星座占い最下位の無職がラッキーアイテムを駆使して最終的には幸福を手に入れるお話。

@bystander0226

うお座

 「ごめんなさ~い。今日最も不幸なのは,うお座のあなた。ラッキーアイテムは“赤ペン”で~す。」


 月曜の朝。テレビから,ぶりっ子女子アナウンサーの鬱陶しい声が聞こえる。どうやら今日の俺は最も不幸らしい。

 占いコーナーを見るのなんて,いつぶりだろうか。色々な妄想が捗るから面白いと思うけど,信じはしないな。


 彼女が「いってらっしゃい」の挨拶を言い終わる前に,テレビの電源を消す。その挨拶は,誰に向けたものだろうか。恐らく,朝から職場へ出勤する忙しい人種に向けたものであって,俺のようなニートの社会不適合者に向けたものではない。

 でも,俺は好きでニートをやっているんだ。小学校の頃から,全くと言っていいほど友人ができなかった。他人の気持ちを推し量ることができないのも原因だが,単純に一人で妄想をして楽しめてしまう人間なんだ。休み時間も,一人でマンガを描いたり小説を書いたりして,自分一人の世界に閉じこもっていた。今は,色んな人からお小遣いを貰いながら一人暮らしのニート生活を送っている。


 昨日は母親からお小遣いをもらったから,今日は朝からパーッと遊ぼう。さて,持ち物は持った。あとは...プラスチックゴミの日だ。

 ゴミ袋も持って準備万端。リビングの電気を切ろうとしたところ,突然,

 バリン!

 という音が後方で鳴った。振り返ると,蛍光灯が割れて床に転がっていた。ついさっき見た星座占いの結果が思い出される。

 占いの通りに,不幸が起きた?

 ...いやいや,まさか。偶然だろう。ついてない日とたまたま被っただけだ。破片の処理は面倒くさいので,帰ってきたらやろう。

 ドアを開けて,平穏な街へ飛び出す。


 今日はまずゲーセンに行くか。あそこのゲーセンはヤンキーが多いからな。カツアゲされないように気をつけよう。

 ...いや,俺ならやつらをボコボコにできる。なんたって俺は正義のヒーローだからな。やつらが数人がかりで俺に挑もうとも,ドカッ,グサッ,ビューンで終わりさ。その勇姿がニュースになって,俺はこの町の有名人になるんだふははは


 ...おっと,危うくゴミ捨て場を通り過ぎそうだった。

 数歩戻って,持ってきたゴミ袋を置こうとした。しかし次の瞬間,1匹のカラスが電線から俺を目掛けて急降下してきた。

 「うわっ」

 カラスは俺の後頭部を執拗に蹴ってきた。この場にいては危険だと知り,なんとかゴミを置いて逃げる。


 なんだったんだ,あれ。カラスに襲われるのなんて初めてだ。


―――「今日最も不幸なのは,うお座のあなた。」


 朝のニュースの占いが思い出される。

 今日の俺は占いの通り,本当に不幸なのだろうか。いや,そんなの非科学的だろう。偶然だ,偶然。

 ...でも。もしも。もしも本当に,今日の俺が不幸ならば。


―――「ラッキーアイテムは“赤ペン”で~す。」

 

 赤ペンを持つことで,降りかかる不幸を打ち消すことができるんじゃないか?


 早速,近くのコンビニに入って,赤いペンを1本買う。店を出た直後,ペンをポケットにしまおうとした。

 その刹那,小さめの自転車がこちらに猛スピードでつっこんできた。こちらの回避行動は完全に遅れたが,自転車はスレスレのところで俺を避けた。


 あ,あぶねぇなあの小学生!ぶつかったら怪我してたぞ!

