十二の枠線を越えるほどに、茜対翔太の五目並べは白熱を極めていた。茜が白で、翔太が黒。鳥瞰して見ればまるでQRコードみたいだ。なんて漠然とした思考を巡らす。
「あぶねぇ⋯⋯っ」
「あっ、詰みですね」
持ち時間をギリギリまで使った翔太の一手を見て確信した。これではどう足掻いても数ターン後に、黒い碁石が四つ連なってしまう。翔太に限って見逃しているとは思えない。「参りました」と頭を垂らすと、翔太は勢いよく椅子にもたれかかり深いため息を吐いた。その横で文香と悠人が拍手を送ってくれている。
「俺ここまで盤面埋め尽くされたの見たことないんだけど⋯⋯」
「というか三浦。四限終わってから渡部に負けて、購買でパン買ってあの時間って⋯⋯流石に瞬殺され過ぎじゃない? 茜ちゃんたち十分くらい戦ってたよ?」
「うっさいわ! じゃあマツさんもやってみっか!」
いいだろう、と席を移動した文香。賑やかなことで何よりだ。対面のあずさと香苗がその様子を温かな眼差しで傍観している。二人は既にお昼を済ませているみたいだ。
「凄いね茜ちゃん。オセロとかも強そう」
「ここあるよ」
「ええっ。すみません⋯⋯流石にお昼食べさせてください」
「それもそうだわ」
間髪入れずオセロの台を取り出そうとしたあずさを、横から香苗が肘で小突く。どの先輩もコントをやっているみたいで面白い。最初は不安だったけど、この委員会の総務で良かった。こうした日常を垣間見る度、茜はそんな思いを浮かべるようになっていた。
それにしても翔太の実力は確かなものだった。五目並べは先手である黒の方が有利と言われているが、三々や四々の禁じ手が黒側にだけ課せられるルールで戦ったので間違いない。茜が直線をつくる気配を見せればすぐさま先回りして芽を摘んでいく。かと言って攻めを疎かにする訳でもない。気を抜けば前線から離れた場所で、翔太の碁石が並びかけている場面が多々あった。
本人はここまで長丁場になると思っていなかったようで、疲弊した顔でパンに噛り付いているいる。茜もチョコデニッシュを包装から取り出した。
さくさくのパン生地に潜む黒いチョコは固く、噛み砕く感触がアクセントになっていて気持ちいい。茜には丁度いい程度の甘さだった。
「あずさ先輩ぃ、敵討ちしてくださいぃ」
「あらあらぁーフミちゃん負けちゃったのぉー? どうぞ膝元にいらっしゃい。練習に響いちゃうもんねぇ、よしよししてあげるわぁ」
「⋯⋯ちょっとふざけた私が間違いでしたよ」
弱弱しい声色であずさに泣きついた文香だったが、それを上回る悪乗りを見せつけられて冷静になっていた。
どうやら瞬殺されたらしい。文香を倒したくらいでは飽き足らない様子の悠人は、今度はあずさに試合を申し込んでいる。
「でもどうせなら最強と戦いたいわね」
「えぇー」
「あずさ、今日のあなた馬鹿っぽいわよ」
「⋯⋯秋間さんともう一度やって勝てる気しないので、そっちでやってくださいよ」
「私ですか!?」
「いいじゃん渡部。白黒つけなさいよ」
文香が囃し立て、あずさは自身の席を持って翔太の横に腰を下ろした。観念した様子の彼は、「どっち先攻にします?」と問うた。
「その前にどういうルール?」
「そこからですか!?」
「まぁ名前の通りでしょ。大丈夫大丈夫。目にもの見せてあげるわ」
その後一分も持たずして敗北を期したのは言うまでもない。
【12:49】
【13:50】
今日は部室に菜々花も優花もいない。二年生の先輩部員がちらほらと、繁沢が翌日の授業の支度をしているだけである。乾燥棚から取り出した6号のキャンバスをお手製の作品掛けに並べているところであった。二年生の選択美術で制作されているものだ。
先週見なかったと思えば棚に収納されていたのか。まだ下地の状態であるそれらは、これからどう展開していくのか想像できない。ただ分かることは赤、紫、緑、黒と、下地の段階から個性が爆発しているということ。茜はそこまで原色を思いっきり使うことができない。多少の知識と技術を持ち得ているが故の弊害だ。もし制作の領域において純真無垢になれたのなら、きっと彼らみたいにどんな色でも扱えたことだろう。
鑑賞に次ぐ感傷はこのくらいにして、自分のキャンバスと対峙する。
優花が教えてくれたように、半紙の買い出しに行ったついでに好みだと思った色を何色か選んできた。サファイアブルー、プライムレッド、オリーブグリーン。値段にばらつきが想像以上だったので、比較的安物の中から選んできた。加えてもう一色、レッドモーブシェード。優花がくれた品を使うのは何か憚られる気持ちがしたので、新しいものを買ってきてしまった。
「仕上がってきてるわね」
向けられた声に応じて振り向くと、そこには香苗がいた。美術室のドアは開け放たれていたので入ってきたことに全く気づかなかった。
「お疲れ様です。今日もこれから予備校ですか?」
「ええ」
荷物を取りにでも来たのか、香苗も優花と同じ方法でロッカーをいとも容易く開け放った。ガコンと鈍い金属音を立てて灰色の扉は開かれる。先輩間では共通理解なのだろう。茜もこの一週間でコツを掴めた気がする。
「あっ、お菓子」
「見つかっちゃった」
