第一章 第五節

 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている──ヨハネによる福音書 10章14節


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 ミシェルは生物が好きだった──


 ミシェルの父は『ノートルダム牧場』というサン=レミ=ド=プロヴァンスでは名の知れた牧場を営んでおり、彼女が5歳の頃から家業を手伝わせた。夜明け前の鶏舎や牛舎の掃除と水換え、穀類や籾殻もみがらを配合しての飼料作り──彼女は動物たちに関わるすべての仕事が好きだった。


 ミシェルが家の手伝いとして働きはじめ10日ほど経ったある日、父から納屋の裏に呼び出された。父はミシェルに、活発で毛艶も良かったが、3日前から卵を産んでいなかった雌鶏めんどりをこの場所に連れてくるように命じた。それはミシェルが密かにエヴァと名付けて可愛がっていた鶏であった。


 エヴァを父のもとへと抱きかかえて歩く道すがら、ミシェルは父がエヴァが卵を産めるようにをしてくれるのだと胸を高鳴らせていた。敬虔なカトリック教徒である父は時折このによって、ミシェルから悪魔をはらってくれた。


 ミシェルがエヴァを連れてやって来ると父はエヴァを切株の上に横向きに寝かせるようにミシェルに告げた。


 「いいかいミシェル、我々生きとし生ける者には役割があり、それをまっとうすることを神より我々の魂に仰せつかっている…」


 ミシェルは優しく温かい声色で語りかけてくる父の教えを傾聴する。


 「それは子供であっても、鶏や牛のような家畜であっても同じだ。神の命に背くことはいけないことなのだよ。分かるだろう?ミシェル…」


 父の言葉にミシェルの背中が少し、熱をもって疼いた。神に背く魂には悪魔が巣食う。悪魔を早くはらうためのが必要なのだ。それをミシェルは知っている。


 「さて…ミシェル。その雌鶏だが…今日で卵を産まなくなって4日目だね?」


 ミシェルは小さくうなずく。エヴァは横に向きに固定されてからずっと、落ち着かない様子で首やら羽やら脚やらを動かしている。


 「この雌鶏は神から授かった自身の仕事を怠慢していることとなる」


 父の声色はもうその温度を失っていた。ミシェルはエヴァの体躯を制する両の手にいっそうの力を込める。




 ミシェルには分かっていた…




 「が必要だ」




◇◇◇◇◇


 結局その後、エヴァが卵を産むことはなかった。もちろん毎朝が続き、エヴァが卵を産まなくなって10日目の朝…


 エヴァはもう鶏舎の片隅で動かなくなっていた。


 ミシェルがその亡骸を父に持っていくと、父はミシェルにこう告げた。


 「この雌鶏はようやくが効いたみたいだね」


 かつてない程にその声は優しく…


 「さて、お昼は春キャベツと鶏肉のスープだよ」


 エヴァの横腹には6つの十字架の烙印が雑に押され、涙のあとのような血の塊が焼け焦げた表皮にこびり付いていた。

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イスカリオテ 唯ノ芥 @garbagegarden

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