第五話 適材適所

【4/18(Mon) 12:50】



 昼休みの生徒会室。先日の文化祭実行委員会の様子を報告に来ただけのはずの文香だったが、気付けば瑞希の事務仕事を手伝っていた。


「――では、チアリーディング同好会は部活に格上げされるんですね」

「うん。まだ仮入部期間だけど、新入生のおかげで規定人数に達したみたい」

 

 PTAの広報誌に乗せる資料に目を通しながら、雑談を交わす。中には部活動紹介のインタビュー記事もあったのでそんな話題が上がっていた。

 

「部室はどうするんですか?」

「確かハンドボール部が……去年から部員いなくて休部状態だったから、そこかしら」

 

 窓際、小さな鉢に植えられたサボテンに水をやりながら瑞希は言う。手のひらサイズの可愛らしいそれは月影丸という種類で、瑞希がどこからか買ってきたものだ。その横にはアイビー、シェフレラ、ポリシャスといったミニマムな観葉植物が仲良く並んでいる。生徒会室の一部を私物化なんて意外とちゃっかりしている会長だ。本当は月下美人というサボテンを育てたいと零していたが、学校内では狭いと判断して今に至る。


「まぁ多分、このまま原案は通るでしょう」

 

 ミニ如雨露を戸棚に戻し、瑞希は生徒会長席に腰を下ろした。膝丈まであるスカートの上からでも、陸上部で鍛え上げられた健全な足が見て取れる。瑞希の種目は走り高跳びだ。文香くらいの身長なら平然と超えられるらしく、記録を聞いた時は思わず戦慄した。

 ふと時計を見やれば、もう十三時になろうとしているところだった。文化祭総務で班員決めをすると言っていたことを忘れていたわけではないが、つい長居をしてしまった。

 

「さて、そろそろ文実の方に行きますね」 

「あらごめんなさい、雑談にも随分と突き合わせちゃった。手伝ってくれてありがとうね」


 纏めたプリントを手渡すと、静謐な笑顔で応じてくれた。反射的に「いえいえ」と謙遜してしまう。大人の女性らしい振舞いというものを、あずさはこの瑞希から学んで欲しい。なんてくだらない思考が過る。

 用事は十分に済ませた。文化室に向かおうと扉に手を掛ける。と、その時だった。


「⋯⋯ねぇ文香ちゃん。三年七組の委員って、香苗の他は誰だった?」

「え? いや、知らない男の先輩だったかと」

「そう」

 

 唐突な問い。十分な回答ではなかったが、瑞希はそれで満足したようだ。手元の資料に目を落とす彼女に文香は深追いすることはできず、今度こそ生徒会室を後にした。

 特別棟一階最東端には自習室があり、順に生徒会室、放送室、進路室、文化室と並んでいる。会議場所及び、今後の文実総務の活動拠点となる文化室は近所も近所だ。日当たりの悪い特別棟廊下を十秒も歩けばもう目的地である。


「こんにち⋯⋯うわ」


 頻繁に清掃されている生徒会室とは打って変わり、文化室は酷く埃っぽい。扉を開けた途端に顔を顰めてしまった。業務用ラックには過去の文化祭で使われたであろう小道具が所狭しと押し込められていて、埃の温床となっている。それらが床に散乱していないだけマシか。会議の前に掃除を優先した方がいいのではと考えてしまう。

 そんな文香をまず出迎えてくれたのは、悠人とあずさの呑気な声音だった。


「おっ、松木さんこんにちわー」

「おはよフミちゃん」

 

 標準時子午線は同じはずだがこのズレはどこで生じたのだろう。二人に続いて残る翔太、香苗、茜からも挨拶が来る。やはりあずさだけがインド周辺にいるみたいだ。文香の所在地は日本で間違いないので「こんにちわ」と返す。

 文化室の中心、六人分の学習机を向き合わせて会議卓を作り上げていた。手前から時計周りにあずさ、香苗、悠人、翔太、茜の順に着席している。休憩に入っているのか、あずさは購買のカレーパンを、翔太は弁当を頬張っていた。

 

「すみません、生徒会の仕事で遅れて。もう終わっちゃいました?」 

「お疲れ様です。あらかた割り振り終わったところね」

「何人かは第二希望に行ってもらうけど、一旦はこれで確定かなー」


 机上には希望調査票が四つのグループに分割され広げられている。広報班九人、企画班九人。飲食・器材班八人。装飾班十一人という構成のようだ。隣に座る茜が教えてくれた。どうやら彼女は確定した委員の名簿をつけている様子。ただのボールペンなのに行書フォントみたいに端正な字だった。


「あとは総務のメンバーをどこに配属するかだけかな。皆さん、希望あります?」 

「私は必要ないんだっけ?」

「ああ、松木さんは大丈夫」 

 

 それはそれで蚊帳の外のような気がして寂しい。とはいえ弓道部と生徒会という二足の草鞋をすでに履いているのだ。三本目の足は持ち合わせていないからちょうどいいかもしれない。