 肝を冷やしながらふと手元を見ると,そこには―――


 “青いペン”があった。

 正確には,ペンの外装のデザインは通常の赤ペンと変わらないが,芯に充填されているインクだけが青くなったものが,そこにはあった。


 ...やっぱりな。

 今日の俺には,不幸な出来事が既に2回起きている。

 家では蛍光灯が割れ,ゴミ捨て場ではカラスに襲われた。

 そして,今度は,自転車が俺に衝突する“はず”だった。

 しかし,俺は赤ペンを持っていたため衝突を回避できたのだろう。


 この推測が正しければ,新たな仮説が導き出される。

 不幸の回避と同時に,赤ペンは青ペンに変異してしまった。

 そうすると,今手元にある青ペンは,もはや危機回避能力を持つペンではないと考えるのが自然だ。

 ならば俺は,今日これから新たに発生する危機に備えて,赤ペンを大量に入手しなければならない。そうと決まれば,早速買いに行こう。


 周りに注意しながら,慎重に,ゆっくりと文具屋の方へと歩を進める。先ほどのコンビニに売っていた赤ペンはこれが最後の1本だった。そして今,俺は赤ペンを持っていない。これから降りかかる不幸に注意しながら移動しなければ,大怪我,最悪の場合死を迎えることだって考えられる。なんたって俺は,“今日最も不幸”な男なのだから。

 傍から見れば不審者のようであっただろう。しかし,今の俺は全神経を研ぎ澄ませて,周囲をきょろきょろ見回しながら歩くしかなかった。

 

 文具屋に到着し,油断せずゆっくりと筆記具コーナーへ向かう。そこには,赤ペンが大量に売ってあった。ありったけの量の赤ペンをカゴに入れ,レジに向かう。

 会計は...1万円!?高すぎる。遊びに使おうと思っていた金が,何十本もの赤ペンに変わってしまった。

 店員にすべてのペンをレジ袋に入れてもらい,店を後にする。

 

 人の少ない場所の方が安全だと考え,市街地から少し離れた方へ避難する。そこは住宅街だったが,人通りは少なく,公園では少年達がキャッチボールをしていた。

 緊張の糸がふっとほぐれた瞬間,軟式ボールが俺の胴体を目掛けて飛んできた。かなりの速さだ。とっさの出来事で回避行動をとれなかったが,ボールはカーブを描いて車道でバウンドし,近くの民家の壁にぶつかった。


 ...危なかった。今のも,赤ペンのおかげか?

 レジ袋の中を見てみる。5本ほどの赤ペンが,青ペンに変異していた。

 今ので5本も消費したのか!?...にしても,訪れる不幸が少しずつ大きくなっている気がする。何故だ。


 もしかして,“引き寄せの法則”か?不幸が実現したのは引き寄せの法則によるもので,俺が占いをだんだんと信じるようになってしまったから,訪れる不幸も大きくなっているのではないか?

 “引き寄せの法則”というのは,簡単に言えば,「良いことを頭の中で考えれば実際に良い出来事を引き寄せ,悪いことを頭の中で考えれば実際に悪い出来事を引き寄せる。」というものだ。すなわち,自分が思っていることは実際に起きてしまう,という法則だ。


 この法則に科学的根拠があるのかと聞かれれば,答えはNOだろう。

 もっとも,現に不可解な現象を目の当たりにしている以上,そのようなスピリチュアルな言説の正しさを否定することができない。

 もしかしたら,最初に蛍光灯が割れたのは,占いが当てた不幸なんかじゃなくて,本当に偶然に生じた不幸だった可能性がある。

 しかし俺は,蛍光灯が割れたのは占いが関係しているのかもしれない,と頭の片隅で考えてしまった。そこから強い引き寄せが働いてしまい,不思議な力によって,偶然では生じることのない不幸,すなわち“必然の不幸”を呼び込んでしまったのだろう。


 この推測が正しければ,まずいことになる。俺がこのような論理的(依然スピリチュアルではあるが)な仮説を得たことで,俺は占いをさらに強く信じるようになってしまう。

 そうすると,引き寄せの法則によってさらに重大な“必然の不幸”が降りかかる。


 ならば,占いを信じなければ不幸は訪れないはずだ。

 しかし,そう簡単なことではない。

 「信じる」ということは,人が明確な意思を持って行うものではない。信じるという営みは,感情にすぎない。人間の理性や論理的思考をもってしても,完全には制御できない。

 だから,電気のスイッチを切るように「信じる」ことを突然やめるのは不可能だ。


 では,引き寄せの法則によればどんな出来事でも起こりうるのだろうか。

 例えば,幸運を想像すればその幸運は実現するのだろうか。強い引き寄せを得るために,自分が日常的に体験する幸運を想像してみよう。自分にとって馴染みのない幸運は,うまく想像できないはずだから。

