第五話 情緒の欠片

 僕は絨毯に寝そべって灰色の空を見上げていた。目に白い物が入る。また降り出したらしい。


「一体どうなった……?」


 体を起こした瞬間、貧血を起こしたように目の前が暗くなった。なんとか意識を保って状況確認に努める。


 僕は屋敷の中にいるらしい。今座り込んでいるのは土の絨毯などではなく正真正銘の人工物。だが頭上には空が広がっている。こちらもまた絵画などではなく天然物。屋根を吹き飛ばされたようだ。


 僕はまだ生きている。危機は回避できたのだろうか。それならメイはどこだ。少しばかり離れた場所にいても、声を発すれば駆けてきそうなものだが。


「メイ?」


 呼びかけても返事はない。


 ともかくここから動こう。そう考えて立ち上がった時、僕ははたと気が付く。今いるこの部屋が、両親から入室を禁じられていた部屋だと。


 本棚には沢山の分厚い本。部屋の隅には埃を被ったPC。他にも様々な物がある中、特に気になったのは『Mei』という題がついた書類だった。床に放り出されたそれを手に取って読み始める。数頁をほど捲ったところで手が止まった。


 そこには僕がずっと疑問に思っていたことの答えが書かれていたのだ。


 なぜメイが僕の使用人になったのかという疑問の答えだ。


「情緒を発現させるための、治療ロボット……?」


 それがメイなのだと、書類は語る。


 書類の要諦を纏めると以下のようになる。


 僕は情緒を持ってはいないが、その存在を理解することはできた。だからもし僕が長い時間を掛けて情緒の理解に努めれば、いずれは情緒を獲得できると両親は踏んだ。そこでメイという、情緒を持ちながら不気味な僕を不気味に思わない、情緒の宝庫を僕の傍に置くと決めた。僕がメイから情緒を学び取ることを期待して。


 単なるロボットでは駄目だった理由がここにある。精巧な情緒を持った機械知性など容易に作成可能な時代である。僕専用の情緒を持ったメイドロボを作らせることは簡単だっただろう。


 しかしそんな機械知性は、精巧すぎるがゆえに僕を不気味な存在と認識してしまう。


 それならばと、情緒を持ちながら情緒を解さないロボットを作ればいいと思うかもしれない。だがそんな〝バグ〟を持った機械知性を生むことは難しい。第一そんなものを創り出そうという者がいないから。


 だから、メイでなくてはならなかったのだ。


「ここにある資料、まさか全部……?」


 本棚をもう一度、今度は背表紙が見えるように眺めていく。どれも精神医学系の書だった。


 床に散らばる資料を漁る。どれもメイに関するを練ったものだった。その一つを手に取り、僕は絶句した。


 そこに書かれていたのは、メイを手に入れるまでのだった。


「僕のために、メイを……」


 少し考えれば分かることだ。メイのような障碍を持った人はまずいない。でも両親は見つけてしまったのだ。だから――


 胸の奥が熱くなった。心という体の深奥にあったものから、ドロドロとしたマグマが溢れ出してくる感覚。まだそれがどんな感情なのか分からない。これに楽しいとか嬉しいとか悲しいとか寂しいとか、そういった名前を付けられる気がしない。あまりにいろいろなものが混ざっていて、なのにその細部が感じられないくらいとにかく熱くて、訳が分からないうちに僕は涙を流していた。


 涙を流しているとき、メイはどんな言葉を言っていただろう。確か二種類あった。


――うわーん、ご主人のバカバカァ!


 一つは罵倒。


――ひっぐ……素晴らしいです……


 もう一つは感動。


 今僕が感じている感情に適切なのは、きっと――


「父さん、母さん……」


 前者の方だろう。


「あんたら馬鹿だよ」



 涙を拭って外へ出る。


 庭には倒れ付した玄武の姿があった。装甲に薄く雪を被った玄武には、本来あるはずの脚が半分も失われていた。その上砲塔は折れ曲がっていて、もう兵器としては使い物にならなそうだ。所々露出した配線コードからは火花が出ている。最新技術の粋が結集された灰色の巨体は、もはや歪な形の鉄塊と化していた。


「メイがやった……?」


 想像しがたいが、他に玄武と戦った何かがいるとも考えにくい。


 玄武の亡骸の辺りにメイはいなかった。周囲をぐるりと見回してみると、半壊した屋敷の裏に続く足跡があった。僕の所に戻らずになぜわざわざそんな所へ? 疑問に思いながらも足跡を辿る。


 屋敷の裏には横に長く広がった花壇がある。今は雪で覆われ何も見えないはずだが、なぜか所々赤色が覗いている。赤い花だと初めは思った。だが違った。それは流血の跡だった。


「メイ……!」


 点々と続く血痕の先、倉庫の壁に寄りかかるメイがいた。


 僕は雪の上を必死で走った。途中で足を取られて転びながらもなんとかメイの下に行く。


「ご主人……ご無事でしたか。よかったです」


 小さな掠れ声だった。今にも消えてしまいそうな弱々しさだ。


「おい、まさかお前……」


 なんてことだ。ようやく感情というものの片鱗を掴めたのに、僕はこの世で一人になるというのか。


「私はもう……」


 止めてくれ。そう叫ぶ気力が出ない。ただただ溢れ出るのは涙だった。そうか、これが悲し――


「……充電切れみたいです」

「……充……電?」

「あのロボットと戦うのに動きすぎちゃったみたいなんです。だからコンセントのある倉庫に行こうとしたんですが、辿り着けませんでした」


 思考の波が感情をかっさらっていくのに、しばらく時間が掛かった。


「壊れたわけじゃ……?」

「この血はさっき雪に足を取られて転んじゃってそれで、えへへ」

「こ、声がいつもより」

「省電力モードなので」


 僕は雪の上に頽れた。


 なんだか無性に笑いがこみ上げてきて、気が付いたら大声を上げて笑っていた。


「は、ははは!」

「ど、どうしたんです?」


 戸惑うメイの両肩を掴んで僕は言う。


「メイ、待ってろよ。電源はどっかで見つけてきてやる」


 メイは数回だけ目をパチパチさせ、それから優しく微笑んだ。


「ご主人、いつもより楽しそうです」

「……お前、分かるのか?」

「七年見ていればさすがに分」


 メイが動かなくなった。充電が切れたのだろう。


「……」


 メイの頭に積もった雪を払って歩き出す。


 僕はこれからも生き続けよう。感情を共有するために生き続けよう。


 両親が殺し、そして蘇らせた彼女と共に。

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完全無感覚Human ゆうみ @yyuG_1984

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