「私は装飾班でいいかしら」

「いやもうそれは是非ともお願いします」


 香苗の名乗りに、悠人が速攻で応じた。技術ある人間が制作を中心とする班に属すのは自明の理だろう。反論の余地なく確定した。その後に「私も装飾がいいです」と茜も続く。


「そういえば秋間さん、結局美術部にするの?」

「あ、はい。落ち着いてて居心地良かったですし、絵を描くのも元々好きだったので」


 総務の委員は五人だから、一つの班に二人入ることとなるため問題はない。これで装飾班員は十四人となった。装飾班は正門・校内の飾り付けるだけでなく、昇降口の二階部分まである高さの窓ガラスに色フィルムを張り、疑似ステンドグラスを制作をしなくてはならない。故に人手がいるのだろう。伝統あるステンドグラスは過去二回見たことがあるが、どちらも圧巻だった。

 話題に上がったので、せっかくだから男子勢の部活も尋ねてみる。


「そういう三浦君は何部なの?」

「俺は陸上部だよ」

「わ、会長と一緒」

「種目は短距離だけどね。高汐先輩ちょっと怖いよなぁ、そう思わん?」

「え? そう?」

「ちょっと三浦君。それは密告案件ですかな」


 机上に手をつき、すぐさま悠人は頭を下げた。「どうかいまの失言はご内密に」と、相変わらずの抜けた調子であずさと香苗に懇願している。あまり瑞希のことを怖いと感じたことはなかったが、陸上部内では別人なのだろうか。


「渡部君は?」

「ん、帰宅部」


 希望調査票を掻き集め、確定した委員の名簿をまとめている。何か粗雑に扱われたような気がしたので、もうちょっとだけ続けてみる。


「何か入ったりしないの?」

「いや、特には⋯⋯」

「じゃ弓道部とかどうよ。二年からでもアットホームに受け入れるわよ? 初心者大歓迎!」


 そこにあずさが割って入ってきた。悠人は許しを得たのだろうか。端からあのやり取りが真剣なものだとは思ってないけれど。


「ブラックの常套句じゃないですか」

「えー、ホントなのに。ねぇフミちゃん?」


 と、こちらに振られても返答に困る。「考えときますよ」と翔太は返したが、これは毛ほども考えてない様子だ。「行けたら行く」と言う人間のほとんどが来ないのと同じ。


「そういう片居木先輩はどれにしますか?」

「そーね⋯⋯広報ってパンフとかチラシとかホームページ作るんでしょ? 楽しそうじゃん」

 

 そんな安易な。と思ったが、多くの委員も所属班を選ぶ理由なんてその程度のものだろう。むしろ広告班は地域各所へのポスター配布も仕事にあるため、あずさのような人受けが良い存在は有益だろう。あずさの希望はそのまま通った。その後に悠人が続く。


「じゃ俺は飲食・器材かな。男手いるでしょ」

「ああ、助かる」

 

 先週のデジャブを感じる。今回は打ち合わせていたというわけではなさそうだが、やはり随分と円滑に進む。


「じゃあ渡部君が企画班? なんか大変そうじゃない?」

「企画班で上がった企画は結局俺が確認することになるから、むしろ都合がいいよ」


 それでは本当に、各々が適任の班に配属されたわけだ。思わず舌を巻いた。

 ちょうど茜が名簿を付け終えたらしく、議事録と合わせて翔太の手に渡る。半ば強引に書記を任命された彼女が馴染めるか不安だったが、仕事も人間関係も問題無さげで安心した。茜だけでなくこの総務メンバーなら、時間を経ればもっと良好な関係になっているのではと文香は思う。生徒会室や弓道部とはまた違った、居心地の良さを肌で感じていた。

 資料に誤りが無いのを確認してから翔太は昼会議の解散を告げた。次に集まるのは、一週間後の委員会だ。

 

 

【13:15】

【16:37】



 二十三日には明治神宮の弓道場で、女子の関東大会都予選会が行われる。男子は二十四日だ。上位に食い込めば、六月上旬に栃木県にて行われる関東大会に進むことができる。また六月中旬には全国総体都予選が開催されるが、三年生にとってはこれからの大会全てに『高校最後の』が纏わりつく。どちらも本命であることに変わりはない。

 先輩たちを大会に専念させるべく、一年生の指導は二年生が引き受けることになる。室内に大所帯の一年生はとても入りきらないので、雑草生い茂る道場裏で練習せざるを得ない。申し訳ない気持ちも山々だが、こればかりはしょうがない。去年の自分の姿を重ねながら文香は指導に励む。

 徒手射法稽古だ。両手に紐だけを持たせて、射法八節をひたすらに繰り返す。二年生数名が並んだ一年生の間隙を縫いながら、「紐は地面と平行だよ」「肩の力抜いて、浮き上がらないように」「胴造りは丹田を意識してね」「重心もうちょっと前でいいよ」などと、覚えたばかりの射法八節を細かく矯正していく。ここで身体に感覚を覚えこませなければ、素引き、巻き藁、的前に上がる度に型が歪んでしまう。教える側も熱が入り用だ。