 そうだな...“自動販売機であたりが出る幸運”なんてどうだろう。

 

 近くの自動販売機でコーラを買う。画面に表示された4桁の数字を見るも,最後の1桁だけ揃わなかった。ハズレだ。

 これは恐らく,引き寄せが十分に働いていないのだろう。

 占いが実現してしまったのは,占いと合致する事象(具体的には,蛍光灯が割れるという不幸な事象)が不思議な力によらずに偶然発生し,それによって俺が占いを信じ始め,強い引き寄せが働いてしまったからだ。

 これに対して,あたりが出るという“幸運な事象”は,不幸になるという占いと合致していない。だから俺は当たりが出ることを強く信じられず,引き寄せが十分に働かなかったため幸運は起きなかった,と考えられる。

 

 この考えが正しいことを実証するため,具体的な不幸を想像してみよう。これで想像した不幸が実際に起きるならば,さっきの考えはより真実へ近づく。

 もっとも,不思議な力によらずに発生する“偶然の不幸”が同時に訪れてしまう可能性もあるから,不思議な力が働いて初めて実現できる不幸を想像しよう。加えて,念のため,十分な引き寄せを得るために,日常的に体験している不幸を想像する必要もある。

 これら2つの要件を同時に満たすことができるのだろうか。


 ...そうだ,ゲームの中の出来事を想像すればいい。自分自身が直接体験するものではないが,日常的に体験している非現実だから,想像を働かせやすい。

 じゃあ...“亀の甲羅が飛んでくる”!

 直後,直径50cmほどの緑色の甲羅が,回転をかけながら一直線で俺のもとへ飛び込んでくる。しかし甲羅は突然軌道を変え,俺の前を通り過ぎて10mほどのところで止まった。


 やはり,俺が想像した通りの不幸が起きた。考えは正しかったようだ。

 ふと,レジ袋の中を見てみると,新たに20本の赤ペンのインクが変異していた。

 多すぎだろ!今のでそんなにペンを消費するとは思っていなかった。残りは40本くらいだろうか。


 もうひとつ,分かったことがある。

 まず,前提として,ラッキーアイテムである赤ペンの効果もまた,引き寄せの法則に基づくものといえる。

 何故なら,俺は一番最初の“偶然の不幸”,それ以降の“必然の不幸”を体験する中で「不幸なことが起きる」という占いを信じた後,「ならばラッキーアイテムである赤ペンは不幸を相殺するはずだ」と信じて赤ペンを購入した。その結果,自転車に追突されるという不幸と,野球ボールが当たるという不幸を回避できたからだ。


 そして,本題の“分かったこと”とは,このラッキーアイテムは,「積極的に幸運と評価できる事象」を発生させることはできないということだ。

 先ほど,俺は「自販機であたりが出る」という“幸運な事象”を想像したが,何も起こらなかった。

 これに対して,「甲羅を回避する」という“不幸を回避する事象”は,俺が想像したとおりに発生した。つまり赤ペンは,あくまで“不幸を相殺・回避する能力”しか持ち合わせていない。

 これは,俺が占いを見た上で,ラッキーアイテムという存在を“不幸を相殺するアイテム”と捉えていたのだから,引き寄せの法則に従えば当然の結果だ。


 最後に,占いと合致する事象が偶然起きて占いを信じ始めることなんて,世間にとってもそう珍しいことではない。俺と同じような体験をした者がいるなら,ニュースになったり,ネット上で有名な話になったりするはずだ。

 しかし,現にそうなっていないのだから,今日の現象はとても珍しいことなのだろう。

 では,何故俺に起きて,他の人間には起きないのだろうか?


