第八話 群れ
【5/3(Tue) 18:46】
「文香っ!文香助けて!」
「はいはい⋯⋯うわっ!」
「おおっ!?」
「ひゃああ!!」
灯りの乏しい狭い通路を背後から何者かが追いかけてくる。暗くて姿はよく分からないが、シルエットだけでも巨漢だと見て取れる。黄色い悲鳴を上げながら最後尾の渚が「早く早く!」と急かすが、真ん中の詩音が文香をガッチリと抱き締めてしまって身動きが取れない。
「ちょ⋯⋯順路どっちだろう」
「ええ!?」
お化け屋敷のギミックよりも詩音が曲者過ぎて、どこまで進んだか分からなくなってしまった。一周してもとの道に戻ってくると、察したらしい先程のお化けが通路脇のドアを開けて順路を示してくれた。
「あ、すいません。ありがとうございます」
「ちょっと文香⋯⋯なんでそんな普通なの⋯⋯?」
「強いねー⋯⋯」
二人とも疲れ切っているが、渚は叫ぶのを楽しんでいるようだ。
それにしても詩音が怖いものにこれほどまで弱いとは知らなかった。最初は電車ごっこみたく肩を掴んで進んでいたのに、気付けばウエストを鷲掴みにされている。吹奏楽部の肺活量も相まって騒々しい。
「ほら。もう出るよ」
「うん⋯⋯」
文香も最初は渚みたく悲鳴を発してお化け屋敷を堪能しようとしていたが、詩音の反応が面白過ぎて冷静になってしまった。そんな濃厚な十分ももう終わりだ。
祭の喧騒がする光の方へ、一歩踏み出たその時だった。
「わあああっ!!」
「ぅふおっ」
「なに!?」
外に出た、と思いきや詩音だけが発狂した。また強く抱き締められて、何とも言えない呼気が口から漏れる。髪の毛の感触を頬に感じ視線を上げると、そこにはやけに造りの良い落ち武者の生首が吊るさっていた。文香の背が低く過ぎて、頭上に飛来したギミックに気付けなかっただけだった。
不意の一撃を食らった詩音は魂が抜け出してしまっている。それを引き摺るように外へ連れ出す間抜けな女子高生たちを、係のおばちゃんが満面の笑みで見送ってくれていた。ここまで良いリアクションを見せれば、それはもう運営冥利に尽きるだろう。
「あー、楽しかった! 詩音ちゃんの絶叫録音しておきたかったなー」
「やめて」
「詩音、いつかお台場の最恐お化け屋敷行こう」
「ホントにやめて」
この様子じゃ、本格的なお化け屋敷に連れ込んだら死んでしまいそうだ。しょうがない、文化祭のものくらいで勘弁してあげよう。
「いっぱい叫んだらお腹減っちゃった。何か食べよ」
「さんせー」
詩音のウエスト締めから解放されたお陰か、急に空腹感に襲われた。出店から漂うケバブやお好み焼きの香りが鼻腔をより刺激する。各々が好きなものを調達しながら、文香たちは飲食スペースへと向かった。
三人が訪れたのは府中市の大國魂神社で行われる『くらやみ祭り』だ。毎年五月の三日から六日に開催される例大祭。ゴールデンウィークと被る為、毎年の来場者は六十万人に及ぶという。現に知り合いと何人か遭遇している。
「次どうしよっか」
「もう結構長いこといるね」
「駅近くのフードコートでお喋りとかでも」
「あ、いいかもー」
十二時に待ち合わせてお昼を過ごしてから、もう十九時を過ぎようとしている。明日は其々部活があるし、引き上げるにはいい頃合いかもしれない。ジャンボじゃがバターを三人で崩し合いながら、そんな会話をだらだらと続ける。
「あ、これから御鏡磨式やるってー」
「それは一体?」
「謎」
競馬式や山車などの行事は多々あるが正直なところあまり関心が無い。弓道部として唯一気になるのは『やぶさめの儀』だが、開始時間が二十三時と深夜なので高校生は観覧することができない。
日はもう沈んで、出店の煌々としたオレンジの灯りがひたすらに眩しい。小中学生くらいの子どもはもう帰ったのだろうか。参道は多少落ち着いたように見えた。
そんな雑踏の中、ひとりの人間が目に飛び込んでくる。
「あずさ先輩⋯⋯?」
