第36話 村がはじまる
ドラゴンの背中は、俺1人が乗るには広すぎた。
エンシェントドラゴンがのんびりとはばたくたびに、冷たい風がごうごうと吹き抜けていく。
モンスターたちを見下ろしながら、エンシェントドラゴンはのんびりと言った。
(『薬草摘み(グリーナー)』の摘む最高薬草は、モンスターをレベルアップさせる劇薬であることを知っているだろう。夏至にもっとも強くなる薬草を放置すれば、どうなるかぐらいわかるものを)
「……どうなるんだ?」
薬草を食べるモンスターは限られている。
ラットやヤギぐらいで、そいつらは草食や雑食のモンスターなので、さほど狂暴ではなかった。
もっとも手こずる肉食のモンスターは、自生している薬草を食べないはずだ。
(生体濃縮というものだ、最高薬草ばかりを食べるようになった草食モンスターを、肉食モンスターが食べれば、間接的に最高薬草を食べることになる。さらに、彼らが遠くに移動して死ねば、そこの土は最高薬草の魔素を得て、その土地の薬草がすべてレベルアップする)
なるほど。
つまり夏至の薬草は、放っておくと山中に爆発的に広まっていく、ということだ。
そして強い薬草ばかりが生えている土地のモンスターは、草食も肉食もすべてパワーアップする。
ペグチェの人々は、そうして山中に広まっていく最高薬草を摘み取ることで、モンスタースタンピードを未然に食い止めていたのだ。
そういえば、ララ村の辺りが今みたいに平和になったのは、ララが薬草を摘みはじめてからだった。
歩くだけで薬草を摘むことが出来る『無形文化遺産』の力は、土地を平和にしてしまうほどの影響があったのだ。
ララの妹たちも、いちばん重要な夏至の前には村に住むようになった。
だから、山の奥地にある薬草は放置されたままになっていたんだ。
「けれど……それで定住化をしちゃならない、なんてのは暴論だろ。ちゃんと『薬草摘み(クリーナー)』を育てて、定期的に山を巡回して、薬草を摘むようにしていれば……」
(それが普通の人間に出来ると思うのか)
「できるさ……みんなが毎日ちゃんと食べられるようになって、学校に通えるようになれば、そのために、定住化が必要なんだ」
ドラゴンにとっては、これから何世代にもわたって続けることのできる、確実な方法が必要だった。
もし1000年前にその方法を考えるなら、山に住むしかなかった、というのはうなずける。
けれど、それには問題がある。
「エンシェントドラゴン、お前のその方法も永遠じゃないぞ。だって、その方法だとペグチェは山に縛り付けられて、貧しさから永遠に抜け出せなくなる。そうしてあるとき、貧しさからみんなを救おうって自分から行動しはじめる賢い子が現れて、ぜんぶが破綻するんだ」
そうして起こってしまったのが、今の状況だ。
ルールを作って押し付けても意味がない。
その重要性をしっかり伝えて、柔軟に変化させていく仕組みがなければならない。
(では、どうしろというのだ?)
「それは……エンシェントドラゴン、お前がアセスメントをすればいい話じゃないか」
(アセスメント?)
