勉強をしに行く

 曇りの空の下に広がる街は薄暗かったが、夜のような暗闇ではなかった。雲に隠れて太陽は見当たらなかったが、一体どこから光が漏れているのだろう。僕はそんなことを考えていた。


 久しぶりに朝早く起きて、大学へ向かうために外に出た。風は涼しく、僕を取り囲んでいる。不思議にも足取りは軽かった。ソラが隣にいてくれるからだろうか。街角に点在する電柱が視界の隅に流れていくのを眺めながら、歩く。


「ソラは学校が好きなの?」


僕の何気ない質問に、彼女はうなずいて応える。


「うん。学校って、いろんなことを学んでいく場でしょ?私、新しいことを知るって、すごく大切なことだと思うの。自分の世界が広がるっていうか。考え方がまるっきり変わったりするから。」


しみじみと語るソラの姿がすごく鮮やかに映った。僕は学校についてそんな風に考えたことはなかった。一つの場所に大勢の人間が敷き詰められて、わけのわからないことをただそれがあたかも正しいかのように教え込まれる。与えらえた行動、所作、課題をただきっちりこなしていくことが絶対正義だと刷り込まれる。学校に対してそんなイメージしか持ち合わせていなかった。


 でもソラにとっては違った。彼女にとって、学校は自分自身を常によりよいものへ変えていく場所だった。彼女はどんな学生時代を過ごしていたんだろう。きっと、素敵な先生がいて、素敵な友達がいたに違いない。ソラの透き通った内面を見るたびに、僕は彼女から贈り物をもらっていると思った。


「ソラは素敵だなあ。」


「え?なんで?」


突然褒められてびっくりしたように彼女は僕を見た。


「いつも前向きで、楽しそうにしてて素敵だなって思った。きっと、良い学生時代を過ごしていたんだろうなあって。」


「ありがとう。何も覚えていないけど、多分周りにはすごくいい人たちがいたんじゃないかなって、勝手に思ってる。」


そんな会話を交わして、はじめて気がついた。


 僕はソラのことを何も知らない。


 外見は僕と同い年くらいに見えるが、亡くなったとき大学生だったのだろうか?彼女は今までどんな人と出会い、どんな人生を歩んできて、今僕の目の前にいるのだろうか?


 何一つわからなかった。


 ソラは記憶を持っていないから、聞き出すこともできない。それが悔しかった。僕は彼女が元気に学校に通っている姿を空想した。想像の中でソラは満面の笑みを浮かべていた。 


「あ、学校。見えてきたよ。」


うれしそうな声を聞いて前を見つめたその先に、直方体の建物が見えた。その瞬間、心臓の鼓動を強く意識しはじめた。


 なんだろう?この胸のざわめきは?


 歩く速さが次第に緩み、ついには止まった。何が起きているのか、自分でもよくわからない。


 僕の周辺をいくつもの「誰か」が横切って行った。彼らは会ったことも話したこともないはずなのに、僕のことを知っていた。彼らの心の声は僕のことを語っていた。


『え?いまさら学校通うって、どういうつもり?今まで散々逃げてきたくせに。』


『お前はずっと楽してきたんだろ?俺らが頑張って学校に通う中、お前はずっと何もしない、怠惰な毎日を過ごしてきたんだ。そんな奴がいまさら大学に通う資格なんてないだろ。』


『いろいろ理屈を引っ張ってきて自分の正当性を主張しているけど、結局やるべきことやってないだけじゃん。それって、ただサボっているだけだよね。潔くあんたの落ち度を認めなよ。』


 何かが崩れていく音がした。歩みゆく人たちの無表情な顔は、僕を敵視しているように感じられた。無数の声という声が、頭の中で鳴り響く。頭がおかしくなりそうだった。すさまじい頭痛がして、その場に座り込んだ。そんな僕の姿をあざ笑うかのように、人々は通り過ぎていった。


「どうしたの?大丈夫?どこか悪いの?」


ソラがそばで心配そうにしている。安心させようと笑いかけようとしたが、痛みがひどくて上手くできない。せっかくソラが楽しみにしていてくれたのに。僕は学校に行くことさえできない。

 

 どうしようもなく情けなくて、悲しくて、やりきれなくて、涙が出てくる。


「道行く人たちが、僕のことを責める声が聞こえるんだ。実は僕、不登校だったんだ。大学に行かず、ずっと家に引きこもっていたんだよ。なんの努力もしないで、無気力になっている自分をどうすることもできなくて、空っぽの日々を過ごしてきたんだよ。だから今、罰が当たったんだ。僕は責められて当然の存在なんだ。」


「ねえユウキ、何を言っているの?そんな声なんて聞こえないよ。誰もあなたを責めていないし、非難の声も発していない。ただ、歩いているだけよ。全部、幻よ。だから安心して。見ているのは、わたしだけ。」


そうソラに慰められても、頭の中の声はやまない。僕はだめだ。ダメ人間なんだ。自分自身にそう叫んでしまう。


 意識が遠のき、その場に倒れ込もうとした瞬間。


 誰かが僕に話しかける声が聞こえた。


「大丈夫ですか?立てますか?」


目の前で、女の子が心配そうに僕を見下ろしていた。

 


 


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幽霊少女に憑りつかれた僕 じゅん @kiboutomirai

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