 身体が未成熟な文香は弓の重さに負けて射型が乱れ、的前まで到達するのに時間を要した。上の段階に昇っていく同級生に取り残されるのは苦痛ではあったが、先輩たちの熱心な指導でコツコツと固めていった基盤は、いまの文香を強く支えている。自分もそんな存在になれればと願わずにはいられない。

 

「松木たち、交代」

「あなたたちも引いていらっしゃい」

 

 切り良く残心を終えたところで、振り返れば男子部員が数名と宮原の姿が。これでようやく引ける。まだ的中率が安定しない文香でも、大会で良い成績を残したいという気持ちくらい持ち合わせている。誰かに、誇れるような成績を。

 道場に戻れば、あずさを含めた何名かが矢取りに行っているところだった。文香が弽を着けている間に帰ってきた彼女たちは「どうぞ」と告げる。もう弓を引いても大丈夫だという合図だ。矢立箱から矢を二本取り出して、自身の弓を握り締める。


「フミちゃん、いま何キロ使ってたっけ」

 

 そこへ何んとなしに問いかけてきたあずさ。「九キロの、『氷水』ですね」と返すと、ひとつの提案を述べた。


「十キロに上げて強い弓に慣れたら?」

 

 この数値は弓を引く力、弓力のことである。修練を積むに連れてキロ数を上げていくことができるが、弓力に負けて射型の安定を欠く文香は部内でも最も弱い弓を使っていた。数値が高ければ良いというわけではないが、弓の弱さに甘んじて筋肉で引いてしまっていることに気付けない場合もある。


「では見ててください」


 言って弓を携え射位に立つ。

 ちなみに『氷水』というのは弓につけられた名前だ。他にも『撫子』『パセリ』『夕陽』と、一本一本に愛称が振られている。弓を新調する度に歴代の部員達が名付けてきたのだが、他の高校ではこのような風習は無いらしい。大会などで交流した際には面白がられてしまった。百草高校弓道部において弓の命名権を賭けた試合は一大イベントである。最初に受け取った時はそのネーミングに辟易したが、長いこと付き合えば愛着が自然と湧いていた。

 あずさの弓は『すみれ』というらしい。部の弓と同様、握り皮の上にその名前が記されている。部の弓はカーボン製の安価な弓だが、あずさのそれは竹弓といって非常にデリケートな代物だ。だから毎日持ち帰って手入れを怠らないのだろう。その重さは十七キロと、文香にとってもはや想像できる範疇にない。

 ふと矢を弦に取り付ける際、あずさが視界に入った。焦点は当たらずにボヤけているがその輪郭は文香の方向を向いている。見られている、という意識から逃げるように顔向けをして胴造りに入った。

 一本目は的の下辺に的中した。弱い弓故に『すみれ』などと比べて矢勢に欠けるが、以前みたく山なりに飛んでいくことはなくなった。地擦ることも滅多にない。今の感覚を忘れないよう、もう一度。しかし二本目は的の右側に外れていった。


「射癖おおよそ治ってたし、大会終わったら上げてもいいよ。十一キロの弓が余ってたら家に持ち帰って素引きしなさい」


 射場から戻ってくるなりそれだけ告げて、文香の横を抜けていった。見ていたのは文香だけではなかったのだろう。通り掛けに他の部員にも手ほどきをしている。

 手元の『氷水』に視線を落とす。八キロから上がったばかりの頃に比べ、会を維持するのが随分と苦ではなくなった。正しく骨で引けている証拠なのだろうか。けれど弓力を上げてしまえば、また力に頼って射型が崩れてしまうかもしれない。果たして、五月の選考に間に合うのだろうか。そんな懸念が文香の中で渦巻いていた。

 関東大会都予選の団体戦は三人で一チームだ。三年生は男女ともに三人ずつなので二年生が入る余地は無い。片居木あずさと同じチームは北野真弓部長と中島藍という先輩だ。

 一方の六月中旬に行われる全国総体都予選は五人で一チーム。二年生女子の人数は五人であるため、あずさと同じ行射をするには上位二人に入らなければならない。公式戦で一緒に戦える機会は、もうここしか残されていない。このメンバーを確定させるのは五月下旬に行う選考会だ。

 先程まで文香が引いていた射位で、あずさは遥か先の的と対峙している。近いのに遠い。手が届くのに、とても触れられそうにない。


「ごめん、『つらら』ちょっと借りていい?」

「ん? いいよ、何にするの?」

「一回だけ素引き」


 まだ矢立て箱に自分の矢は残っているけれど、着けていた弽を外し休憩中の部員から十一キロの弓を借りる。握り革の厚さは個人差があるため、人の弓を握るのはどこか違和感だ。でも大した支障はない。執り掛け、弓構えて、打起す。引分けの途中段階である『大三』の時点でその強さが骨を伝わって文香を襲う。会、肩が満足に入らないし、妻手が引き切れずに潰れてしまう。「大丈夫?」と持ち主から心配されたので、五秒持たずして会を終わらせた。


「まだ厳しかったかな」


 そう、あどけない口調で言ってみせる。その言葉は紛れもなく文香の本心だったはずだ。



【16:55】

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