「ああ、これからは、村が薬草摘みの計画を立てる。その計画を見て、お前が基準を満たしているかどうかチェックする。問題があればやり直させる」
(なるほど)
ユノーティアの師匠の農業改革に、魔法学園の技術革命。
それらのおかげで、人間の文化水準はどんどん豊かになっている。
力で押さえつけるしかなかった1000年前とはぜったいに違うはずだ。
問題は、エンシェントドラゴンの仕事が明らかに増えるので、嫌がらないか、ということだったが。
そんなことはなかった。
エンシェントドラゴンは、しばらく考えた末に、言った。
(ならば、私が力を貸してやろう。今からでも、強制的にモンスターたちを止めることは、可能だ)
最初からその答えを用意していたわけではない。
彼なりに考えてはいたのだろう。
その結果として、彼はもっとも残酷な答えを導きだした。
(ひとつ、条件がある)
「なんだ」
(命を捨てる覚悟はできているか)
エンシェントドラゴンにそう問われたとき、俺は、ララの姿を脳裏に思い描いた。
出会ってからこれまでの、ララの姿を。
その姿が、同い年の娘の姿と重なっていた。
一目でも、会いに行きたいという思いがこみあげていた。
2人とも同時に守る方法があるというのなら、やらないでいる手はない。
「ああ、できているとも」
俺は、ドラゴンの角の一本に、そっと触れた。
ごつごつしたドラゴンの角は、シカやウシの角とも違う。
象牙とか、巨大なサンゴとか、なにかの結晶のように滑らかで、その結晶の格子のなかに、恐るべき力を秘めているのがわかった。
モンスターを恐れてはならない。
たとえどんな時でも、それは『騎兵(ライダー)』の鉄則だ。
「グォォォォォ!」
エンシェントドラゴンの咆哮は、全世界に向かって放たれた。
ただの咆哮とは、明らかに違う。
空気の分子がはっきりと意志を持って、いままで隠していた全ての力を使って、その振動エネルギーを伝えようとしている。
それはドラゴンの魔法だった。
眼下に広がるモンスターの群れに、次々と俺のスキルの能力が伝えられた。
黒々とした背中に、炎のように光り輝く鞍が付けられていく。
地面を埋め尽くしていたすべてのモンスターの背中に鞍がつけられ、それらが左右に揺れ動くさまは、まるで地平線まで続く、黄金の麦畑みたいだった。
(あとは任せたまえ、ライダー)
俺はいま、すべてのモンスターに『騎乗(ライド・オン)』していた。
さっき、命をなげうつ覚悟はあるか、とエンシェントドラゴンが俺に確認した通りの、それは信じがたい荒業だった。
俺の力のすべてが、均等に世界にばら撒かれていく。
この世界のすべてのモンスターを同時に支配する、極限のスキルだ。
いまならわかる。
もし、俺がこのスキルを好き勝手に使っていたら。
たぶん俺は、いまごろ魔王かなんかになっていたはずだ。
やがて、俺の右手は火を噴いた。
異世界に飛ばされたとき、真っ白い光に包まれたのとは逆に、真っ黒い闇が、俺の全身に襲い掛かった。
そのとき、モンスターの暴走が止まったのは、見て取れた。
世界を埋め尽くしていた、光の鞍。
その一つ一つに、明確な知性が宿って、立ち尽くしたまま、空にいる俺の次の指令を待っていた。
あとは、エンシェントドラゴンが上手く引き継いでくれるだろう。
魔王にならないことを、祈るしかない。
闇に飲み込まれて、俺はとうとう、意識を失ってしまった。
* * * * * * * *
意識が戻ってくると、俺はどこかの小さな民家にいた。
ひょこっと、誰かが俺の顔を覗き込んでいる。
じっと目をすがめて見ていると、どうやら女の人が目の前にいるみたいだった。
そのぐらいしか、いまの状況が把握できない。
視界が異様に悪く、ぼんやりとしか見えなかった。
「よちよち、目が覚めちゃいましたねぇ」
自分の寝言以外で日本語を聞いたのは、いつぶりだろう。
彼女は俺を抱き上げて、あやしながら、どこかに移動し始めた。
畳のにおい、懐かしい柱の傷。
ちょっと煙たいのは、線香のようだ。
ああ、日本に戻ってきた。
俺は、それを実感した。
十数年ぶりに、とうとう、俺は戻ってきた。
俺が今、どこにいるのか分かる。
だってこの家、俺が建てた。
仏壇の前に、人が何人か座っていた。
ぼんやりとした視界でも、それが白髪だとわかるくらい、はっきりと白い頭のおばあちゃん。