鞄から何を取り出そうとしているかと思えば、煎餅とチョコの包みをお菓子コーナーに補充しているところだった。わざわざ両方の小包みを一つずつ持って来てくれた香苗に、日頃のお礼を告げる。
「香苗先輩だったんですね。でも負担になってませんか?」
「社販だから安く買えるのよ。私はまだまだ居座るつもりだし気にしないで」
「社販⋯⋯スーパーでもバイトしてるんですか?」
「そう、ジェラートとは別にね。いつが割引か分かるから家計的にも大助かりってわけ」
凄い。と、純粋な感想が沸き上がってくる。彼女はもう社会に一歩足を踏み入れているし、これから美術大学に飛び込もうと日々励んでいる。茜には未知の領域ばかりで、穏やかに微笑む香苗はとても大人びて見えた。
「⋯⋯絵、見ていただけますか?」
「ええ。いいわよ」
本格的に勉強はしている人間に教えを乞うのは少し緊張したが、優花よろしく香苗も承諾してくれた。画面に顔を近づけて細かいディテールを探り始める。マジマジとしたその熱心な眼差しは優花と同質のものだった。どうアドバイスをするか、真剣に検討してくれている。
「それぞれのパーツを別の物体として捉えて描いているから、空間が作れていないのかなって。反射光をもっと露骨に入れていいと思うわ」
「はい」
「そこに何かが存在しているだけで、周囲の物はお互いに影響を受け合うんだから。⋯⋯あ、でもここはできてるわね」
「そこは水越先輩がやってくれて⋯⋯」
「優花が?」
「はい」
柿の影部分を指さして香苗は目を見張る。口を横一文字に結んでしまい、落ちた沈黙が少しだけ気まずい。この時ばかりは何か、香苗の目は茜の絵の向こう側を見据えているような気がした。
「あの、優花先輩ってどんな絵を描かれてましたか?」
「⋯⋯ん? そうねぇ。こう、色彩爆発って感じ」
ジェスチャーで爆発を表現する香苗がどこか珍しくて、茜は笑ってしまった。彼女でも言語化するのは難しいのだろうか。余計に優花の絵に惹かれてしまう。
「写真とかあったら、是非見てみたいです」
「うーん、残ってたかしら」
言って香苗はスマホを取り出す。インコが印刷されたレザー素材のケースだ。鳥が好きなのだろうか。頭のところで綺麗に分かれた緑と黄色の体毛と、つぶらな黒い瞳が実に可愛らしい。
何度かスワイプしてアルバムを漁っていたようだが、返ってきた回答は望むものではなかった。
「ごめんなさい。無いわね」
「いえいえ、こちらこそすみません。お手間を⋯⋯インコちゃん可愛いですね」
インコ。場を和ませようと振った他愛もない話題のつもりだった。しかし一言で、香苗の瞳の中は輝きで満ちる。お淑やかさがみるみるうちに掻き消えて、得体の知れない溌溂が表情を支配していく。それは初めて見た香苗の素顔だった。
「ホントっ? ありがとうー! これ自分で作ったんだけど、この子は前に家で飼ってた子でコザクラインコのくーちゃんって言って⋯⋯うっ!」
そこで香苗は自ら自分の口を塞ぐ。手で覆ってもにやけた口角は隠しきれていない。度の外れた豹変ぶりだったので、事態の理解が追い付かず茜は目を瞬かせた。
「ごめんなさい。危ない危ない危ない」
「鳥好きなんですね、香苗先輩」
「うん⋯⋯凄い好き」
まだ頬が緩んでいるが、香苗は平静を取り戻したようだ。身近だと思っていた存在に現れた新たな一面を知れたこと、茜は悟られないように歓喜する。今度また話を振ってみよう。更に深堀りすれば、より親密な関係になれるかもしれない。
総務の他の人たちのことも、もっと知りたい。もっと、仲良くなりたい。いまの茜はそんな思考に満ちていた。
「いけない、そろそろ行かなくちゃ。パレットの使い方とかも教えたいのだけれど、また今度ね」
「こちらこそお時間を⋯⋯またお願いします」
「形は綺麗に取れているから空気感に気を配れるようになると説得力のある絵になると思うわ。頑張って」
「はい。ありがとうございました!」
恥ずかしがってそそくさと踵を返す香苗を見送り、再び茜はキャンバスと向かい合った。少しだけ描く気分じゃなくなってしまったが、用意したのだからせっかくだから腕を動かさなければ。
香苗が残していったチョコを口に放り込んで、筆を取る。茜のスマホが震えたのは、そんな時だった。
≪合唱コン自由曲、『いっしょに』に決まりました≫
ポップアップされたメッセージを読み、茜の集中は完全に途切れた。
一年二組のクラストークに、喜びを表現している可愛らしいスタンプがいくつも連なっていく。そのまま電源を落とすと、無感動な面持をした自分自身と黒い液晶越しに目が合った。
別に『虹』と『決意』にこだわりを持っていた訳ではない。ただ、茜のうちに潜む形容しがたい感情が邪魔して、スタンプひとつ送れないだけのことだ。喜びを共有できない。クラスの調和に馴染めない。そんな自分がただ虚しかっただけだった。
いつの間にか噛み砕いていたチョコは口内の熱で溶け切ってしまっていた。舌に触れたミルク風味の甘さは、どこか茜を慰めてくれているようだった。
【16:08】
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