 ...もしかしたら,妄想力の高さが鍵になっているのかもしれない。

 引き寄せは,事象をより具体的に想像することで強く働くと言われている。妄想力が高い人間ほど強い引き寄せを得ることができるはずだ。

 そう考えると,日ごろから正義のヒーローなどという妄想を繰り広げる俺にだけこのような現象が起きるのも合点がいく。


 ...さて。ある程度“必然の不幸”と“赤ペン”について分かってきたが,俺はこれからどうするべきだろうか。

 今朝の占いは“今日の運勢”を占うものだったのだから,俺は,「今日中はこの不幸が続く」と信じていることになる。日付が変わるまで,赤ペンの能力で不幸を相殺し続けるしかない。現在時刻は,午後3時25分。ゴールまであと8時間35分。

 慎重に行動するべきだ。できるだけ,動かないほうが良いだろう。公園の草むらにでも隠れていよう。


 俺が公園に足を踏み込もうとしたその時。通行人の女性に手がぶつかった。それと同時に,手に持っていたレジ袋を地面に落とし,ペンの入った袋は足元を転がった。

 次の瞬間,

 「キャーッ!痴漢よ!」

 女性が金切り声を上げる。直後に,30メートルほど先から3人の警察官がこちらに向かってきた。

 「そこのお前,止まりなさい!」

 怖いなぁ,こういう事態に備えてペンを買っておいて良かった...


 いや,待てよ。 

 俺は「ラッキーアイテムは肌身離さず持っておくべきものである」と感覚的に捉えているかもしれない。そうすると,ペンを体のすぐそばに持っていないと,不幸を打ち消せないかもしれない。

 そもそも,こんな不安を抱いている時点で,引き寄せによって不安は実現してしまう!

 まずい,早くペンを拾わなければ!

 レジ袋に手を伸ばし触れる。

 直後,警官は電源を切られたかのごとく動きを止めた。

 危なかった...


 その後,警官らは何事もなかったかのように,巡回を再開した。

 “必然の不幸”によって人間が操られる場合,操られた人間は,操られている間の記憶が無いのだろう。

 なんか,恐ろしいな...

 

 警官の一人に声をかけられる。

 「君,このあたりで連続強盗殺人事件が発生したのは知ってるかい?」 

 「はい...ニュースで見て,なんとなく」

 「うん,特に夜中に事件が起きてる。夜はあまり出歩かないようにして,戸締りに気をつけて。」

 「分かりました」

 なるほど,だからパトロールしてる警官が多いのか。

 うわあ,怖いな。平穏じゃない。

 考えるのをやめよう。不幸が現実化して,俺に危険が及ぶ。他のことを考えよう。


 さっき,どうして俺はペンを落としたんだろうか?

 「赤ペンを地面に落とすこと」は俺にとって不幸な事象のはずだ。

 手を離さないように固く握りしめていたのだから,俺は心のどこかで「赤ペンを地面に落とす不幸」も想像していたはずだ。そうすると,持っていたペンで「赤ペンを地面に落とす不幸」を回避できたはずじゃないか。

 ...ああ,そうか。

 俺が女性にぶつかったのは,俺が想像して起きる“必然の不幸”ではなくて,不思議な力によらずにたまたま発生した“偶然の不幸”だったんだ。

 そして,偶然の不幸は赤ペンで回避することができないのだろう。

 “偶然の不幸”によってペンを落とした後に,「痴漢に間違われる不幸」が頭をよぎったから,それが“必然の不幸”として実現した,ということだ。


 “必然の不幸”よりも,予測のできない“偶然の不幸”のほうが厄介かもしれない。

 てかこれ,赤ペンが完全に無くなったら,赤ペンを買えない不幸が訪れて,二度と赤ペンを買えなくなるんじゃないか?

 残りのペンが何本か,確認しておこう....

 

 は?

 レジ袋の中身を覗いたが,そこには芯の赤いペンは一本も無かった。すべての芯が青く染まっていた。

 なんでだよ,なんで全部青になってんだよ。さっきまで40本ぐらい残ってただろ!

