八章
第60話
数日、数週間、あるいはもっと長い時間。魔王の城から人の足が消えてから、長い時間が経った。
石垣の隙間、石畳の隙間から樹木が懸命に伸び、石畳や玉座や部屋のあちこちには、緑色の苔が生茂っている。
城は自然に取り込まれ、自然の中にその身を委ねようとしている。城に残されたのは、古ぼけた鎧をつけた二つの亡骸。白骨化し、生前の姿は見る影もない。彼らは城とともに、忘却の中で静かに眠っている。
久しぶりに魔王の城へ来客が来たのは、午前十時過ぎ。来客は七十過ぎくらいの年老いた男女と、二人の壮年の男たちだ。
壮年の男を先頭に城門をくぐって城の中へと入っていく。男女は夫婦だった。手と手をつないで、自然に染まりつつある城を物珍しく眺めまわしている。
床に転がった亡骸を見つけると、背後にいた男たちに声をかける。男はすぐに亡骸に歩み寄ると、これこれこういうものだと夫婦に教えてあげた。夫婦は目を剥いて、亡骸に目を向ける。
膝を折ってしゃれこうべの頭を撫でる。それから両手を合わせて、祈りを捧げた。祈りを解いて夫婦の目は玉座に向けられる。そこには女の亡骸が腰を据えていた。
女のものと思われる長い金髪が、頭蓋骨にこびりついている。夫婦は息を飲みながら、亡骸に足を向けた。
二人は玉座の前でひざまずく。そして先ほどと同じように、両手を合わせる。背後にいた男たちも膝を折って目を瞑る。
しばしの沈黙、そよ風がこの葉を揺らす。
目を最初に開いたのは、年老いた女だ。彼女はまぶたを開くと、立ち上がって亡骸に手を伸ばした。白骨化した女の顔を優しい手つきで、壊れないようにそっと触る。慈愛を込めてそっと撫でた。
女の目からは一筋の涙が溢れていく。涙はやがて一つ、二つと増えていく。肩を震わせ、喉をひくつかせ、彼女の涙は大粒になり、床にポタポタと落ちていく。
年老いた男は女に歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。女は夫の手に自分の手を重ねる。大丈夫、心配はいらない。そう言いたげに、夫の手の甲を撫でた。
女は玉座の骸骨に顔を向ける。それから骸骨の額に口づけを送る。それじゃあ、またね。女は呟きながら、骸骨の頬をそっと撫でた。
玉座に背を向けて彼らは城を出た。入り口の脇に線香に火を灯す。
香の香りが風に乗って城内を巡る、巡る、巡る……。
「じゃあね、玲ちゃん」
女の声が静かに響いた。
魔王に平和は似合わない 小宮山 写勒 @koko8181
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