そして、がっしりとした体格の、男の人だった。
たぶん、俺を抱えている女の子がママで、男の人がパパ、白髪の人が、おばあちゃん、という訳か。
誰の名前から呼ぶべきか、俺はいまから構想を練っていた。
こういうのは、家族間の序列にけっこうな影響力を及ぼすからな。
慎重にならないと。
なにか話そうと思って、口をむにむにさせていると。
俺のママは、仏壇に近づいて、線香をさしていた。
そのはずみで、俺の顔の前に、仏壇の遺影が近づいてきて、はっきりとその顔が見て取れた。
それは、まぎれもなく俺の写真だった。
忘れもしない。
俺の運転免許の写真。
この世界における、俺のライダーのライセンス。
有効期限なんてとっくに切れているだろう。
顔の角度も、眼鏡も、そっくりそのまま。
まるで時間が止まったかのようだった。
ちーん、と鐘が鳴らされて、ママが正座をした。
隣にいるパパが、俺の足をふよふよ、と触っている。
「父さん……ただいま。私はママになりました」
俺のママは、仏壇に手を合わせて言った。
毛のうすい後頭部越しに、娘の声がはっきり伝わってきた気がした。
ああ、そうだよな。
俺はうなずいた。
娘が小学校の時に俺が事故に遭って、もう14年だ。
俺がトラックにはねられて、異世界に転生している間。
たった1人の娘は、いまはもう立派な母親になっていた。
俺は、俺の足をふにふにいじっているパパにぐりん、と目を向けた。
もっとまっすぐ見てやりたいが、座っていない首がもどかしい。
ぼやけていて、顔は良く見えないが、眼鏡をかけて微笑んでいる。
こいつに託しても、いいのだろうか。
俺の大事な娘を。
妻を。
俺を。
俺がララを幸せにしてやりたかったように、俺は娘のことも幸せにしてやりたかった。
そのとき、どこからともなく、するする、と紫色のネコがやってきた。
どうやら、ネコを飼うようになったらしい。
どこか見覚えのあるネコのような気がした。
じっと見つめあっていると、やがてそのネコは、にゅっと人間のように口の端をつり上げ、目を細めて、心の声で俺に語り掛けてきた。
「にゅっふっふ、どうやらこっちの世界に戻ってきたみたいにゃ!」
バス……テト。
そうだ、こいつは……俺が助けたあのネコだ。
「転生ダブルチャーンス! 今ならお好きな異能をひとつプレゼントするにゃ! そして今度こそ、チート能力者として世界に君臨する魔王と……うにゃー!」
バステトの声は、途中でかき消された。
何者かが、俺を連れ戻そうとしている。
どこからともなく光の河が現れ、俺の意識は、ぐいぐいと、流れの方向に引っ張られていった。
* * * * * * * *
やがて俺は、目を覚ました。
視力が一気に元に戻り、視界はばっちり良好だった。
普通に息ができる。
体の感覚は、ほとんどない。
ひりひりと痛んでいる程度だ。
のどがひどく渇いていた。
俺は、どこか硬い地面の上に横たわっていて、誰かが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「しっかりしろ、ライダー!」
ユノーティアだった。
彼女の頭の上から生えたヒーリングスライムが、光の粒を全力で俺に注いでいた。
「俺は、いったいどうなった……」
エンシェントドラゴンの背中に乗って、すべてのモンスターに『騎乗(ライド・オン)』した。
その後の記憶はない。
あやうく転生ダブルチャンスしかけたが、途中で復活したということか。
体を起こすと、そこは荒れ果てた大地が広がっていた。
家々が破壊され、畑は踏み荒らされ。
湖だけが、まるで何事もなかったかのように、綺麗にたたずんでいた。
モンスターの姿は、どこにもなかった。
エンシェントドラゴンが、うまく遠ざけてくれたらしい。
「まったく、心配させるな……」
「ああ」
俺は、ぼんやりと首をめぐらせて。
それから、ユノーティアの肩を、がっと掴んだ。
「ユノーティア! 聞いてくれ!」
俺の頭は明快だった。
すべての謎が解けた気分だった。
「娘がさ、結婚してたんだよ! たぶんあれ、小学校ぐらいの同級生のげんた君だよ! 家にちょくちょく遊びに来ててさ! すげぇびっくりした!」
「ライダー、どうした、頭を打ったのか? 私のヒーリングスライムを乗せてみるか?」