 レジ袋ごと地面に叩きつける。何本かペンが跳ね返って顔にあたる。

 クソ...待てよ。まさか,そういうことなのか。いや,考えちゃだめだ。

 赤ペンは無くなった。これからはあらゆる不幸が俺を襲う。赤ペンを新たに買うことすらできなくなっただろう。

もう何も考えるな。家に帰ろう。恐らく家のほうが安全だ。

 スマホの時計は午後5時45分を指していた。


 そこからは,なるだけ人や危険なものの少ない道を選んで帰った。

 しかし,強い引き寄せが働いてしまったのだろう。俺に多くの強い不幸が訪れる。

 通行人の歩きタバコの火が手に当たる。工事中の作業員が落とした工具が,肩に打ち当たる。暴力団組員らしき人物に,ガンを飛ばしたと勘違いされ,腹を蹴られる。自転車に乗った高校生にはねられる。段ボール製品が倒れてきて,足を大きく負傷する。

 満身創痍になった俺を心配する者は,いない。“誰も助けてくれない不幸”が,俺の孤独感をさらに強める。

 そこはもう,俺の知っている平穏な街ではなかった。

 考えるな...家に,家に帰るんだ。それだけだ。


 何度も寄り道をして,なんとかアパートの前に着く。ドアの鍵を開けて,中に入る。

 もはや,ため息をつく気力も残っていなかった。靴を履いたまま進み,ソファに体を預ける。時計を見ると,午後11時49分。ゴールまであと11分。

 これで,勝ったのか?いや,この状態は勝ったといえるのだろうか。

 体のありとあらゆる部分を負傷し,激しい熱に襲われている。自分の歩いたところを見ると,痛々しい血痕が続いていた。

 ...どうして,どうして俺だけがこんな目に合わなくちゃいけないんだ。これは,俺への罰なのか?


 ドンドン,と,ドアをノックする音が聞こえた。

 誰だ。鍵は閉めている。日付が変わるまで俺は出ない。

 しーんとして,来客は帰ったかと思うや否や,鍵の開く音がした。続いて,来客が家の中に入ってくる音がした。足音からして,男性だろう。


 「お前も殺してやる!!」

 彼は鬼の形相でソファに横たわる俺を睨み,テーブルの上にあったナイフを手に取った。そして何の躊躇も無く,俺の腹を刺した。

 冷たい刃が,肉を抉る。血が溢れ出して止まらない。


 ...ああ,そうか。俺は強盗事件のことを想像してしまったんだ。

 これが最後の不幸で,ここで最期なんだ。まだ死ぬ実感が湧いてないから死んでないけど,だんだんと視界がぼやけてきたし,あともうちょっとで死ぬに足りる引き寄せが働きそうだな。

 今は...11時59分。あと1分だったんだけどなぁ。時計が1分早ければ良かったのに。電波時計だから,無理か。


 これって,12時まで粘ったらどうなるんだろうか。

 “必然の不幸”はきれいさっぱり消えることになるが,俺が既に刺された事実は変わらない。助かるためには,誰かに救急車を呼んでもらうしかない。

 でも,こんな夜中に,家の中にいる俺に気づく人はいないだろう。


 男は俺の腹に刺さったナイフを一生懸命抜こうとしている。どうやら,もう一度俺を刺す気のようだ。

 さすがにもう一度刺されたら,救急車呼んでも死ぬわ。

 死が目の前に迫っていることを知り,急に怖くなって男から目をそらす。

 時計は,11時59分20秒あたりを刺しているように見える。視界がぼやけてよく見えない。

 もう少し視線を下に向けると,ペン立てに入っている赤ペンらしきものが見える。しかし,3メートルほど先にあって手が届く訳がないし,たとえ届いたとしても,赤ペン1本でこの大きな不幸を相殺できるわけがない。


 ...赤い,ペン?