「⋯⋯あホントだ。高汐先輩もいる」
傍に瑞希の姿も確認できた。こちらに気付く様子はなく、人波に飲み込まれて見えなくなる。
「ごちそうさま! ゴミ捨てがてら挨拶してきていい?」
「うん」
「いってらっしゃーい」
「すぐ戻る!」
全員分の食器を一つに纏め、それを抱えて後を追う。ゴミを分別してる間に見失いかけたが、高身長スタイル良しの二人なのですぐに見つけることができた。
彼女たちは四人でお祭りに来ていた。あずさの横にいたのは瑞希と香苗、そしてもう一人知らない女の人。背は三人よりも低く平均値くらい。ミディアムショートヘアの彼女はチョコバナナを加えてご機嫌そうに何かを話している。四人の中でムービーメーカーのような存在なのだと、その立ち振る舞いから見て取れた。
四人の時間に水を差すのは野暮だろう。それに、文香にだって待っている人たちがいる。結局挨拶をできずに帰っきた文香を、渚と詩音は普段通りの様相で迎えてくれた。
「おかえりー。さっき渡部くん見たよ」
「弟と妹連れてた」
「あホント? 佳穂ちゃんだなきっと」
兄妹仲睦まじくて何よりだ。文香の弟である
「文香ちゃん、最後に金魚すくいやろう! 詩音ちゃん得意なんだって!」
「目に物見せてあげる」
「何か物騒だよ?」
もうすっかり詩音は元通りに落ち着いたようだ。発言が相変わらず抜けていてつい吹き出してしまう。
何気ない時を笑い合える友達がいる。そんな当たり前の日常が、文香には幸せで堪らなかった。きっとあずさや翔太たちも、同じ思いでいまを過ごしていることだろう。
【19:20】
【21:02】
「仲良いわねー、家族揃って」
「いやそんなことは⋯⋯」
五月にもなるというのに、松木家のこたつはまだ撤去されない。その卓上には文香と、弟の慎吾が取ってきた金魚袋が並べられている。どちらも今宵のくらやみ祭りで手に入れたものだ。対面に座る母はそう呆れながらも一匹一匹を愛でていた。でかい図体を横にしている慎吾が、スマホを弄りながらぶっきらぼうに理由を告げる。
「そりゃ祭と言ったら金魚掬いじゃん? もちろん友達と競うことになるわな」
「別にあんたが何と戦おうが構わないけど、返してくればいいじゃん⋯⋯」
「姉ちゃんそれブーメランだからな」
「まさか六匹も取ってくるなんて思わないでしょ!」
対する文香は琉金一匹。一度目は早々に網が破れてしまい、泣きの二回戦で手に入れた子だ。お腹周りの白い模様が可愛らしい。
「いやだって、愛着湧いちゃうじゃん。慎吾は勝負事で得ただけの関係かもだけど、私の金魚はずっと一途に狙ってだね⋯⋯」
「ちなみにいくら使ったんだよ」
「⋯⋯六○○円」
「うーわ」
「何さ!」
詩音は九匹だったんだからと、心の内でマウントを取る。文香は誰にも勝ててないのは変わらないが。そんな姉弟の間に颯爽と現れた父が、どこからか持ち出してきた水槽を置いた。文香が小学校にも上がらない程小さかった頃、今日みたく縁日で取ってきた金魚を飼っていたものだ。それは随分と大容量で見ているだけで重そうである。もう若くないのだから、ぎっくり腰にならないか不安になった。
「まあまあ。ほら入れてあげな」
既に砂が敷かれて、水草なりオブジェクトなりが沈められている。ご丁寧に水槽浄化器までもが用意されていた。まさか文香たちが金魚を持ち帰ることを見越していたというのか。子どもの行動なんて親にはお見通しだと。
「あれ、でも水道水の塩素って金魚大丈夫だったっけ?」
「カルキ抜きか? ならもう済ませておいたぞ」
「準備よすぎない?」
「父さんも二匹取ってきたからな」
「はぁ!?」
慎吾と叫喚が被る。どこからともなく、父は黒い出目金が二匹入った金魚袋を取り出した。母の『家族揃って』の意味をようやく理解する。これは呆れるのも無理はない。というか父もくらやみ祭りに来ていたのか。
「安心しなさい、二匹だけだから。ちゃんと残りは返してきたから」