「そうだ、そうだったんだよ! なんでそんな簡単な事に気づかなかったんだ! そうだ、ララは、ララの所に行かないと!」
俺は、足元がふらふらとおぼつかなかったけれど、なんとか立ち上がった。
ララ村の人々は、どこにも見えない。
もう開発は諦めて、流浪の民に戻ってしまったのかもしれない。
けれど、ララは元には戻れない。
いまごろ『農術師(ファーマー)』の女の子だ。
だから、俺が迎えに行くしかなかった。
ヒツジが1匹、群れからはぐれたまま、めーめー鳴いているのに出くわした。
俺はその背中に飛び乗って、道をひとっ走り、する直前、ちょっと後ろに戻って、ユノーティアの所に戻っていった。
「そうだ、アルケミストに言ってくれ、これから毎年、夏至には薬草を摘まなきゃならない、そのために、エンシェントドラゴンがアセスメントに来るんだ!」
「お、おう……」
「俺はモンスターを捕まえて走り回ることが出来るけど、ララがいつもどおり薬草を摘めるかどうかわからない、とにかく忙しくなると思うから、騎士団のみんなと手伝いに来てくれ!」
俺は、ヒツジの腹を蹴って、もう一度道をひとっ走り。
そして、ぐるーっと戻ってきて、ヒツジから飛び降り、ユノーティアを抱きしめた。
「ユノーティア、生き返らせてくれて、本当にありがとう。二度と無駄にはしない。これからは、安全運転で、行ってくるよ」
俺は、ヒツジの腹をけって、ジャンプするように道を疾走していった。
* * * * * * * *
荒れ果てた村の跡地に、ユノーティアはひとり呆然と座り込んでいた。
なんだったんだ、というぽかんとした顔をして、ライダーの通り抜けた道を眺めていた。
ライダーのことは心配だったが、彼女にはほかにもやるべきことが沢山ある。
「さて、どうしたものか」
村人たちの事は、いまはアルケミストが対応しているところだ。
ユノーティアも領主として、やるべきことは少しでもやっておいて、彼の負担を減らそうとしていた。
せっかく作った麦は、無残に踏み荒らされている。
村人たちが冬を越すぶんには、善意の支援があるものの、それが全てふいになってしまいそうだ。
これでは、来年の食料が得られないどころか、村づくりの計画そのものが立ち行かなくなるかもしれない。
「ん?」
けれど、彼女は村の一角に不思議なものを見つけた。
麦の入った袋だ。
どうやら、ユノーティアが配った麦のかわりに、違う種をまいていた村人がいたようだ。
その一角だけ、麦袋がまるまる残されていた。
その周辺を歩いてみると、踏み荒らされた麦畑にまじって、にょきにょきと、新しい葉が芽吹いている畑があった。
なにかは分からないが、生命力の強い作物らしい。
ユノーティアは、その葉の根元に近づいて、調べてみた。
たしか、ここはララの妹たちが麦を育てていたと思うのだが。
「麦を作る」と言って、はりきっていた。
だが、葉の付き方からして、穀物ではない。
少なくとも、ハスラでは見かけない植物であることに気づく。
きっと、麦を知らないのだ。
「しかし、一体何を……」
気になって、土を掘り返してみた。
団子のように丸々とした根っこのコブが、何個も連なって、ひとつの株を形成している。
彼女は悲鳴をあげそうになった。
その作物は、麦が全滅してもなお、よみがえろうとしていた。
「ジャガイモだ……」
それは師匠がこの世界に普及させようとした、奇跡の作物の特性だった。
まるまるとしたそのデンプンのカタマリは、モンスターに踏み荒らされてもなお、土の中で生き延び、あたらしい芽を出すのだ。
よくみると、村人たちは畑のあちこちに、この麦モドキをまいているみたいだった。
一体、どうして誰も麦ではないと気づかなかったのか。
「ライダー! 戻ってこい! 大変だ! これは、麦じゃない! ジャガイモだ!」
ユノーティアは、その作物を握りしめて、急いでライダーとララの元に駆け寄っていった。
のちに、ララ村は奇跡の復興を遂げ、翌年には地図に載った。
今ではワインの名産地として有名になっているが、夏至の薬草摘みだけは、毎年欠かさず行われるようになった、ということだ。
おしまい。
ラララライダー 桜山うす @mouce
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