 まてよ,赤ペンはその能力を果たした後,どうなった?中のインクの色だけが変わって,グリップやクリップ,ノック部分などの外装は赤いままだった。

 この現象を素直に解釈すれば,「ラッキーアイテムとして機能したのは赤インクの芯だけだった」ということになる。俺の考える“赤ペン”の本質部分は芯の部分なのだろう。

 この解釈は,「ラッキーアイテムは赤ペンである」という占いの内容と少しズレている。

 そして今この瞬間,俺は,“占いで示されたラッキーアイテムと厳密には異なる物であってもアイテムとして機能する事実”を認識した。

 そうすると,赤ペンの芯と異なる物でも,似たような外見をしているものであれば,引き寄せが十分に働けばアイテムとして機能する可能性がある。

 つまり,“赤ペン”ではなくて“赤ペンの芯”でもアイテムとして機能したのと同じように,“赤ペンの芯”ではなく“赤ペンの芯と似た見た目の物”でもアイテムとして機能する可能性があるんだ。


 問題は,偽物を使ってどのように十分な引き寄せを得るかだ。

 俺が本物の芯をイメージできるように,できるだけ芯と似た物を用いるのは大前提だ。

 そしてその“偽芯”は,少なくともこの男を止めるに足りる量の“偽インク”を持っていなければならない。

 加えて,今回は俺が目の前にある物を本物の芯と信じることができないのだから,十分な引き寄せを得るためには,その分さらに“偽インク”が必要になる。


 これらの問題を全て解決する方法は―――


 ソファのすぐ下に,朝割れた蛍光灯の一部が筒の形を残して転がっていることに気づく。


 ...はは,どうやら俺が勝ったようだな。

 最後の力を振り絞って,蛍光灯を手に取る。男は,既にナイフを振り上げていた。

 無駄だ,間に合わないぞ。

 腹から溢れ出す血を,蛍光灯の中に入れていく。血は蛍光灯のガラス管を伝って,赤く染める。視界は相変わらずぼやけている。それ故,赤い蛍光灯は赤ペンの芯にしか見えない。

 男の動きは指数関数的に遅くなる。最初に蛍光灯に入った血は既に青くなっていた。それでも,鮮血は次から次へと蛍光灯に注ぎ込まれる。

 そしてついに,男はナイフを捨ててドアの方へ後退し,外へ出ていこうとする。


 ...でも,それじゃダメだ。

 一瞬,蛍光灯への血の供給を止める。男が再び殺気を取り戻しこちらへ歩いてくる。そこでもう一度,血の供給を再開する。11時59分50秒。明日まであと10秒。


 あんたには救急車を呼んでもらわないといけない。日付が変わってあんたが正気を取り戻すまで,この部屋の中にいてもらう。

 9,8,7...


 血を入れて,止めて,また入れて。調節して,うまく男を部屋にとどめる。

 6,5,4...


 彼が正気を取り戻せば,自分自身で刺した記憶の無い俺を発見して救急車を呼ぶかもしれない。もしかしたら,正気に戻ってもなお俺を殺そうとするのかもしれない。

 3,2...


 どちらに転ぶかは分からない。

 それでも俺は,最後まで足掻く。

 なぜなら,俺は正義のヒーローだから。

 1...


******


 意識が醒めたことに気づくと同時に,全身が痛む。

 ここは,どこだ?

 「あっ,目が覚めましたか。よかった~。」

 看護師の女性が,俺の視界に顔を出す。ここは病院らしい。

 「昨日のこと,覚えてますか?」

 「なんとなく。」

 「朝ごはん,召し上がりますか?」

 そういえば,昨日の朝以来何も食べてない。

 「ああ,頼むよ。」

 彼女は「すぐに持ってきます」と残して病室を後にした。

 

 「...よっしゃぁ!」

 作戦は成功した。あの男が救急車を呼んでくれたのだろう。

 赤ペンの本質が芯の部分だけだなんて,冷静な状態ならそんな解釈はできない。赤ペンの芯だけが変色したのは,俺がラッキーアイテムを“消費物”と捉えていて,赤ペンの場合は“芯が変色する”ことが“消費”の印であると考えていたからだろう。ペンの外装が変色しないからといって,外装がペンの構成部分ではないと解釈するのは,あまりに安直だ。

 しかし俺は,冷静ではなかったからこそ,“芯こそが赤ペンの本質だ”という解釈を最後まで信じきることができた。「信じる者は救われる」とは,まさにこのことだ。


 病室内を見渡すと,80歳くらいの昭和ガールと目があった。彼女もこの病室の患者のようだ。他に患者はいない。

 「あんたぁ,血だらけで大変だったみたいね。」

 「まあな。でもなんとか生き残ったぞ!」

 「ほんと,物騒な街になったねぇ。」

 彼女はそう言って,ベッド横の棚にあるテレビの電源をつける。

 