「そういう問題じゃない⋯⋯」
「何匹掬ったん?」
「十四だ」
「凄ぇー!」
「随分鈍ってしまったがな」
遭遇しなくて良かったとつくづく思う。童心を忘れない心意気は別に否定しないが、金魚掬いを荒らす父の姿はとりあえず見たくない。ふと、いまになって思い出した。幼い文香と慎吾を喜ばせる為に父が大量に掬って見せたからこそ、家に残っていたのが大きな水槽だと。二人合わせても、まだあの頃の父には敵いそうにない。
いつまでも狭い袋の中ではかわいそうなので、早速水槽に入れてあげる。魚の感情は到底理解できそうにないが、悠々と泳ぎ回っているのを見て自然と口角が緩んだ。満足してもらえているなら何よりだ。
慎吾が取ってきた和金と呼ばれるオーソドックスな金魚の中では、文香の琉金は随分と目立つ。愛着だなんだと言いはしたが、同じ和金だったらもう区別がついていないだろう。
「慎吾の子、皆小振りだね」
「大物狙うと網破けちゃうだろ」
「なるほど」
「流石に父さんのは意味が分かんねーけど」
それには同意だ。問題なく金魚たちが過ごしているのを確認して、三人がかりで玄関まで運ぶ。浄化器の電源を差し込んだら、鈍い機械音と泡を放出する音が廊下を満たし始めた。ちょっとうるさく思えたが数日もすれば慣れるだろう。
「餌やりと掃除はちゃんと三人がやりなさいよ」
「はーい」
母の声に三人同時に応じる。ひとまずは今後の当番表を作らねばならなそうだ。
消灯された玄関の片隅に佇む水槽をもう一度見やる。慎吾の和金が六匹。父の出目金が二匹。そして、文香の琉金が一匹。自分の力量がもう少しあれば仲間も一緒に連れて来れたかも。なんて考えてしまった。
もしかして君にも、友達がいた? 一人にさせてごめんね。
そう問いかけても、琉金はただ気泡を吐くだけだった。
【21:16】
【23:20】
≪五月九日(月)の生徒総会について≫
お風呂を済ませ、自室にて『ふなし』の三人で今日の感想を言い合っている最中、そのメッセージはポップアップした。発信者は瑞希。彼女もあずさたちと別れ、落ち着いた頃合いなのだろうか。メッセージをタップすると、生徒会のグループトークに繋がった。
文面の通り、来週月曜日の午前中を使って行われる生徒総会の事。当日の進行を確認するので金曜日放課後に集合するようにという再通達だった。他の生徒会員が一言メッセージやスタンプで応じているので、文香も≪承りました✋≫と返信する。
生徒総会は主に各委員会の一年間の活動方針報告などがメインだが、それが終われば生徒会の立合演説会が行われる。五月末には役員選挙が控えており、六月から新生徒会がスタートするのだ。現在文香は文化祭実行委員会監督役という役職だが、名義上は庶務を継続することとなっている。継続でも演説をする必要があり、いまのうちに発表内容を精査しなければならない。
「めんどー」
誰に向けて発したわけでもない声は、薄灰色の天井に跳ね返って自分の身に降り注ぐ。そういえば委員長も活動報告を行うわけだから、翔太も同じく壇上に立つことになる。そういえば前回の委員会内でどういった内容を生徒総会で語るのか、前回の委員会内で一応確認を取っていた。
途端に眠気が襲ってきた。渚と詩音におやすみを告げて、灯りの紐を引く。
身体を包む毛布の肌触りが気持ちよく、泥に沈んでいくような感覚に浸る。いい疲労感だ。もう数分も経てば眠りに落ちるだろう。
皆はどんな夜を過ごしているだろう。お祭りの話題をまだ共有していたり、三年生の先輩たちは受験勉強だったり。下準備に余念のない翔太のことだから今頃発表原稿を考えたり、なんて。休みはまだ二日ある。面倒なことは明日の自分が片付けてくれるだろう。
やがてそんな思考は、夜の中に霧散して溶け込んでいった。
【23:31】
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