 「さあ,お次は,今日の占いコーナー!」

 アナウンサーの快活な声が病室に響くと共に,昨日の災厄が思い出される。

 おい...やめてくれ。今の状態で昨日のような不幸が訪れたら,本当に死んでしまう。

 「な,なぁばあちゃん。テレビを消してくれ。」

 「え?なんだって?」

 「テレビを,消して,くれ!」

 「どうしてぇ?」

 「寝たいんだ。かなりの傷で,今日は安静にしていたい。」

 「...わかったよ。ごめんねぇ,消すよ。」

 彼女はリモコンの電源ボタンを押そうとした。しかし手を滑らせてリモコンを床に落としてしまう。

 「ちょっと,何やってんだよ!」

 つい語気が強くなってしまう。

 「ひぃ!そんな,怒らなくてもいいじゃない...」

 彼女を怖がらせてしまったようだ。

 悪い。俺も命がかかっているんだ。

 自分が動いてリモコンを拾おうとするも,激痛が走りうまく体を動かせない。

 「リモコンじゃなくて,主電源から切ってくれ!早く!」

 彼女はテレビに手を伸ばすが,全く届いていない。


 ...嫌だ,死にたくない。やめてくれ。誰か,助けてくれ!

 耳をふさぐも,テレビの音量は大きく,はっきりと内容が聞こえてしまう。

 どうして,どうして俺だけが,こんなに不幸なんだ。こんなの,平等じゃない。誰か,誰かテレビを切ってくれ!誰でもいいから...!


 「今日,最も運勢が良いのは,うお座のあなたです!」

 ...え?

 アナウンサーの予想外の言葉に呆然とする。

 ...はぁ,なんだよ1位か,ビビらせるなよ。心臓が止まるかと思った。

 看護師が病室へ戻ってくる。

 「あ~っ,ヨウコさん。ダメじゃないですか,テレビを見ちゃ。まだ熱が下がってないんですから,寝てください。」

 「ちょっとくらい,いいじゃない。」

 「ダ~メです!」

 彼女はばあちゃんに説教をしてから,僕の方へ朝食を持ってきてくれた。

 「体,動かないですよね?食事のお手伝いをさせてもらっても,いいですか?」

 「ありがとう。」


 彼女が持ってきてくれたほうじ茶には,茶柱が立っている。


 さらに,左手がくすぐったく感じて目をやると,てんとう虫が止まっている。


 まてよ。今日の俺の運勢は1位。そして俺は今,3つの幸運を目の当たりにした。これらはすべて“偶然の幸運”か?いや,違う。

 偶然が連続することは珍しく,もし連続したならそれは“必然の幸運”である可能性が高い。

 これで俺は今日の占いを強く信じているはずだ。よって俺が想像した幸運な事象は,強い引き寄せにより,現実になる。


 ...そうだ,今日起こる全ての出来事を,俺の想像する“必然の幸運”で埋め尽くしてしまえばいい。そうすれば,俺は“偶然の不幸”さえも,塗りつぶすことができる。

 つまり今日の俺は,世界一幸運な男になれる。




 それじゃあ,今日も稼ぎにいきますか。

 おっと,その前に念のため,あの男を始末しとかないとな。前回強盗に入った時に,一人だけ殺し損ねた目撃者だ。救急車を呼んでくれたということは,俺があの時の犯人だと気づいていなかったのだろう。しかし,芽は摘みとっておいたほうがいい。

 にしても,自分の妻を殺した犯人を助けて,その犯人に自分も殺されるなんて,あいつもバカな男だ。でもまぁ,目撃者に復讐される想像をしてしまって殺されかけた俺も,なかなかのアホか。はは。

 病室の窓から元気よく飛び降りる。小遣いを得るため,無職は今日も平穏な街へ繰り出す。


 世界一幸運な強盗の力,見せてやろう。

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